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はなれる、はなれる。
私は別段、慈悲深い人間などではない。自分でそれをわかっているつもりでいる。
それでも道端の段ボールを拾ってしまった理由は単純明快。その白猫が、あまりにも美しくて見惚れてしまったからだ。
「あんた、もう大人の猫よね?」
寂れたアパート、レンジョウハイツの304号室が私の部屋だ。
ドアの前に段ボールを下ろしたところで、私はその猫に尋ねた。耳は欠けてない。恐らく、去勢されていないメス。とはいえお腹も膨らんでいないし、妊娠している様子はない。ただただ青い目でじっと私を見上げていて、何かを訴えかけているように見えたのだった。
「大人になってから捨てた人がいたってこと?私に言えたことじゃないけど、なんていうか世も末ってかんじ」
ざっと見たかんじ毛並も良いし、多分二歳、三歳くらいの猫だろう。今日は夜も遅い。動物病院は、と思ったところで明日丁度定休日だったと気づいて舌打ちする。本当に空気が読めない。自分が頼りたい時タイミングに限って施設が閉まっていることが多くてイライラする。
「よいしょ」
アパートの鍵を開けて、私はさらに苛々を募らせた。玄関に、先住猫の姿がなかったからだ。黒猫のドル。性別オス。二年前から、インスタ映えを狙って飼い始めた猫だった。
「ちょっとドル!御主人様が帰ってきたのに出迎えもないわけ?ほんと可愛げないわね!」
一人淋しいアパート暮らしも、猫が一緒ならもう少し楽しくなるかなと思っていたのに。ドルときたら私には全然懐かない。トイレの場所は覚えているくせに、嫌なことがあるとわざと失敗することがあるのも知っている。そのたびに叩いて躾をしているけれど、果たしてどれくらい効果があるのやら。
私が怒鳴ると、やがて真っ暗な部屋の奥がもぞりと動いた。らんらんと光る金色の二つの目が、緩慢な動作でこちらに近づいてくる。黒猫は闇にまぎれてしまうと、本当にその光っている目玉しか見えなくなる。その神秘的なところはなんだかかっこよくて嫌いではないのだが。
「に」
ドルは私が持っている段ボールを見て、短く鳴き声を上げた。何そいつ、と言わんばかりだ。私はにっこりと笑って言ってやったのだった。
「そこの道路で拾った白猫。あんたよりずっと大人しくて賢そうよ。あんたがあんまり可愛くないことしてると、この子ばっかり可愛がっちゃうかもね?」
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