雨をすぎれば

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 帰りの高速道路で渋滞に巻き込まれた。十七時半を回ったばかりの空はみるみるうちに夜の世界に巻きこまれていき、もう真っ暗だった。三車線は車で埋まり、ヘッドライトとブレーキランプがぎゅうぎゅうにせめぎ合っている。時間はさほど遅くないのに車線の先の見通しがつかないからか、瑞樹の腰の座りは悪かった。このまま辿り着かないのでは、と運転もしないくせに焦ってしまう。  青木が苛立ってやしないかと横顔を盗み見るも、暗がりで内心はうかがえない。瑞樹には、ただ真っ直ぐ前を見ているようにしか見えなかった。 「きれいだね」  とつぜん青木が口にした言葉に驚いた。 「え、なにが?」  彼の横顔は、そのままだった。 「ライトが街の灯りみたいだよな。ひとつのちいさい街に、ふたりで紛れこんでる」  なんだそりゃ、瑞樹は思う。そんなロマンチックなことを言われたら、青木の横顔から目が離せなくなる。けれどしかたないから、街の灯りと比喩された車道と車に目をやった。焦っている運転手もいるだろうし、いっそどっしり構えているひともいるかもしれない。ただ、これだけはまちがいないと思えるのは、この渋滞にふたりとも紛れているということ。 「ほんとだね」  つぶやいた声音がやけにしっとりしていて、気恥ずかしくて咳払いする。青木を盗み見ると、彼は柔らかく笑んでいた。 「ちょっと俺カラオケの練習するわ」 「は?」 「職場の飲み会でさ、若手に振られんだよな。ムカつくからぜってえうまく歌ってやりたくて」 「おまえ、行かないんじゃなかったの?」 「行かないとは言ってねえよ、行きますよそりゃ。お仕事だもん」  カーステレオを片手でいじり、Bluetoothを繋げて音楽を鳴らす。「あー、あー」と喉の調子を整えているのか、青木は声を上げた。 「先輩寝といていいよ。着いたら起こすから」 「はは! 寝れねえようるせえし」 「じゃあ聞いといて、俺の美声」 「はい十五点」 「うっそ、まだ歌ってねえんですけど。てか二十点満点だよな?」 「あほか、百に決まってんだろーが」 「ガチで泣かす。黙って聞いてろ」  暗がりの中で、青木は笑っていた。その横顔に見とれた。想定外のことが起きるとすぐに動揺する瑞樹とちがって、青木は昔から不測のトラブルにも動じなかった。  高校時代、瑞樹がゴリラに絡まれたときもすんなり力を貸し、瑞樹が北村とホテルの前にいても驚きはしただろうが引きもしなかった。男が男と寝るってけっこうな衝撃だろうし、知識として知っていたとしても実際に遭遇するのとは大きな差があると思う。「黄色の差し色がかわいい」にしても、そのとき感じた言葉をてらいなく口にすることに、青木はいつもためらいがなく潔かった。そういうところを好きになった。ずっと好きだった。手を伸ばせば届く距離に青木はいた。なのに瑞樹は、瑞樹自身に不寛容だった。  自分を許せないんじゃない。アプリのことを打ち明け、万が一青木のおおらかさで解決したとする。だけどそれだけじゃなくて瑞樹は、この関係が変わること、それがこわいのだ。  しばらく走って渋滞を抜け、その後はすんなり家路に着く。青木は瑞樹の自宅アパートまで送ってくれたが、朝停めた路肩ではなく来客駐車場に車を入れた。車内は無言で、青木の表情は強張っていた。どくん、どくん、と瑞樹の心臓が音を立てはじめる。耳も体も血液も騒いでいるのか、ひどくうるさかった。  言わないで、と思った。青木に告白されたらおれも言わなきゃなくなる。おれはずるい。隠していた自分の心を青木にでさえ、ひとつまみでも明け渡すのがこわい。この先嫌われる可能性に怯えるくらいなら、このままがずっといい。 「俺は先輩が好きです」
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