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(十三)ドリームランド
同居生活とは言っても、いつも擦れ違いのふたりだった。三上は警備員のバイトに出掛け、着ぐるみマンは着ぐるみマンで毎日朝からふらっと外出し帰って来るのはいつも夜。その間何処へ行ってるかは定かでない。それでも合鍵を作り渡してあるので、福寿荘の部屋の出入りに支障はない。
朝は「おはよう」、「おはようだな」、夜は「ただいまだな」、「おかえり」と挨拶もみんなメモ帳でのやり取り。こんな調子だからふたりで一緒に過ごすなんて、せいぜい三上が土曜日に休めた日の午後位のこと。
着ぐるみマンが同居したことによる、福寿荘でのトラブルも特になかった。大都会のアパートだから元々他の部屋への関心や干渉がない訳だし、そもそも三上たちには声による会話がないから、いつでも至って静か。着ぐるみマンも自分の立場をわきまえているし、三上に迷惑を掛けたくないので、いつも慎ましやかにしている。たまに出入りの時着ぐるみマンの姿を目撃され、変な顔をされることもあるけど、その場限りのこと。だから着ぐるみマン同居後も、福寿荘は至って平和。穏やかな日々が流れている。
では実際の着ぐるみマンの福寿荘での暮らし振りはと言うと、これがまた極普通。物静かで、三上でさえ隣りの部屋にいることを忘れる程。またトイレと風呂も普通に使う。どちらも着ぐるみを脱いで用を足してはいるらしいけど、覗いたことがないから実際どうなのか三上には分からない。鶴の恩返しにも似た恐さがあって見るのが恐いし、同性だから覗く気もない。風呂は湯舟には浸からず、シャワーだけで済ます。これは三上も同じ。では食事はと言うと、何処か外で適当に済ませて来るのか、アパートの部屋で食べることはない。部屋の掃除もちゃんとやっているようだし、洗濯も三上の洗濯機は使わず、コインランドリーでちゃんと済ませているらしい。ただしコインランドリーで洗濯するのは下着類だけで、着ぐるみは手洗いし身に付けたまま乾かしている。
夜帰って来ると着ぐるみマンは先ず三上の部屋を訪れ、美樹の遺影に手を合わせる。はい、合掌。それから特に用事がない限り、メモ帳に「おやすみだな」と書いて三上に挨拶し、三上からの「おやすみ」の返事に頷いて、後はさっさと自分の部屋に戻る。部屋でひとりぼっちで何をしているかと言うと、せっせとメモ帳に何かを書いたり、荷物の整理をしたり、乾電池式のラジオをイヤホンで聴いたり。照明による電気代を気にしてか、大抵は早めにシャワーとトイレを済ませると、とっとと照明を消し、着ぐるみのまんま布団も使わず畳の上で大の字になってグー。いびきは殆ど掻かず、すやすや、すやすやと着ぐるみの中から寝息が漏れ聴こえて来る。寝返りも打つ。
それでも転がり込んだ当初の着ぐるみマンはなかなか夜寝付けず、横に布団を敷いて三上が話し相手になって上げたものだった。話と言っても勿論メモ帳でのやり取り。着ぐるみマンは、夜な夜な故郷の思い出話をメモ帳に綴った。
「夢の国は冬になると、雪ばっかりなんだな」
「つまり、雪国ってことか」
「夢の国は夏から秋にかけて、りんごがいっぱい実るだな」
「へえ、りんごの産地でもあるわけだ」
「小さい頃風邪を引くといつも、りんごをジュースにして飲ませてくれただな」
「すっぱくて、体によさそうだな」
「小さい頃夜明け前に目が覚めると、いつも海の音がしてただな」
「夢の国には、海もあるってかい」
「だからこっちに来ても夜明け前に目が覚めると、波の音が聴こえる気がしてならないんだな」
「だけど実際聴こえてくるのは、都会のノイズと足音だけってか」
「それから涙の音だな」
涙の音……。
「そんな音ねえよ」
「おいらには、聴こえるだな」
涙の音が聴こえるって。はて、一体どんな音してんだ。疑問に思いながらも、着ぐるみマンの言う、じゃない書く言葉を決して否定したりばかにしたりはしない三上。ただじっと聴いている、じゃないじっと眺めているだけ。そして夜明け前、すやすや、すやっと眠り続ける三上の横で、目を覚ましぼんやりとひとり寂しく、膝抱え耳を澄ませる着ぐるみマンがいた。
桜がまだ僅かに残るGW前の土曜日の午後、ふたりは久し振りに夢の丘公園へと出掛けた。
それは着ぐるみマンがそこを追い出され、三上の部屋に転がり込んで以来初めてのこと。ところが公園は、着ぐるみマンたちがいなくなってすっかり様変わり。ダンボールもブルーシートも撤去され、今ではすっかり区民の憩いの場。ここにいた連中みんなは一体何処へ。いつもふたりが坐っていたベンチにも先客、熱々のばカップルども。周りを見回しても幸福そうな家族連れやアベックばかり。仕方なくふたりは、遠慮がちに隅のベンチに腰を下ろした。桜は散ってもまだ地にたんぽぽの黄色い花が咲き、風に乗って種も元気に飛んでゆく。
飛んで来たたんぽぽの種が、ふわふわとした着ぐるみマンのお腹に付着する。けれど着ぐるみマンに寄って来るのは、たんぽぽの種ばかりではない。野鳥も寄って来る。雀、鳩、それにカラスまで。
「カラスなんて、うっとうしくねえか」
三上がメモ帳で尋ねる。すると着ぐるみマンがお返し。
「カラスも本当はいいやつなんだな。あいつら自分が嫌われ者だとちゃんと知ってるだな」
嫌われ者だって。へえ、と感心する三上。じゃ、人間の屑の俺と同類ってこったな。
それから野良猫も寄って来る。着ぐるみマン始め公園の住人たちが世話していたと言う野良猫が、後から後から着ぐるみマンの周りに集まって来て、その数ざあっと十数匹。うへえ、すっげえや。おめえ、丸で野良猫の大将みてえじゃねえか、おい。感心しながら、問う三上。
「猫好きなのか」
「大好きだな」
そっか、でもよ……。申し訳なさそうに綴る三上。
「でも俺んちじゃ飼えねえからな」
「わかってるだな、気にしないでくれだな。野良猫にはかわいそうだけど、おいらだっていつどうなるかわからぬ身だな」
わからぬ身……ですかい。そんなもんかねえ。少し寂しげな三上。
気が付けばもう夕暮れ時。ひんやりとした風が頬を撫でてゆく。
「そろそろ帰るか」
三上がメモ帳に書けば、着ぐるみマンは頷きながらお礼を記す。
「ああ、のんびりできただな。有難う」
平仮名で書きゃ良いものを、有難うの「難」の文字が例によって、倍近い大きさ。
ふたりはよっこらしょとベンチから腰を上げ、公園を後にする。帰路、福寿荘への道すがら、機嫌良さそうに三上が誘った。
「明日も行くか、公園」
しかし着ぐるみマンは物凄く悲しそうな顔になって、済まなそうにかぶりを振った。
「おいら明日はバイトだな。申しわけないだなあ、あんちゃん」
バイト、まじかよ。びっくらこく三上。でも、ああ、成る程ね。三上は頷く。そう言うことかい。だから毎日朝から出掛けてやがったのか、こいつ。バイトかあ。道理で飯代とか洗濯代とか、金が有る訳だ。でも、偉い偉い、見直したぜ。
でも、どんなバイトなんだろ。危ねえ仕事じゃねえだろな。心配と同時に三上は興味津々。しかしその場で着ぐるみマンに問うことはせず、三上は悪巧み。よし、そいじゃ明日こっそり、こいつの後を尾行してやっか。どうせ暇だし、俺。
さて翌日、日曜日の朝。三上は今日もお休みで、着ぐるみマンの様子を窺っていた。すると午前九時前、のこのこと着ぐるみマンは福寿荘を出ていった。その後を気付かれないように尾行する三上。なあに、相手は着ぐるみだあ。後ろにさえいれば、気付かれるこたないだろう。それでも用心で、サングラスを掛けマスクして帽子まで被った。
着ぐるみマンは先ず、JR新宿駅の前に到着。この先どうすんのかと、人込みに紛れながらぴったりくっ付いてゆくと、へえ。やっこさん、駅の改札には行かず、そのまま駅前のデパートへと向かっていった。そこは、木馬百貨店。
でも百貨店はまだ開店前。どうすんだろと見ていると、百貨店のビルの中からひとりの警備員が現れ、着ぐるみマンを見るや、そのまま中に連れていった。ありゃりゃ、知り合いかい。まいったな、どうしよう。ひとりぽつんと、百貨店の前に取り残された三上。仕方ねえ、開店まで待ってやるか。でもよ、もしかして、こん中のバイトか。だったら何処いんのよ。まさか、全館巡って捜せってか、おい。
午前十時、いよいよ木馬百貨店のオープン。三上はいざ先頭を切って入場した。さて、何処へ行こうか。あの野郎、何処いやがんだ、ったく。犯人を追う警官の如く、三上は地下の食品売り場から始まって百貨店のフロアを隅から隅まで順番に巡りながら、上階へと昇っていった。しかし着ぐるみマンの姿は見当たらない。
待てよ、考えたらあんな薄汚れた着ぐるみ野郎なんて使う店あんのか。ましてやここは高級百貨店だあ。てことは、答えは限りなくNOだなあ。いやもしかしてあいつ、着ぐるみなんか脱いで、渡辺として働いてたりして。やばい、そしたら目立たない中年男の風貌だろうから、見付けにきいぞ、まったく。
半分諦めつつもエスカレータで昇りながら何とか残りの階を巡り、とうとうエスカレータの終点に到達した三上。そこは最上階である十二階のレストラン街。げ、こんなとこ、全部中入って捜す訳、いかねえだろ。何処も高そうな高級レストランばっかだしよ。貧乏人の代表みてえな俺に、そんな金ねえぞ、ったく。ところがそんな途方に暮れる三上の前に、気付いたら一枚の看板。何だ。見上げると、看板にはこう記されてあった。
「ドリームランドへようこそ」
何、ドリームランドだと。妙にどきっとする三上。看板に記された矢印の方角に歩くと、高級レストラン街の外れ。人影も絶えて、ものすごーく静か。見るとそこに、短い階段があるではないか。三上は恐る恐る階段を上った。すると三上の目の前に現れたのは、百貨店の屋上の入口。なーるほど、屋上かーい。三上はほっと一息吐いた。それからゆっくりと、三上は屋上へと足を踏み入れた。眩しい日差しが三上を迎える。見上げると、新宿の青い空。視線を戻して屋上を見回すと、そこは紛れもなく遊園地だった。遊園地。あ、なーるへそ、ここがドリームランドねえ。成る程ドリームランドってのは、木馬百貨店屋上の遊園地のことだったのか。納得。
でもドリームランド……。あっ、もしかして。三上は閃く。そうか、夢の国じゃん。なあんだ。じゃ、ここがあいつの言う夢の国って訳か、成る程。何がM78星雲だよ、ふざけやがって。でもまあ、ここがバイト先だってのは、間違いねえ。しかしあいつも、良く考えてやんなあ。ここだったら、あの着ぐるみでも全然違和感ねえし。
さ、何処にいやがんだ、あの野郎。きょろきょろ見回す三上。流石快晴の日曜日の百貨店の屋上だあ、さぞかし家族連れで大賑わいかと思いきや、意外にも人影はまばら。まだ昼前だからって訳かい。三上はとぼとぼ歩き回る。
屋上の遊園地だからって、舐めちゃいけねえぜ。それなりの遊具が、ばしっと揃っていやがんだから。珈琲カップ、豆汽車、ジェットコースター、お化け屋敷、コイン式のピカチュウやらドラえもんやら。流石に観覧車はねえけどよ。おっと、中央にどかんと青い屋根のカルーセルがありやがるうう。すっげーーっ。それに生意気に、舞台と客席まで用意されていやがった。
見ると舞台では、今まさにアトラクションの最中。何やってんだと見ると、正義の味方アンパンマンショー。はあ。がくっと拍子抜けの三上をよそに、テンション高いお姉さんのアナウンスに合わせて、アンパンマンとバイキンマンが格闘中。勿論アンパンマンとバイキンマンは、着ぐるみ。ん、着ぐるみ……。もしかして、どきっ。引き寄せられるように、三上は舞台へと近付いていった。客席に人はまばら。アトラクションの盛り上がりも今ひとつ。そこで三上はがばっと最前列に腰を下ろすと、腕を組みじっと舞台を見詰めたのだった。
これだよ、これ。あいつのバイトってのは、間違いねえ。多分このアンパンマンかバイキンマンかのどっちかじゃねえのか。三上はぎょろっと、舞台の中央に目を凝らす。
はたして、どっちだ。アンパンマンの方ではないか、そんな気もしたけれど自信はない。いや、もしかしたらバイキンマンの方かも。うーん、わかんねえ。迷いに迷う三上。なぜならどっちの着ぐるみも真新しいぴかぴかで、あの草臥れて薄汚れた着ぐるみマンとは大違い。
遂に正義と邪悪との死闘は終焉を告げ、筋書き通りアンパンマンの大勝利。こてんぱんにやっつけられたバイキンマンは、とっとと尻尾を巻いて退散し、舞台の裏へと消えていった。ありゃりゃ、かっちわりいぜ、バイキンマン。そしてアンパンマンだけが舞台の上で、高らかに勝利のガッツポーズ。いえーーぃ。客席の数少ないちびっ子たちの歓声に応えていた。
『これにて、アンパンマンショー午前の部は、終了致しまーす』
相変わらずハイテンションお姉さんの挨拶で、ショーはお仕舞い。ありゃりゃ、終わっちまった。
誰もいなくなった客席に、ひとり取り残された三上。そこへその肩をとんとんと叩く影ひとつ。誰だあと振り返ると、そこには先程敗れた不様なバイキンマン。お、何だこいつ。見るとバイキンマンの手には、見慣れたあのメモ帳とボールペン。はあ、もしかしてどころじゃない、間違いなくこいつが、着ぐるみマンてこった。じゃ何かい。着ぐるみマンがバイキンマンに着替えて、夢の国のアンパンマンショーに出演してまーす、ってか。たく、面倒くせえなあ、訳分かんねえ、まったく。
隣りに坐れよと手で合図した後、三上はメモ帳で問う。
「アンパンマンの方じゃなかったのか」
すると答えて、着ぐるみマン。
「正義の味方はやらないだな」
「なんで」
「おいらは悪役がお似合いだな」
はいはい、気取りやがって。このタコ、じゃねえ、着ぐるみマンさんよ。
「こっちの方がギャラもいいだな」
へ、そうなのかい。成る程と頷く三上。見るとバイキンマンの背中には黒い小さな羽根があり、ドリームランドを吹き過ぎる風に揺れていた。
「いつまでやんの」
「お昼の部と、三時の部が残ってるだな」
「じゃ、俺先に帰っから」
三上の言葉に頷く着ぐるみマン。ドリームランドの中央に陣取ったカルーセルが、子どもたちを乗せ、のんびりとそれは気持ち良さそうにゆっくりゆっくりと回っていた。カルーセルのBGMは映画『フォローミー』のテーマ。何処から飛んで来たのか、そしてまだ何処かに桜が咲いているのか、着ぐるみマン演じるバイキンマンの羽根に、桜の花びらが舞い落ちていた。
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