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「おーい?」  背後に聞こえた男性の言葉が私に向けた言葉だと思いもすらしなかった。  だから振り返らずにマルティン・ハイデガーとソクラテスの哲学書を読んでいた。 「……ちっ。無視かよ」  今度は大きな舌打ちが聞こえた後、斜面を下る足音が徐々に大きく近づいてきた。  まさかとは思って振り返ようと立ち上がろうとした瞬間、私の顔を覗き込んできた。  私はあまりの衝撃に変な声を出して中腰だった為に尻餅をついた。  見上げると、うちの高校の制服を着た男子。見た事のない男子だった。 「……それ、まだ読み終わらない?」  指差された先を視線で追うと、私が抱えているソクラテスの哲学書だった。 「もっ、もしかしてうちの高校の人?」と尋ねると男子が頷いた。 「多分、学年一緒。Cクラスの人でしょ?」と俯きがちに尋ねてきた。  私は同学年の同じクラス以外の学生に存在を知られている事に驚いた。 「ほっ、ほら? 図書カード見てわかってさ」と今度は照れた様子を見せる。  私の表情が相当嬉しそうにしていたんだと思う。    その後、互いに自己紹介を済ませた。話をしてみると、私との共通点が多そうだった。  互いに人見知りで友人がいない。日々の生活が退屈で不満を持っている。  これだけ親しみを覚える相手は初めてだったから嬉しかった。星哉くんはAクラスみたい。 「星哉くんはどうして哲学書を?」  思わず名前呼びをしてしまった。初めてと言っていい程の親近感を感じて興奮していた。  星哉くんは多少目を大きく開いて驚いた様子だった。  それが名前呼びをした事なのか、本の事なのかわからなかった。 「……最近よく考えるんだ、自分の事を。何をする為に生まれてきたのだろう。どうせいつか死ぬとわかっているのに、死というものがどういうものなのか知りたくてね」  星哉くんは川の反対側辺りを見つめながら無表情に言葉を紡いでいった。  聞けば星哉くんの家庭は不動産会社を経営しているらしい。  兄弟はいなく、一人息子の長男。いずれ家業を継ぐ事になるであろう漠然とした不安。  決められたレールを歩く事の責任。    私からすれば贅沢な話だった。三食飯と風呂付きの暖かい布団で就寝。私には全てがない。  さっきは私と似ていると思っていたけど、その点は正反対な位置に星哉くんはいるのだと思った瞬間、熱がゆっくりと冷め始めてきた。 「人間ってね、育った環境であらゆる価値観が決まっていくと思うの」    そこから私の身の上話を星哉くんに話した。  星哉くんは私の今の環境、生い立ちに対して驚きもせず、ただ耳を傾けてくれているような気がした。  そう感じたのは、星哉くんが話している間、ずっと川の流れを見つめていたから。 「だから私は、星哉くんが羨ましいって思えたの」
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