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「おにーちゃんせんせーありがとー」
「はーい、偉かったねー。これね、頑張ったご褒美のコイン。ガチャガチャ回して帰ってね〜」
休憩時間に倉庫を探ってみたところ段ボールに眠るカプセルトイセット(未使用品)を発掘した。導入するつもりで置いてあるんだろうに活用しないとは勿体無い。
「何年か前のテニス大会の景品なんです。院長先生、うちは高齢者さんが多いから様子見しようって仰ってそれっきりで」
「存在を忘れちゃったんでしょうかねー」
午後診も滞りなく進んでゆく。やはり忙しくしていると余計な事を考えないで済むのが有り難い。が、刻々と確実に『最後の枠』はやって来る。
「先生、ちょっといいですか? 七時の患者さん、先生のお友達⋯⋯」
「はい、来ました?」
「アポ帳ではハラグチさんですけど保険証のお名前が違ってて。間違いありませんか?」
⋯⋯⋯⋯本当だ。差し出された保険証の名前は『菊地勇魚』
「僕が思い違いしてました、すみません。間違いないです。新患登録が済んだら締め作業進めて頂けますか。レントゲンと洗浄消毒だけなんで」
「先生お疲れでしょう。私達、いつも施錠して帰ってますから後は任せてくださいね」
「ホント頼りになります。心強いです」
胸がチクチクしている。俺は⋯⋯勇魚が引っ越した後の事を何も知らないんだ。十五年間どこでどんな風に生活し、どんな経緯があって今またこの町に居るのか全く知らない。聞こうともしなかった。ただもう自分だけがいっぱいいっぱいだった。
『メシ行こメシ。積もる話しよーぜー』
知りたい、のか俺は。あいつの現在とか俺の知らない過去とか、知りたいのか。離れていた時間の空白を埋めて⋯⋯また『親友』として関わって行くのか。
「一誠! お疲れー!」
「お疲れ⋯⋯痛みぶり返してないか」
「全然!」
勇魚はニカっと笑う。その笑顔だけは昔と少しも変わらないと思えた。変わったのは、昔と違うのは、きっと俺のほう。おまえは何も悪くない。
「制服、めっちゃ歯医者さんぽいー」
「制服じゃない。ギョーカイでポピュラーな作業着だ」
「ふふ」
声は野太く男臭い容貌であろうとも、ちょっとした仕草が『勇魚』で結局ドキドキしてしまう。だけどもう、期待はしない。
「ん。欠片も残ってないし腫れもだいぶ引いたな。薬は最後まで飲み切れよ」
「はーい♡でもさ、抜けたとこってどうなんの? さしばってヤツすんの?」
「差し歯ってのは歯が残ってる状態でするもんなんだわ。おまえのは根っこからなくなったから無理」
「えー! 俺、さしばってこの穴開いてる歯茎に刺すもんだと思ってた!」
「大きな勘違いです。その概念としてはインプラントが近いです」
「インプラント聞いた事ある! じゃあそれすんの?」
「ご希望ならやりますけどね。一本四十万くらいですかね〜〜」
「高っ!!!」
「友達価格だわ」
こうやって “仕事” を通してなら⋯⋯大丈夫なんだろうか。うまく親友の顔を作れるんだろうか。
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