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春菜さんが村山さんを奥の席に案内した。
すると早速、由夏が僕に目配せをしてくると由夏の意図に僕は大きく頷き、由夏が給湯室に向かった。
お盆に乗るお茶を村山さんが座るテーブルに運び終わって戻ってくると再び、互いにガッツポーズをした。
徐々に思い出してきた。村山さんはよく店に訪ねてきた賃貸のオーナーだった。
よく店に来ては親父と話していた所を目撃していた。それに昨日電話がかかってきた名前も村山さんだ。
何を話しているのだろうと聞き耳を立てていたが、要領良く話が聞こえてこない。
断片的に聞こえてくる『春菜ちゃん、頼むよ』『信頼出来るのは他にいないんだ』の言葉だけ。
来て十分もしないうちに村山さんは多少の不機嫌さを残しながら帰って行った。
帰り間際に僕と目が合った気がしたが、その目は僕を値踏みしているみたいで気持ち良くはなかった。
「随分、お帰りが早かったですね」
由夏が配膳したお茶をお盆に乗せてテーブルを拭きながら春菜さんに尋ねていた。
「借家で貸していた家を売却したいって相談でね」と言いながら鋭い視線を僕に向けてくる春菜さん。
春菜さんが言いたい事は痛いほど分かっていた。だから思わず視線を逸らした。
「私、素人だから詳しい事はわからないですけど、それって良い話じゃないんですか?」と事情を何も知らない由夏が追い込みをかけてくる。
「そうなのよね。村山様がこうしてせっかく相談してくれているにも関わらず、星哉さんが売買をやろうとしないの」
「だから、言っているじゃないですか。親父が旅行から帰ってきてからやれば良い話だって」
「それでは遅過ぎます。せっかくの村山様のお気持ちが変わったらどうするんですか?」
「だったら春菜さんがやれば良いでしょ? 親父から聞いてますよ。以前は大手の不動産会社で支店長をやっていたって。あなたがやれば親父だって、村山さんだって安心するし。どうしてそこまで僕にやらせようとするんですか?」
「私は売買営業ではありません。事務職としてこの会社に身を置いています」
この堂々巡りの話が以前から続いていた。
僕には不動産の知識がないし、面倒な事に巻き込まれたくないって気持ちが強い。
何故、ここまで春菜さんが僕にやらしたいのか尋ねても煙に巻かれる始末。
「きっと星哉くんはあれですね、怖いんでしょうね。面倒臭い性格の人だ」とあっけらかんとした表情を浮かべて春菜さんに同意を示した。
二人を見る僕の視線に何だか胸が痛い。それに妙に息の合った会話をしているあたり、この二人は相性が良さそうだった。
正直、売買に興味はなかった。賃貸と比べて売買の方が売上げが良いのはなんとなく想像がつく。
両親は売買を行わないで賃貸件数で安定した定期収入を行い、店を守ってきた。
賃貸と違い、売買は責任が多そうだ。生涯住み続けるマイホーム。何かしらのクレームや面倒事があったら精神が持たない。それに僕はコミュニケーションが苦手だ。
そんな僕が初対面の客に収入や探している条件を聞いて、物件の案内をしてなど出来る訳がない。
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