ベルジックの剣と魔女の庭

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1  マリエル・ド・ベルジックはアザールの王都に呼ばれた。  亡父の兄であるコブール王が住まう宮殿の豪華さには、訪れるたびに目を見張る。白亜の古代様式の大きな柱は堂々としている。内部は金と白い大理石で作られており、豪華ではあるが、マリエルの目から見ると、少し華美に思えた。  マリエルが住む地方の屋敷は広さもそこそこで、造りも質実剛健なものだった。  王の親類としては貫禄が足りないと貴族たちに陰口を叩かれているのは知っていたが、亡き父が己の方針で別荘としてそのような館を建てたのだ。  普段の職務が忙しいため、私的な時間はせめて自分の趣向を優先し、ゆったりとした時間を過ごしたいと父が度々言っていたのを思い出す。  別荘とは言え、マリエルと母サリアの生活の場所は主にナミュアル城は、今から百年前に建てられ、元は城塞だったのだが、後に居城として増築された。  そこでマリエルは、広大な図書室のあらゆる書籍を読むことを楽しみとしていた。両親の方針で教養を身に着けることを重視し、また剣術も多少習い、庭園の植物を育て、その中の薬草に興味を持った。庭園の手入れや料理などは、貴族が直接行うことはないのだが、マリエルもサリアも時には、下働きするものたちと混じって作業をするのを楽しみとしていた。  だが、父レイホンが亡くなったことで平穏な生活も変わってしまった。  王弟として信頼厚く、国民にも人気があった。それがため、コブール王が擁する臣下の者たちからは多少距離を置かれていた。  それをコブールは敏感に感じ取っていて、目立たぬような文化や芸術を統括する職務に就いていた。  本来なら王弟として、もっと重要な役職――例えば、王の補佐役――であってもおかしくないのだが、それはコブール王の猜疑心を招いてしまう。そのことを充分承知していた。  謁見の間に招かれ、マリエルはサリアと共に玉座の前に歩み寄る。 「顔を上げよ」  コブール王の呼びかけに母娘は顔を上げた。  肥満気味の中年の叔父の姿に愕然としながら、表情に出さないようにする。マリエルが幼い頃はすらりとして颯爽とした雰囲気だったのに、王になってから、美食と大量の飲酒ですっかり面変わりしていた。  王の座に就いた後、人が変わったようだとは国民の間でもっぱらの噂だった。  コブール王の隣の椅子には、対照的に、極端に痩せぎすの王妃が胸を反らすように座っていた。  高々と結い上げられ、白い粉に覆われた髪には金や銀、真珠の飾りがあちこちからまとまりなくぶら下がり、その服装はと言えば、光沢のある素材は絹だと知れたが、ピンク色の本体と白いリボンであちこち結ばれたドレスは若い娘がまとうのには、引き立てるのであろうが、そろそろ初老を迎える王妃にはいささか苦しいと言わざるを得ない。それが隣国のルロワ王国の流行が伝わったものだとはわかっていたが。  王の親族としては宝石もイヤリングとシンプルな真珠のみという質素な服装のサリアではあるが、上品な落ち着きと穏やかさをまとう母とはずいぶん違う。  そう思いつつ、マリエルはあまり表情には出さぬよう、王や王妃と目を合わせねばならない。 「二人とも遠いところをご苦労であった。今日、二人を呼んだのは、大事な話があるからだ」  マリエルは息を呑む。大事な話と言って呼び寄せた時にはいつも自分たちにとって良い話はないからだ。 「マリエルのことだが」  自分の名を呼ばれ、息を呑む。緊張が身内を走る。 「わが国とは縁が深いラロワ王国の王子に嫁がせる話が決まった」 「マリエルを、ですか……」  サリアは絶句する。ラロワの第三王子エメリックと言えば、暗愚と言われている。  父王が亡くなり、第一王子が王位を継ぐはずであったが、その第一王子が病で亡くなり、エメリックが王位継承という動きが出てきた。第二王子は神の道を選ぶことになり、王位を捨てた。この件でも大騒ぎになったが、結局第三王子であるエメリックが次の王ということになったのは、わずか一年前。 「私の話が不満か? これはまたとない話だぞ。嫁がせるに当たっては充分な支度をする。お気に入りの侍女も連れていける。このまま、あの領地を放置するわけにもいくまい。ロスタンの行方もわからぬままでは」  兄の名を出され、マリエルは唇をかむ。  兄のロスタンは北のオデルラントとの戦で大隊長として指揮を取っていた。  小国アザールは何とか勝利し、条約を結ぶことができた。その凱旋の帰還中に行方知れずになってしまったのだ。  しかも、ロスタンが携えていた剣は特別なものだった。大天使が持っていたという伝説の大剣だった。ベルジック家に伝わるものだ。その伝説そのものよりも柄(つか)に埋め込まれた宝石が目当てではないかと言われていた。  コブール王が言いたいのは、ベルジックの領地を継承する男子がいないのだから、このまま、王の直轄の領地としてしまおうと言うことだろう。  マリエルは、決して活発な方ではなかったが、男性だけが家督を継ぐという慣習には馴染めなかった。海の向こうの国では、女王も誕生しているではないか。  だがこういうことを回りに言うのは憚られるた。  女は家庭を守り、子孫を生むのが一番の役目という考えは一般的だったが、父の教えはそうではなかった。 『マリエル、女だからと言って馬に乗るなとも剣を取るなとも言わない。子孫を作ることは大事だが、それは男だけ女だけでは出来ないことだ。それに神の道を歩む修道士は神の教えを代々教えることだ。子孫を作ることだけが人間の目的ではないこともある』  父はロスタンだけでなく、マリエルに勉学や乗馬を教えてくれた。手芸だけではなかった。母のサリアもかなり知識を持つ人であったし、庭の手入れなども自ら行っていた。マリエルも時には庭師に教えてもらいながら、庭の一角にお気に入りの花を植えることもあった。  図書室で読んだ本の数々にも思いがけない思想を展開しているものもある。今、かなり話題の書はヴォルトという思想家が書いた本だった。  ヴォルトはアザール出身だが、その思想は先鋭的で王の考えにそぐわないということで、目をつけられていた。それを感じ取ったのか、ヴォルトはラロワに移住した。  そんなことを考えても、面と向かって何かを言えるわけでもない。だが思い切って口を開いた。 「では、私が嫁いだ後、母はどうなるのでしょう?」 「サリアのことなら心配ない。この宮殿内に住まわせる。丁重に扱う。数少ない身内であるからな」  王は、わずかに笑ったが、その口調はどうしても二心あるように思えてしまう。  王弟の妻とは言え、今となってはベルジック家には男子もいない。このままでは領地は成り立たない。王の領地となり、後はサリアの処遇がどうなるか。誰か支えになる人が必要だ。 「わたくしのことならご心配いりません。修道院に入ることになっています」 「なんだって!?」  レイホン王の驚きの声が上がる。マリエルも今初めて聞かされたことだった。 「夫が亡くなった後、ロスタンが後継者としての役割をしっかり担うのを見届けた後、入ろうと思っていました。夫が亡くなった時に修道院長にはお話をしてあります」 「うむ……そうか」  修道院の力には王と言えども逆らえない。オデルラントならともかく、アザールやラロワでは神の偉大さを伝える者の力は無視できないものなのだ。この三国は百五十年ほど前は一つの国だった。  ただ、修道院に入れば、貴族としての生活とは縁がなくなる。ベルジラック家は、さほど華やかな暮らしをしていたわけではないが、それでも侍女もいない地味な修道院の暮らしとなると、まるで環境が変わるだろう。  まだ何か言いたげではあったが、レイホンは口を閉ざす。 「マリエル、引き受けてくれるな? これは大事な役割だ」  問いの形をしていても、実質的には命令だ。否と言えるはずもない。母の生活が安泰ならば、それでいい。 マリエルは一息し、承諾の返事をした。 2  マリエルは修道院の倉庫の中でイーゼルに立てかけられた肖像画を見つめていた。  父と兄、それぞれの肖像画ともベルジック城から運びこまれ、置かれていた。大して価値を持たないと思われるものは城から運び出す許可も出ている。  栗色の豊かな髪と静かなまなざしの壮年の男性が佇んだ絵と彼に似た青年の絵が一枚ずつ。 いずれも同じ服装をしている。落ち着いた深い青の服は宝石などほとんどついていないが、質の良いものだとわかる。オデルラントで発達した毛織物と東方から伝わり、ラロワで発達した絹織物からなる深い緑と白い毛皮の組み合わせに洗練を感じる。  手には、あの大天使の剣。実物は見たことはないが、大振りの剣の柄と鞘には凝った意匠の銀の彫り物が施されており、柄頭には青い宝石が埋められている。鍔は翼の形をしている。  宝石で飾り立てた派手な剣ではないが、目を惹かれる。伝説では、その剣を手にした者は、大天使の加護を得るというが、父も早世し、兄も行方知れずになった。そんな伝説など信じはしない。だが剣そのものも失われて今はないのだ。  ――せめて兄の行方を捜したい。けれど今はまだ母を守らなければ――  マリエルは心に誓った。 (続く)
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