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いつもどおりの時代錯誤な黒い長衣は騎士ではなく英雄王の衣装だが、ここはアリッサが妥協した。なのに彼は不満げな顔をしている。
「……何よ? いまさら演技拒否なんてさせないわよ?」
「余ではない。あの娘が帰ったようだ」
「は!?」
アリッサは、あわてて隣の楽屋のドアを開けた。
そこはもぬけの殻だった。
ただ誰もいないというだけでなく、アリッサが夜なべして繕ったヒロイン向けの衣装までなくなっている。
「何これ!?」
アリッサは悲鳴とともに、足音高くジェイロスのもとに戻る。
「まさかあなた、彼女と喧嘩したの!?」
「今日は顔も合わせていない。考えるに、あの娘も余が腐抜けた恋愛劇などを演じるという悲劇を目の当たりにしたくなかったのだろう」
「そんなわけないでしょ! ――どうするのよ、もう幕が――」
ジェイロスの背後の鏡に映るうろたえる自分の姿を、アリッサは呆然と眺めた。
体じゅうから力と体温が抜けていく気がした。
「為すすべがないといって逃げるのは、英雄王の為すところではない」
きっ、と目に力をこめて、ジェイロスは舞台がある方向を見据えた。
いにしえの英雄王さながらの凛々しい横顔に、アリッサは息を呑んだ。
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