(十一)ピエロ

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(十一)ピエロ

 夢の丘公園で会った着ぐるみマンのことが、どうにも気になって仕方のない三上。あの日のことは現実、本当にあった事実なのだろうか。それともはたまた夢、幻。今でも夢でも見ていたような気がしてならない。白昼夢ってやつ。あいつ、着ぐるみマンとかいう野郎、夢を見ているとか何とかほざいていやがったけれど、そりゃこっちの台詞だぜ、まったく。しかしたとえ夢だったとしても、ばかばかし過ぎる。そもそもあの野郎、あの公園で一体何をしていやがったんだ。  どっか新宿駅前かなんかでキャンペーンでもやってて、その休憩でもしてたんかい。でもそれにしちゃあの着ぐるみ、随分と草臥れて薄汚れていたよな。もう何年も煮込んで、じゃねえ、着込んでるってふうだった。それにあの傘、まじぼろっちかったし。夢の国だ、着ぐるみマンだ、M78星雲だ、果ては昼寝しながら夢を見ているだのとぬかしやがって。どう見ても着ぐるみ愛好家の、変な男にしか見えねんだけど。  それに、それにどうしても、あの渡辺の顔が浮かんで来てしまう。本当に渡辺じゃねえのかよ、あいつ。でも確かに口笛の曲が違った。渡辺だったらやっぱり、エデンの東。あの人にゃ、あの曲しかねんだよ。だったらやっぱし人違い、じゃねえ、あいつの言う着ぐるみ違いってやつか。けっ、何が着ぐるみ違いだ、あほらし。  ええと、渡辺、渡辺……。あっ、もしかして。三上は突如閃いた。もしかして、あいつ。そうだ、あの野郎、あの恰好で、あの公園に住んでいやがんじゃねえの。詰まり野宿者、路上生活者ってやつ。うんうん、だからあの着ぐるみも、あんなに汚れてやがったんだ。なーるほど。  そう思うと気になって、三上はどうしても確かめずにはいられなくなった。着ぐるみだとかメモ帳だとか、やたら面倒臭くて、本当はもう関わり合いになぞなりたくなかったけれど、仕方ねえ。もう一遍だけ、あの公園に出掛けてみっかと、三上は重い腰を上げた。  着ぐるみマンと初めて会ってから二週間振りの土曜日の午後、三上は再び夢の丘公園に足を向けた。三月下旬で、公園の桜は満開。こないだ着ぐるみマンと坐ったベンチに先客はなく、そこには積もった桜の花びらが憩っている。ちょっくら御免なさいよと花びらを払って、三上はひとりベンチに腰を下ろした。  春風に吹かれながら耳を澄ましてみても、あの口笛は聴こえない。着ぐるみマンの姿も差し当たって見当たらない。あの野郎、今日はどうしたんだ、いねえのかよ。てことは、いつでもいるって訳でもないらしい。じゃ、ここに住んでるってのも、無しかいな。へえ、ま、良かった。三上はちょっと安堵。でも会えないことに、妙に寂しさを覚える三上だった。って、何でだよ。  ち、何だよ。また来るだな、なんて調子の良いこと言っといて肩透かしかよ。まったく調子狂うぜ。百パーセント会えるもんと思い込んでいた反動か、三上の落胆は意外に大きかった。あーあ。ため息零して、虚ろな心でもう一度ゆっくりと公園を見渡してみる。すると桜並木の脇に並ぶテントハウスのシートの青さが、嫌でも目に付いた。その青さを覆い隠す程の、けれど今は桜、桜、桜……。木々の間から木漏れ陽が差し、風も穏やか。ふわーっと欠伸して、ついつい昼寝でもしたい気分。昼寝、ああ昼寝かあ。三上は苦笑い。そういや着ぐるみ野郎、昼寝がどうのこうのと言ってやがったっけ。  にしても、テントハウスの方から漏れ聴こえ来る声々が妙に騒々しい。喧嘩でもしてんのか、やつら。そういや昔風の丘公園でも、喧嘩ばかりしてやがったなあ、あの連中。斉藤さん、岡さん、懐かしいねえ。みんな元気にしてんだろうか。ちょっとおセンチになる三上だった。  テントハウスの喧騒が気になった三上は、ベンチを立ち桜並木の方角へと歩いた。恐る恐る声のする方に近寄ってみると、確かに興奮した話し声。何だ、やっぱ揉め事か。三上は耳をそばだてた。 『じゃ何か、今月いっぱいでここを出てけってかい』 『ああ、さっき都庁のやつら、そりゃもうおっかね顔して押し寄せて来やがって。なあ、着ぐるみマン』  着ぐるみマン。どきっとする三上。  やっぱあいつ、ここにいやがったのか。咄嗟に桜の木の陰に身を隠して、おっかな吃驚、会話する連中を覗き込んだ。するといたいた、テントハウスの住人とおぼしき連中が四、五人。それから彼らに交じって、しっかりと我がいとしの着ぐるみマンも。着ぐるみマンがその場の雰囲気にすっかり馴染んでいるふうなのが、何とも可笑しい。  連中は着ぐるみマンを囲んで、腕を組んだり天を仰いだり、かなり深刻そう。 『まじかよ。今月いっぱいたって、後もう何日もねえじゃねえか』 『どうすんの、みんな』 『おら、やだな。ここから絶対離れねえぞ』 『しょうがねえから、俺はネオン橋公園にでも移る』  中のひとりが、さっきから黙ったまんまの着ぐるみマンに話を振る。 『お前は、どうすんの』  すると着ぐるみマンは何も語らず、ただ悲しそうにかぶりを振って困惑顔。やっぱりあいつ、何にも喋ってねえんだな。  それから着ぐるみマンは、両方の腕を曲げ掌を天に向け、肩をすくめて、はい、お手上げのポーズ。 『何こんな時におどけてんだよ、このたこ』  隣りの男に小突かれ、一同大爆笑。 『たこじゃないよな、着ぐるみマンだよなあ』  しっかし冗談抜きでまじお手上げと言う訳で、着ぐるみマンを真似してみんな揃って、はい、お手上げのポーズ。お茶目な着ぐるみマンに、しばし辛さを忘れる公園の仲間たちだった。  何だ、あいつ。あれじゃみんなの和ませ役じゃねえか、ったく。ピエロみてえな野郎だなあ、情けねえ。くすくすっと笑みを噛みころす三上。けれど当事者たちにしてみりゃ、笑いごとなんかじゃ済まされねえ緊急事態の筈。何やら公園からの立ち退き、強制退去って話のようじゃねえか。  でも、てことはおい。やっぱりあいつ、この公園に住んでるってことか。あんな恰好で、だからやっぱり薄汚ねえんだな、あの着ぐるみは。でも一体どういう事情があんだろ。あんな恰好で路上生活なんて。なーんか深い訳でもあんのかな。着ぐるみマンのことが、どうしようもなく哀れに思えてならない三上。ここ追ん出されちまったら、あいつ、どうすんだろ。ゆく宛てなんか、あんのかよ……。  なーんて着ぐるみマンという赤の他人のことを心配している自分にはっと気付いて、いけねいけね、ついまた魔が差した。人の心配なんぞしてる余裕なんか、今の俺にはねえんだよ、まったく。しっかと自分を戒める三上。  触らぬ神に祟りなし。面倒なことに巻き込まれちゃ敵わねえとばかりに、そろりそろりと桜並木を離れ、公園から逃げ出そうとする三上。しかしその後ろ姿を、着ぐるみマンは見逃さなかった。  振り返ると、嬉しそうににこにこ顔でこっちに向かって、着ぐるみマンが歩いて来る。やっべえ、急がなきゃと三上は焦る。と言っても相手は例によってとろとろ歩き。逃げようと思えば、楽勝で逃げ切れる。だけどあんなとろいやつから逃げるなんて、俺の性分に合わねんだよなあ。ってんで自己嫌悪に陥った三上は、やーめたと足を止めた。  元気そうじゃん。追い付いた着ぐるみマンと肩を並べ、照れ隠しに目で挨拶を交わす。その後公園に戻った三上は着ぐるみマンに誘われるまま、ベンチの前へ。ところがさっき払ったばかりなのに、ベンチの上にはもう積もった桜の花びらが山をこしらえていた。どうしようかと迷っている三上の前で、突如着ぐるみマンが口笛。いつもの痩せた口笛で、テリーのテーマを吹き出した。すると何処からか突然さっと風が吹いて、ベンチの上の桜を吹き飛ばしていった。へえ、すげえなと不思議そうに感心している三上に、着ぐるみマンは手で坐れの合図。ようやくふたり並んで、ベンチに腰を下ろした。  坐るが早いか、メモ帳にボールペンを走らす着ぐるみマン。 「よくきただな」  あ、まあな。頭を掻いて照れ笑いの三上。メモ帳を差し出されて仕方なく、自分も綴った。 「元気にしてたのか」  すると嬉しそうに一筆し、頷く着ぐるみマン。 「あいかわらずだな」  相変わらずかあ。それにこしたこたねえや、ったく。それが何よりだあな。三上は長閑な公園を見渡す。確かに相変わらず、公園のベンチは気持ち良く、周囲の景色も時間が止まったようにほのぼの。青い空、若葉の煌き、木漏れ陽、風、桜、それに地面。土と草の匂い、たんぽぽ、菜の花。おまけに、となりのトトロじゃねえけど、となりの着ぐるみマンまでいやがる。  見ると着ぐるみマンのやつ、心なし眠たそうな顔でいながら、必死に欠伸をこらえていやがる。何、遠慮してんだよ。俺とあんたの仲じゃねえか、って。あっ、ふたりはまだ赤の他人か。多少緊張気味の着ぐるみマンをリラックスさせてやろうと、三上は思いっ切り腕を伸ばして、ふっわあ、ふっわあと大欠伸してみせた。すると着ぐるみマンはでっかい両手で口を押さえ、くすくすくすっと笑い出した。それから手を離し、再び口笛。やっぱり曲は十八番、テリーのテーマ。口笛に誘われるように、公園の桜吹雪が舞い踊る。  こいつ、この曲しか吹かねえのか、口笛。これしか知らなかったりして。すると三上の気持ちを察知したかのように、着ぐるみマンがメモ帳を渡す。そこで三上。 「エデンの東って知ってるか」  ところが、エデンの東の文字を見た途端、着ぐるみマンは必死にかぶりを振る。おい、何そんなに慌ててんだよ。じゃ、俺様がちょっくら吹いてやっから、大人しく聴いてろや。交代して今度は三上が口笛。痩せた口笛で哀愁たっぷり、エデンの東。でも着ぐるみマンを前にして、ちょっと上がり気味。微妙に震える唇と同様に、音色も少し震えていた。ばつ悪そうに着ぐるみマンを見ると、けれどやつは目を瞑って、つまり眼ん玉が開閉式の着ぐるみって訳、じっと耳を澄まして聴いていやがった。何ともうっとりとした表情を浮かべながら。仕方なし、最後まで吹き通す三上。  口笛が終わると三上は、あーあ、疲れたぜ。さっさとハイライトに火を点けた。百円ライターのカチャッの音で、はっとして目を開けた着ぐるみマン。目の前で煙草を吸う三上の姿に、何とも言えない物寂しげな表情を浮かべた。悲しげな眼差しでじっと自分を見詰める着ぐるみマンに、三上はハイライトが不味くって仕方がない。おいおい、鬱陶しいぜ。何だよ、その時化た面あ。  苛々しながら煙を吐き出す三上に、着ぐるみマンはメモ帳を寄越す。そこにはこう記されていた。 「たばこはいつからだな」  はあっ。いつからだなって、おめえ……。着ぐるみマンをぎろっと見詰め返す三上。  あーあ、ばれちゃった。ったく下手な野郎だな、嘘吐くの。それじゃ、だってよ。ばればれだろ、やっぱわたしが渡辺ですって、白状してっようなもんじゃんか。じゃなかったらさ、何で俺が昔は煙草吸ってなかったって知ってる訳。だろ、こん畜生。どうせ騙すんなら、死ぬまで騙して欲しかった、ってな。  てな訳でとうとう三上は、着ぐるみマンがやっぱりあの渡辺だと確信を持つ。それは嬉しい半面、何で着ぐるみマンなんぞになりやがったのか、どうして夢の丘公園で暮らすようになったのか、それからなぜ喋らずわざわざメモ帳でやり取りなんぞしてんだよ等、数々の疑問にも襲われた。そこでわざとまだ渡辺とは気付いていない振りをして、メモ帳にはこう答えた。 「そんな昔のこた、忘れたよ」  その答えに頷くと、着ぐるみマンは続けた。 「なんか辛いことでも、あっただな」  えっ、辛いことだと……。その言葉に三上は思わずぐっと来てしまった。じわあっと込み上げて来る涙を、しかし必死に堪えた。本当ならば『渡辺さーーん』と大声で叫びながら、着ぐるみマンの肩に縋って、大声でわんわんと泣いてみたかったけれど。  気付いたら指に挟んだまんまのハイライトは、既に燃え尽き灰と化していた。ええい、くそっ。三上はやけくそで、メモ帳に殴り書き。 「おめえこそ、ここ、おん出されんだろ。どうすんだよ」  ところが着ぐるみマンはにこっと笑ったかと思うと、さっき公園仲間とやっていた例の、はい、お手上げのポーズ。  はあ。なんかあっけらかんとしてやがんな、ったく。呆れた三上は、けれどシリアスにメモ帳に続けた。 「もし気がむいたら来なよ、俺のアパート。せまいおんぼろアパートだけどな」  そして福寿荘の住所と、JR新宿駅からの簡単な地図も添えた。  それを見た着ぐるみマン。丸で春の陽が差したかのように、ぱあっと顔が明るく輝いた。ついついメモ帳に書かずにはおれない。 「やっぱりあんちゃんはいい人だな。おいらの仏様だな」  おいおい。それを読んだ三上は呆れた顔。またまたぼろなんぞ出しやがって。あんちゃんとかいい人とか、それじゃ正においらは渡辺だなって、白状してるようなもんじゃねえかよ、まったく。  それでもやっぱり三上は、渡辺とはまだ気付かない振り。ま、自分から渡辺だって言って来るまで、て言うか書いて来るまでか。それまでは、着ぐるみマンでいいじゃねえか。な、本人がそれでいいんならよ。  でも、仏様って何だ。幾ら何でも、そりゃおだて過ぎだろって。そこで三上は皮肉のひとつでも書いてやれと、メモ帳に向かった。 「そんなおめえさんはピエロだな」  ピエロ。着ぐるみマンのやつ、怒り出すかと思ったけれど然にあらず。逆ににこにこしやがって、丸でほめられたとでも勘違いしている様子。その勢いでメモ帳にも。 「じゃあんちゃんはピエロの仏様だな」  そう書いて、ひとりで笑い転げる着ぐるみマン。はあ、ピエロの仏様だと。何だ、そりゃ。でもまあいいかと、三上も苦笑い。  こうしてふたりは夢の丘公園の桜吹雪の中、笑い合いながら別れた。三上はじゃあなと手を振り、着ぐるみマンもにこにこ手を振り返していた。
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