(四)置き手紙

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(四)置き手紙

 婚約して幸せいっぱい、ゴールイン間近の三上にとって心配の種は渡辺。ところがこの間の桜舞う山手線の線路での自殺未遂以来、一緒に線路に寝転がるという三上の捨て身の行動が効いたのか、渡辺の自殺願望はぱたっと止まってしまう。それは良いことなのだが、またいつ再発するかとやっぱり気が気でない三上。  結婚を控え、美樹と三上は大忙し。ボランティア好きのふたりも、流石に他人のことまで気が回らない。そうこうしているうちに桜も散った五月、なぜか突然渡辺との予期せぬ別れが三上を襲った。  結婚式場の下見を済ませて、ひとりマンションに帰って来た土曜日の午後。三上はふと胸騒ぎがして、試しに渡辺のハウスを覗いてみた。すると渡辺は留守で、その代わりいつも渡辺が食事する時愛用している玩具のような折りたたみ式テーブル、これも三上があげたもので、その上に一枚のメモが置いてあった。ご丁寧なことに隙間風に飛ばされないように、ちゃんと大きな石ころで固定されていた。悪い予感……。まさか遺書ではあるまいと、三上は急いでメモに目を通した。 「あんちゃん、おいら、いい仕事が見つかったから、急なことだけど引っ越すだな。おいらのこたもう心配いらないから、あんちゃんは観音様と幸せになるだな。いつか金貯めて恩返しすっから、待っててくれだな。じゃ世話になっただな。有難う、さようなら」  先ず遺書ではないから一安心。だけどこれって置き手紙。ハウスの中を見回すと、確かにあのマジソンバックがふたつとも見当たらない。やばい……。 『うわーたなべさーん』  大声で叫びながら、三上は夢中で渡辺のハウスを飛び出した。なぜか涙が零れそうになるのを必死で堪えながら、子どもの頃に読んだ『泣いた赤鬼』を思い出した。あの中に出てくる、青鬼の手紙のことを。  と言っても、何処へ捜しにいけば良いのか分からない。もうすっかり陽は沈み、公園も街も夜の佇まい。まあ遺書でないのは確かだし、文面から自殺の心配もなさそう。でもいい仕事って本当だろうか。悪い連中に騙されたりしてないだろうか。それに恩返しだなんて、そんなこと気にしなくていいのに。渡辺さんのお陰でこうして美樹とも出会えたのだから、もう充分に恩返しなら済んでいる。やっぱり渡辺さんって、本当に良い人なんだから。渡辺との思い出の日々があれこれと浮かんで来て、胸が詰まる三上。  文面からすると、それに意外に達筆、まっとうに働いて立ち直ろうとする意欲さえ感じられる。別れは辛いけれど、これも渡辺さんの再出発の為。三上はそんなふうに現実を受け入れた。三上の様子に心配して集まった公園のみんなに、事情を話した。 『あ、そういや、やつ。何かいい仕事はないかって、探していたな』 『どういう風の吹き回しだ』 『これも、美樹お嬢さんのお陰さね。やつじゃないけど、ほんと観音様みたいなお人だ。三上さん、あんた幸せにして上げなきゃ、罰当たるよ』  何だかんだみんなと話しているうちに、少し落ち着きを取り戻した三上。渡辺のハウスに引き返し、渡辺の置き手紙を大事に大事に胸にしまうと、一先ずマンションに戻った。直ぐに美樹に連絡を入れた。 『渡辺さんの幸せを祈りましょう』  すると美樹は、寂しがる三上を気遣い慰めた。  残された渡辺のハウスについて一旦は取り壊すことも考えたけれど、面倒だしもしかしたらまたふらっと帰って来るかも知れない。いつ帰って来てもいいように、しばらくは残しておくことにした。
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