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「本当に、いい迷惑よね」
そんな会話が聞こえてきて、俺は後ろを振り返った。真っ黒焦げのアパートの向かいのマンションの前で、主婦二人が井戸端会議をしている。
「フリーターの女の人が、煙草のポイ捨てしたのが原因ですって。あのアパート燃えたの」
「ああ、亡くなったのってその人?レンジョウハイツってもうボロボロだったから、建て替え前に住人に出ていって貰うかどうかって話があったんですってね」
「そうそう。まあ、どっちみちその女の人以外には、男の人一人とおばあちゃんしか住んでなかったみたいで……そっちの二人は無事に逃げられたみたいなんだけどね。それでも家財道具とかは燃えちゃってるし、本当に気の毒だと思うわ」
「火災保険入ってたのかしらね?」
「さあ?……でもそのフリーターの女の人、かなり迷惑な人だったんですって。ペット禁止なのに猫飼うし、ベランダで煙草は吸うから臭いし、注意すると逆ギレして怒鳴るしで」
「ペットがいるのに煙草を平気で吸うのもどうなのよ。ていうか、猫ちゃんは無事なの?」
「今のところ、猫の死体は見つかってないみたい。逃げられたんならいいけど。……そういえば、女の人、本当に炭みたいに真っ黒焦げの死体だったんですって。まるで本人が発火したみたいに燃えてるらしいんだけど、そんなことあるのかしらね……」
ああ、あいつ死んだのか。俺の感想はそれだけだった。なんだかちょっと気分が良くなって、俺は黒いしっぽをぴーんと立てる。
我ながら嫌な飼い主に当たっちまったもんだな、と常々思っていたのである。すぐに叩くし、すぐに怒鳴るし、餌は明らかに少ないし。それでも世間の派手に虐待されている猫よりはマシだろうと思って我慢してはいたのだが、ある日そんな俺の元に白猫がやってきたのである。
エン、と名付けられた白猫は俺に言った。
『今までお疲れ様でした。私は“コバト”と申します。明日には終わりますから、今夜中にこの家を出て行くのをおすすめしますよ。窓の鍵は私が開けておくので』
猫の間では有名な話だった。
虐げられている猫の元に真っ白な猫か真っ黒な猫が来て、愚かな飼い主に罰を下してくれるという。その時、コバト、という名前を名乗るのだと。
終わりにするとはどういうことなのか。どうせ、そろそろ自分からこの家を出て行ってやろうと思っていた頃合いだ。言われるがまま、俺はあの飼い主の元を離れたのである。
で、翌日様子を見に来たらご覧の有様だったというわけだ。
――まったく。猫をナメてっからこうなるんだよ、人間。
ふわあ、とあくびをひとつ。
幸いにして、近所のおじいちゃんが餌をくれることを発見している。しばらくはその庭で、まったり過ごさせてもらうことにしよう。
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