雨をすぎれば

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「あの男とつき合ってんの?」  なるほど、先にこうきたか。瑞樹は首を振る。 「いや、ちがう」 「じゃあなんで?」  あんな場所にいたのか、ということだろう。単刀直入に尋ねられると、言い逃れがしづらい。青木は昔から相手を囲むように攻めてくる。さっきの酔っ払いしかり。 「つーかおまえさ、おれが男とあんなとこにいて引かねえの?」 「いやべつに。ひとの性的指向って他人が気にするほど高尚なもんなの? 好きなら相手の性別がなんであれセックスしたいでしょ」  体中が的になったような衝撃を受け、ざわめき出す。頭がじわじわ痺れる。こんなときに青木の、自分自身にしか従わない言いようは困る。変な期待を、寄せてしまう。 「……ていうか、青木は、なんであんなとこひとりで歩いてたわけ? すっげえびびった」  取りつくろった軽口でごまかしながら、今だったら、と考えてしまう。女性のにおいを覗かせない、このときなら。 「俺は同僚と飲んだ帰り。あそこ近道だし」  青木は傍を歩いている店員に、ビールの追加を頼んだ。「先輩は?」と尋ねられたので、うなずいた。ほどなくして、生二杯、揚げ出し豆腐が運ばれた。 「べつに先輩の恋人だったら、まあ、いいけどさ。でもあんた、いやがってただろ。だから気になってんの」 「え?」 「無理強いだったら許さないよ、俺」  さあっと一気に醒めた。かすかな希望に期待した横っ面を、思い切り叩かれた気分だった。料理から立ち上る湯気が、現実を見せるように殴りかかってくる。  底、そこ、ソコ、どん底。  なるほど正論で攻めてくるわけだ。すばらしいね青木先生。その上、恋人だったらいいときた。無理強いだったら許さないって最高だね青木先生、清くて美しい恋愛でなければ性欲の解消は許されないわけだ、まぶしくてたまらないよ青木先生。  見込みゼロ、くたばれただれた性生活、それらを遠回しに教えてくれてありがとう。  ここにいる全員、今からまとめて呪ってやる。そこへ直れ。呪い殺してやる。ついでにあの酔っ払いたちも引きずりこんで八つ裂きの刑に処する。  八つ当たりもここまで到達したら正義だ。 「知り合いだよ」 青木は首を傾げた。 「あのひとはただの知り合いで、ただの知り合いと猿みたいにセックスしてました、それってなにかいけないことですか」  猿がどんなセックスするかなんて見たことないのに、性欲しかないクズみたいな比喩に使うのはいかがなものか。ふん、と鼻で笑うと青木は苛立ったらしい。瑞樹を見て、おもむろに眉根を寄せる。 「じゃあなにか? あんたにはセフレってやつがいるわけだ」  内蔵を鷲掴みにしてくるほどの低い声は、傷つけようと自覚して切りつけてくる蔑んだ言葉のナイフだった。瑞樹はスウェットの裾を爪の中に入りこむほど強く握り、叫び出したい衝動に耐える。  だって、なにが悪いの? 自分の体を自分のために使ってなにが悪い。責められる理由なんてない。たとえばじゃあ責め返したとして、おまえはおれを好きになってくれるわけ? くれないだろ。  ほら、自分の感情を他人に委ねると、簡単にだれかのせいにできてしまう。 「だいたい、おまえが関わることなの? ちがうじゃん。おまえだっておれに彼女の話なんてしなかったろ。それってさ、おれとその彼女さんが無関係だからだろ。じゃああれだ、今回のこともおまえには無関係ってことだ。つーかさ、こんなくっだらねえことで呼び出してんじゃねえよ」  散々まくし立てるのを、青木はどんな表情で聞いているのだろう。うつむいているからわからない。でももういい。まるで他人事の正論と綺麗事には、反論する隙間がない。存在まで否定された気がして息が詰まる。
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