雨をすぎれば

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 なにしろ、青木に女性の影を見つけたら必ず呪詛を吐き散らかしているのだ。世界壊れろ人類滅亡しろ青木とおれ以外。そして、関東沈没しろ日本沈没しろおれと青木がいる場所以外、と。いやそうじゃない、青木とその相手が破局したら世界を呪う必要なんてないじゃないか。だったら世界平和のために別れてしまえと懇願した。別れたって聞いたときは、今もそう。美しい雨よ今こそ降れと天をあおぎたくなったし、神様いるかいないか知らないけどありがとうと心から感謝した。世界壊れるな人類滅亡するな関東も日本も沈没するな、ありがとう、ありがとう世界! とメガホンを持って叫びたかった。  本気の呪いは惨めだ。心で念じるくらいじゃ人類は滅亡しないし、恋人同士も破綻しない。その上、大切な後輩の幸せをなにひとつ願えず、大好きな後輩の不幸に浮き立ち、さらに自分とは結ばれないという現実までもが、瑞樹を追い詰めてくる。  青木が雨に濡れながら会いに来てくれたあの日と、卒業式の約束を果たした一瞬を抱いて青木の前から消えたかった。でも消えなかったのは「おめでとう先輩」と青木が笑ってくれた瞬間が、最高に幸せだったから。  だったらもう、せめておれは青木の先輩でいなくちゃいけないだろ?  自宅アパートの近くの自販機で、ミネラルウォーターを買う。脇にあるベンチに座り、スマホを取り出した。喉が渇いていて、三分の一は一気に飲んだ。食道に水分が流れていくのがクリアに伝わる。冷たく潤って、身震いした。  報われない恋の寂しさを埋めるためにはじめたマッチングアプリは、とても便利だ。秘密厳守に安心安全、うまい相手に当たれば骨抜きにされる夜になる。こいつかな、いやこいつか、いやいやこのあたり。だめだ、気が乗らなくなった。結局ポケットにスマホを戻して真っ暗闇を見上げ、瞼を冷たい空気にさらした。  約三年の間アプリを使って瑞樹がしてきたのは、青木を忘れるための相手を探したこと。ひと恋しくて寂しくて、せめていっときの相手だけでも見つけたくて迷子になったこと。  それなのにこの手は青木に似た男性をさまよい、会えば青木を想像しながら抱かれて、めちゃくちゃ気持ちよくなって、喉が枯れるほど喘いで、もう散々満足して、でも最後は、とほうにくれた。ひとの手を借りた自慰行為ってすごく気持ちいいのに、果てしなくむなしい。青木以外好きになれないと何度も思い知って打ちのめされて絶望する。  フリーアドレスに、メールが一件届いている。  ――北村です。  ああ北村さんね。  ――来週、坂本さんがお休みの日はいかがですか? よかったら食事も一緒に。店はオレが探すんで、好みを教えてもらえると助かります。 「坂本さん」というのは瑞樹の偽名だ。北村はアプリ内のDMでやり取りして会話が弾み、めずらしくフリーアドレスだけ交換した相手。顔は好みじゃない。  正直、セックスさえよければそれでいい。だれでもいい。青木の代わりになれば。  こんなおれを知っても、青木は言うの? いいやつって。  とうとつに、ジャンボモナカが食べたくなった。だけど今食べたら、歯に滲みておいしくない気がした。  味覚なんて、生きかた次第でたやすく変化する。  シャワーのあと服を着て、ベッドにごろんと転がった。ラブホテルのベッドのスプリングは、どれもこれも定型文みたいな硬さで心地悪い。  電球色で彩られた天井も、あたり一面に広がる素っ気ないクロスも、ことが済んでしまえば変に分断された気配をただよわせる。泥水がゆっくり体に吸いこまれ、徐々に重くなっていくような罪悪感が襲った。もう帰りたい。  洗面所のドアが開き、瑞樹は体を起こした。ふたたびスーツに袖を通し、身支度を整えた北村が、瑞樹に柔らかく微笑む。
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