エモーショナル・リリース

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 大学二年の園田と柳田は研究室のソファーベッドの上で目を覚ますと微かに触れている指先を離した。これは危険な儀式だ。二人は二度とやらないと誓った。 「俺への借金をチャラにしたいか?」  ボサボサの長い髪をした顔の良く見えない多々良という男が園田の肩を叩いた。多々良は大学を卒業出来ないまま四年生を八回もやっている。私立大学にこれだけいられるのは多々良の親が裕福で大学に多額の献金をしているからだ。 「マジすか?」  園田は目を見開いて多々良を見る。パーマをかけた金髪と鼻につけたピアスが揺れた。 「付いて来い」  園田の肩を抱き多々良は歩く。  着いたのは何をしているのか誰も知らない多々良の研究室だった。ドアを開けると中には柳田がいた。黒髪のマッシュルームカット。毛先は寸分の狂いなく切り揃えてある。そんな柳田を見た途端園田は顔を歪ませた。 「なんでこいつもいるんすか?」 「お前達は俺への借金仲間だ」  多々良は二人を向かい合わせ握手させようと手を掴んだ。 「一緒にしないでくださいよ」  園田はその手を振り払い柳田を睨み付けた。 「仲間は仲間だろ」  柳田はにやにやと笑っている。 「ああ? 二度とその言葉使うなよ」  園田がこれほどまでに柳田に嫌悪感を露にするのには訳があった。付き合う女、付き合う女、他に好きな人が出来たと去って行くのだ。そしてその好きな人というのが柳田だった。 「俺は悪くないのにまだ怒ってるのか?」  かわいそうに、とでも言うように柳田は目尻を下げて顔を振る。 「おい、くだらないことはよせ」  多々良は園田が殴りかからんとする前に二人の頬をつねった。 「お前達の借金をチャラにする方法なんだがな」  多々良はポケットから古びたカセットテープを取り出すとテーブルに置いてあるプレイヤーにセットし自分が日頃寝ているであろうソファーベッドを指差した。 「お前達にはこのテープの音を聞きながらそこで寝てもらう。そうすると同じ場所に行けるらしい。テープは六十分。終われば戻って来れると思うからそれが本当か聞かせてくれ」  多々良が右手の指で金のサインを二人に送る。  園田はニ十万、柳田はニ十五万、多々良に借金がある。返さなくて済むならやらない手はない。借金がなくなればまたゼロから借りられると二人は揃って考えた。そして二人はソファーベッドへ向かい、寝転んだ。背中合わせであってもどうしても触れ合ってしまうことに園田は苛立ちを覚えたが柳田は気にしてはいなかった。  目を閉じた二人を見て多々良はプレイヤーの再生ボタンを押した。カセットテープからは鐘の重苦しい音とやたらと多い鈴の鳴る音が聞こえる。 「向こうで手を繋げよ」  多々良の言葉に園田は虫唾が走った。そんなことはしない。しなくともわかる筈がない。 「わかりましたよ」  園田は息をするように嘘を吐いた。  園田は瞼をきつく閉じる。寝ようと思わなければ眠れない性格である。早くも寝息を立て始めた柳田が憎らしかった。 園田が夢の中で目覚めると、そこには大きな石の扉がそびえ立っていた。そしてその前に柳田が座り込んでいた。 「遅い」  柳田は既に疲れ髪は乱れていた。 「ホントに同じ場所に来れたな。てか何してんだよ?」 「一人じゃこれが開かないんだよ」  柳田が石の扉を指差す。 「開ける必要あるかよ? 同じ場所に来れたんだからミッションクリアだろ。目が覚めるまでここにいれば良い」  もう仕事は終わった。危険を冒す必要などない。園田は柳田と同じように座り込んだ。 「そんなんだからみんなお前の元から去って行くんだよ」  柳田は立ち上がる。一人で扉を開けようとしていたが開かず、園田が現れるのを待っていた自分が馬鹿らしくなった。そして柳田はまた一人、身体で扉を押し始めた。 「クソが」  それが園田の今言える最大限の悪口だった。園田は気まずそうに立ち上がると柳田と共に扉を押した。  ほんの少し扉が開く。小さな石が地面に落ち埃が舞う。運動などしていないヤワな大学生が力の限り扉を押す。人が一人通れるかという隙間があいたところで二人は我先にと扉の向こうへ飛び込んだ。 「うわ、ここ知ってる」  柳田が驚き口を押さえる。  二人の目の前に広がるのはどこにでもあるような公園。木々を夏の日差しが照りつけている。しかしそこは柳田にとっては馴染みのある実家近くの公園だった。夏といえば思うことがある。柳田は自然とどこかへ向かっていた。トイレの横にあるジュースの自販機だ。夏になると冷たいココアが飲みたくて自販機まで走るのだがいつも売り切れていた。今日もやはりそうだった。 「この公園ではもう永遠に冷たいココア飲めないんだろうな」  柳田が現実でこの公園に行くことはない。少子化の影響で公園からゲートボール場へ変わるのだと母親から聞いていたからだ。 「夏にココアを飲むなよ」  園田は舌を出し、そんな奴の気がしれないと態度で表した。 「俺の勝手だろ」  柳田は唾を吐いてやりたくなったが理性がそれを止めた。 二人が互いの存在を消そうと視線を他へ向けるといつの間にか景色は変わっていた。 「今度は俺かよ」  園田は口を閉じるのを忘れている。  二人の目の前に広がるのは学校の側にある駄菓子屋。しかしそこは園田にとっては中学校の帰り道に毎日のように寄っていた駄菓子屋だった。駄菓子屋に入った園田に柳田も付いて行く。店主のおばさんが駄菓子を物色中の園田に鋭い視線を送る。 「早く帰れ!」  柳田もいるというのにおばさんは園田だけを指差し怒鳴った。 「まただよ」  駄菓子屋を出た園田はため息を吐く。中学生の頃もそう言われ続けたからだ。 「お前のろくでもない性格を見抜いてたんだな」  後ろから柳田が嫌味を言う。 「お前に何がわかるってんだ?」  園田は振り向き柳田に詰め寄った。  園田の喧嘩を買った柳田はその場所から一歩も引こうとはしなかった。しかし突如として駄菓子屋があった場所にまたしても扉は現れた。何の疑問も持たず二人はさっきと同じように扉を押した。怒りの感情が力をより強くさせる。それでも人が一人通れるかという隙間があいたところでまたしても二人は扉の向こうへなだれ込んだ。そこにどんな景色が広がっているのか確かめる余裕は二人にはなかった。 「お前の思い出は陰気なんだよ」  立ち上がった柳田が喧嘩の続きを始める。 「お前も変わらねーだろ」  火花が散り突進するように園田は柳田の胸ぐらを掴んだ。  柳田がその手を引き剥がそうとした瞬間だ。二人の手が触れ合うと柳田の身体の中に何かが流れ込んできた。柳田は手を離せずに園田をじっと見つめた。その表情から園田もこのおかしな感覚を味わっているようだった。柳田の後ろに再び現れた扉は触れてもいないのに崩壊し二人がいる空間はブレーカーが落ちたように真っ暗になった。互いの触れた手だけを感じる。 「向こうで手を繋げよ」  多々良の声が蘇る。 柳田は園田の手を掴んだままずるずると下ろし手を繋いだ。荒波のように勢い良く流れ込み互いが混ざり合い気持ちが悪くて気持ちが良くてどうにかなってしまいそうだった。  バチッという音がして二人は目を覚ました。研究室に多々良の姿はなく何も音はしない。タイミング良く園田のスマホが鳴る。多々良だ。 「どうだった?」  その質問に同じ場所に行けたとだけ園田は答えた。その後に起きたことなど言える筈もなかった。 「そうか」  多々良もそれだけ言うと電話を切った。  それから園田は浴びるほど酒を飲み、柳田はパチンコに入り浸った。しかし酒を飲んで思考回路がイカレても、パチンコで大当たりして十万財布に入ったとしてもあの感覚は得られなかった。あれは初めての感覚だった。言葉にするなら快楽だろう。二人には抗うことが出来なかった。誰にも止められない。久しぶりに大学で顔を合わせた二人は夜中の二時とだけ会話を交わした。真夜中に二人は研究室に忍び込む。鍵が開いていたことも気にはならなかった。園田がプレイヤーの再生ボタンを押し、二人はソファーベッドに横たわる。そして目を閉じる。二人は自らの手で儀式を解禁したのだ。 「そうだよな」  カメラの向こうで多々良が呟いた。
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