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ノバラは、ちょうど一年前のパレードを思い出していた。
あの時、彼女は初めてブランブルー国の王子を見た。お祝いに駆けつけた民衆に取り囲まれて、手を振り、笑顔をふりまいていた、まだ十四歳の幼い少年――流れるような金髪と、見つめられたら吸い込まれそうな碧い瞳。ノバラの村にはあんなにきれいな男の子はいなかった。やっぱり王子さまは格がちがうなあと、あの当時はのんきに思っていた。
その王子の顔と、目の前にいる少年の顔が重なる。
「あなた……王子さま?」
少年はわずかに顎を引き、表情を引き締めると、狭い窓枠から左腕をそっと出してみせた。ノバラの手首から伸びた細い蔓が、少年の左腕に巻きつけられている。一本の蔓によって、ノバラと少年は繋がっていた。ここから、この少年がノバラをずっと操っていたのだ。
「わたしの声、ぜんぶ聴こえてた?」
少年は小さく頷いた。
やがて、かすれた声が少年から漏れた。
「あー……」
「え?」
「あー、ゴホン」
最初はうめき声のようなものだったが、咳払いを何度も繰り返した。
「なにしてるの?」
「いや。長らく、外の人間と言葉など交わしていなかったものだから……失礼」
少年の声は、驚くほど低く、不明瞭だった。
「ああ、そうだ。ぼくは……この国の王子」
少年は陰気な声でつぶやく。
「でも、隠された王子……生まれてくるはずじゃなかった、王子」
「……ええとつまり、どういうことでしょうか。わたくし、よくワカリマセン」
ノバラは王族への対応の術が分からず、片言の敬語を使った。
「はは」
少年は、喉の奥が枯れたような声で笑った。
「丁寧語なんか必要ない。ぼくは一般市民よりも劣る、人間以下の生物だ。おまえ、知らなかったろう。ブランブルー国の王子はふたりいるのさ。女王の一人息子だと誰もが信じて疑わないロサ王子と、そして――」
ガラス越しの少年の瞳が、曇る。
「誰に目にも触れないように閉じ込められている、このぼく」
「じゃあ、あなたは……」
「ぼくはロサの双子の弟だ」
水分不足でひび割れた唇の端を曲げ、少年は自嘲の笑みを浮かべた。
「弟さん……なんて、いたんだ。あなたの名前は?」
尋ねると、少年はとつぜん目を鋭くしてキッと睨んできた。
「無礼な奴だな! まずは自分から名乗るものだろう!」
「ああ、それは失礼したわね」
礼儀に細かいやつだ、とうんざりしながらノバラは名乗った。
「ノバラよ。趣味わるいでしょ。で、あなたは?」
「――ふ」
少年は鼻で笑うと、乾いてひび割れた唇で、誇らしげに言った。
「おまえに名乗る名なんて、ない」
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