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本当に、覚えてない…?
やっぱり彼とは一度、どこかで会っているのだろうか。
「…いや、何でもないです。すみません、今帰ります。」
「あ…うん。気を付けて帰りなさい。」
「はい…先生もお仕事頑張ってください。」
「あぁ、ありがとう。」
「…じゃあ、さようなら。」
「はい、さようなら。」
その俺の声を聞いて、彼はドアの前から立ち去った。
俺は首を傾げながらも、早く作業を終わらせなければと思い、とりあえず彼のことを考えないことにして手を動かした。
慌ただしい1日が過ぎ、退勤の時間が迫っていた。
ただ、3年生を担当する俺には明日からの授業が待っている。…正直、1年生の授業を担当したかった。俺だって入学したての1年生と一緒にのびのび授業したかったさ…。まぁ、頑張ると決めた以上、頑張るしかない。
早速、明日は副担である3-5の現文と4と6の古典の授業が入っている。そのため、自分の指導案をもう一度見直し、少し修正を行った。そうしているうちに、他の教師たちは続々と退勤していく。
「あの!」
そう声を掛けられ、後ろを振り向くとそこには新卒で新任の女性職員。
「香椎先生、どうしましたか?」
香椎さくら先生。俺より1個下で、担当教科は俺と同じ国語。そして1-3の担任である。儚げな印象で、国語の教師という偏見かもしれないが、何となく奥ゆかしさを感じる。
「鶴岡先生は明日からもう授業ですよね?今も指導案の確認されてましたか?」
「あ、はい。そうですけど…」
「少しでいいので、指導案を見せていただけませんか?参考にしたいなと思いまして…。」
「それは構いませんけど…俺は3年担当なので、そんなに参考にならないと思いますよ?やはり受験を視野に入れていかないといけないので…自ずと受験向きな授業になってるかと思います。」
勿論、いきなり受験へ向けての指導案は作成していないが、進学校ではいかに模試で点数を取れるかを考えた内容にしていかなければならない。
…というか、新卒で教員になれた彼女の方が俺より優秀なはずだ。正直、指導案を見せたところで俺の方が恥をかくなんてこともあるかもしれない。…そう思いながらも自分の指導案を手渡した。
熱心に俺の指導案を見つめる香椎先生。
完全に手持ち無沙汰状態になってしまった俺は、そういえば…と楠木想のことを思い出していた。
『…本当に、覚えてないんだ…。』
何故か引っかかるあの言葉。小さく、呟くような声だったが、確かにはっきりと彼はそう言った。
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