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――オートレース場の入り口に掲げられた『勝者だけが幸せになれる』と書かれた悪趣味な金看板を見上げながら、トキオは「やっとここまでのぼりつめた」と、心中でひとりごちた。
あの看板の身も蓋もない文句のとおり、六番のスラムで負け犬のように暮らしていたトキオは、ずっと幸せとは無縁だった。まだ十二歳のころに、トキオと、事故で寝たきりになってしまった父をのこして母が家を出たときからトキオはさまざまな仕事をしながら明日を夢見ることもなくがんじがらめの今日を生き続けていた。
――親父がいなければ、もっと自由になれるのに。
毎日、いけないとは思いながらもその考えがふとした瞬間に脳裡をよぎり、トキオはそのたびに自己嫌悪にかられていた。父も好きでああなったわけではないし、それを頭で理解してはいたが、不幸の原因を他者に押しつけなければまともな精神状態を保っていられないほどにトキオは疲れきっていた。
「幸せってなんだろう?」
ある日、幼なじみで恋人のエレナに訊いたことがある。
エレナは眉間にシワを寄せるトキオを笑って、
「わたしは、自分の存在価値を証明することだと思う」
と、小難しいことを言い、そしてまた笑った。
「だれかに必要とされるような人間になれってこと?」
「そうね。だけど、証明するのは自分自身に対してかもしれない」
「エレナは、もう証明できた?」
「分からない。だけど、トキオのお父さんには必要とされてるよ」
「……いつもごめんな」
「いいのよ。わたしにとっては、トキオと同じくらいに、トキオのお父さんも大切な存在なんだから」
「ありがとう」
「大丈夫、トキオなら幸せになれるわ」
「そうかな?」
「そうよ。わたしが幸せにしてあげるもの。知ってる? わたしの名字、あれ花の名前なんだけど、その花言葉って『ひそかな情熱』なんだって。幸せになりたいというひそかな情熱をわたしは持ってるわ」
冗談めかして笑い、エレナは髪をやさしく耳にかきあげた。その左手の薬指にはめられた誕生祝いの指輪がきらりと光る。それはスラムの胡散臭い露天商から買ったお世辞にも上等だとはいえない代物だったが、エレナはずっと肌身離さず大事にしていた。
エレナはずっと優しかったし、たぶんこれからもずっと優しいままなのだろう。エレナだけがトキオにとっての唯一の希望であり、叶うことならば、自分もまた彼女にとって必要な存在なのだと証明したかった。そして彼女の笑顔を独り占めしたい。この日を境にトキオは、そうつよく思うようになっていた。
きっと、それがエレナの言う“幸せ”なのだろう。
母が家を出てからずっと、トキオは日雇い人夫として六番の富裕層の住む、通称〈恵まれた平野〉ではたらきながら糊口をしのいでいたが、十七の時、ふとしたきっかけで、とある名士つきの運転手の仕事にありついていた。それは六番のスラム出身者にとっての大きなチャンスの一つだった。
というのも、運転手になる際に特別に普及される運転免許証を所持している者は、三年以上の運転実績を条件にして六番のギャンブルでも特に花形と言われているレース場の出場選手の選抜試験を受ける資格を得られるからだった。
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