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  *  *  *  ノバラは木を降りて、息をひそめて、壁の抜け道を探し出した。 「茨よ、我に力を」  王子弟に教わった合言葉を闇につぶやく。すると城壁が後方にずれていき、人ひとりが入れるくらいの抜け道が現れた。この城は忍者屋敷か。ノバラは悪態をつきたくなるのを抑えて扉をくぐる。今度はさっきよりいくらかまともな、壁紙の貼られた細長い廊下だった。ノバラは靴下で絨毯を踏んだ。  どちらにしろ、彼女は腹をくくるしかない。夜が明ければ城の人々が動き出し、王子弟の幽閉部屋には世話人が朝食を運んできてしまうのだ。そうなればノバラがどんな処分を受けるのか、想像するのもおぞましかった。城に侵入している時点でノバラに選択の余地はないのだ。  王子弟から伝えられた作戦を、ノバラは反芻していた。  まず王子弟は、ロサの私室へ行くための最も安全なルートを説明した。幽閉部屋には紙もペンもないので、決して近道とはいえない道順をすべて暗記しなければならなかった。方向音痴のノバラは十度も聞き返し、ようやく頭に叩き込んだ。  むろんロサの私室の鍵が開いているわけがない。着いたらどうするのだという問いに、知恵を使えばいい、と王子弟は偉そうに告げた。そして真面目一徹に、こう続けた。 「おまえ、妖精になれ」  ノバラはその一言ですべてを悟った。そうか、長年幽閉されていたから彼は可哀相な人なんだ、現実と虚構の狭間に生きている人なんだ、とノバラが「可哀相に……」にとつぶやくと、王子弟に「そうじゃない!」と全プライドを懸けて否定された。 「現実と虚構の狭間にいるのはぼくじゃない、兄だ。兄は王子という特殊な地位に就いているからか、甘やかされて育ったからかは知らないが、馬鹿王子だ。十五歳にもなって、森には妖精やエルフがいると信じているし、真夜中にはおもちゃ箱からぬいぐるみが飛び出して歌いはじめると思い込んでいる」  幸いなことに、寝ていた恰好から着替える余裕もなくノバラはここまで来た。全身をすっぽりと覆う水色のワンピースという寝巻き姿は、昼間の普段着よりは、ずっと妖精に近いと言えた。 「おまえは妖精のふりをして、兄と遊ぶんだ。そうすれば怪しまれない。憧れの妖精だったら、鍵くらい貸してくれる」  むちゃくちゃな作戦だった。  ノバラは迷宮にも思える回路を進み、途中でトイレに立ち寄り、迂回を繰り返し、喋りだしそうなブロンズ像や、動き出しそうな武器が飾ってある壁を横目で見てびくびくしながら、ようやく、ノバラは目的地の部屋の前に着いた。
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