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苦行1 ―― 入浴
※まず、安宿のバスルームについて簡単に。
便器とシャワーがついているだけで、通常バスタブはない。(あってもあまり清潔でないので使う気になれない)
洗面台はあったりなかったり。腰より低い位置に、バケツに水を溜めるための蛇口があることが多い。
バスルームなしの部屋の場合は、共同シャワー室・共同トイレを使用。
【水量と水圧と水浴び】
1.
ブロードバンドの宣伝だったと思うが、ふた昔ほど前にこういうCMがあった。 男性がシャワーを浴びていると、隣のシャワー室に誰かが入る。すると、シャワーの水が出なくなる。
まさに同じ目にあったことがある。
ジャカルタの某安宿、共同シャワー室でのことだ。
隣の個室シャワーへ入った人物は、どうやらなかで洗濯をしているらしかった。ジャバジャバと水を流し始めた途端、わたしのシャワーはぴたりと水を止めた。一滴たりとも出やしない。
ざけんなよ、このクソ宿め!
隣人は鼻唄なんぞ歌いながら、悠長に洗濯を続けている。頭からつま先まで泡にまみれたまま憤然と立ち尽くす人間が隣にいることなど、想像だにしないのだ。
しかし彼に責任はない。この宿でまともに洗濯ができるのは、ここ以外にないことを私も知っている。
まだか……まだ終わらないのかちくしょーめ!
全身を包んだ泡が少しずつ弾けて消えていく。やがて、わたしは泡さえ纏わぬ赤裸々な姿となった。
なにもすることなく、全裸で長時間ひたすら立ち尽くすことが、はたして人生に何度あるだろうか……人生に何度……。
そう思い至った瞬間、心のなかの雷雲は流れ、清らかな陽光がすうっと射し込んだ。
世界がひらけ、澄んでいく――――……。
……すばらしい! なんて貴重な体験なのだ!
苦行は悟りを開かせる。お釈迦さまの言うとおりだ。
初めから出ないのではなく、出ていた水が出なくなる。旅人はそれを怖れる。
しかも、わりとありがちだったりするから困る。
水不足でそうなるならば、まあ仕方がない。(腹は立つが)
しかし、たんに屋上のタンクへ水を入れ忘れていただけ、ということもある。
宿の怠慢におおいに振り回され、憤慨し、落胆し、疲労するのだ。
2.
シャワーは曲者だ。充分な水量や水圧がなければ、浴室の飾りと成り果てる。
宿泊先ではじめて入浴する際は少々緊張してしまう。ドバーッと出れば「キタ――――ッ」となるが、チョロチョロだと「ショボ―――ン」である。
水量のないシャワーを浴びるくらいなら、バケツにでも溜めて手桶で水浴びをしたほうが10倍早い。アジアの安宿の多くは、バスルームにお尻洗い・便器流し用のバケツと手桶が付いている。
そもそもシャワーがなく、作り付けの水槽に水を溜めて、水浴びとトイレ両方に使用するバスルームもある。
トイレ用のバケツ……? ――――と、気になるのなら好きなだけ洗えばいい。そんなこともあろうかと、わたしはスポンジを持って旅している。
なんで客がこんなことを――――? もちろん、そう思いながら。
水圧は充分あるのに、シャワーヘッドから流れる水がほんの数筋しかないことがある。ヘッドの穴に水垢などゴミが溜まっているのだ。
そんなときは楊枝でつついて掃除してみよう、きっと快適なシャワーに生まれ変わるはずである。ちなみに、楊枝は機内食に付いて...(以下略
なんで客がこんなことを――――? だからもちろん、そう思いながらだ。
【水しか出ない】
暑い地域で、もともと水しか出ないシャワーなら、なにも問題はない。
それなりに寒い地域にも拘わらず、もともと水しか出ないという場合も、さほど問題ではない。陽の出ているうちに我慢して浴びるか、もうはじめから入浴なんて諦めてしまえばいい。寒いのだから汗はかかないし、頭がかゆくなったら頭だけ水で洗えばいいのだ。
ゆゆしき問題は、お湯が出るはずなのに水しか出ないことである。
こちらはもう期待しちゃっているのだ。熱いシャワーを浴びて、心身ともにリフレッシュすることを。
なのに――――水しか出ない……だと?
イライラしながらレセプションに向かい、お湯が出ないと訴えると、
「5分流すと出てくるはず」
と返された。
しかし5分待っても10分待っても出やしない。
大きな期待はより大きな失望にかわり、わたしを辟易させる。
もう……いい……時間の無駄だ。
ホットシャワーには何度裏切られたか分からない。
ネパールの安宿のようにソーラーシステムである場合、天気の悪い日にはお湯は出ない。これはもう天気を見れば一目瞭然なので、無用な期待をしてしまう心配がないだけいい。
いまのいままでお湯が出ていたのに、急に水になる――――これもありがちだ。
ボイラーの調子がおかしいのだろうか。また、電気湯沸かし器の場合は使いすぎるとお湯がなくなり、ぬるくなることがある。
一番やっかいなのがこの、お湯が水になってしまう現象なのだ。石鹸を流す前に水になったら最悪だ。
水になるのはいつだ? いつなんだっ!!
怖れ、おびえながら、旅人は慌ただしくシャワーを浴びる。リラックスなどという言葉はない。逆にひどく疲れてしまう。
【熱湯しか出ない】
水を混ぜながら適温にできればいいが、いちどシリアの宿で熱湯しか出なくなったことがある。
はじめは適温だったのだ。例によって泡まみれの状態で、水だけが出なくなった。
これは困った、熱すぎてまともに浴びるのは不可能だ。
わたしは両手の人差し指で側頭部をくるくると撫で、一休さんのごとくトンチを働かせた。
さいわい、共同シャワーではなくバスルーム付の部屋だった。寒いのを我慢していったん部屋へ戻る。そして、ミネラルウォーターの空きペットボトルをふたつ抱えて再度バスルームへ。
まずは右手のボトルに熱湯を注ぎ、それをできるだけ遠くから左手のボトルへ注ぎ込む。空気にさらして冷ますためである。何度か繰り返すと適温になった。
我ながら素晴らしい思いつきだと感心してしまった。
不自由がこんなにもひとを賢くさせるとは。
同時に、そんな自分に呆れもしたけれど。
上記の手順をひたすら繰り返し、無事、入浴は終了した。たいへん時間がかかり風呂上がりなのに身体は冷え切っていた。冬のシリアのはなしである、風邪をひいたのは言うまでもない。
旅を続けるうちに、ひとつだけ真理を見つけた。
「寒冷地では入浴など初めから考えない」
迷いを捨て去ると真理に到達する。お釈迦さまの言うとおりだ。
【その他、浴室の不自由乱れ書き】
狭い......暗い......掃除が行き届いていない......タオルや脱いだ服を置いておく場所がない。
水はけが悪い(排水溝が床の一番低い位置にない)......すきま風が入り寒い...etc
以上のことを気にかけながら、見知らぬ土地で(可能なら)毎日入浴する。 ときに安楽の吐息を漏らし、ときに怒り狂い宿を呪詛しつつ。
いちいち心乱される未熟な自分にとって、それは旅の苦しみでしかない。
入浴は、つらいのである。
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