雨をすぎれば

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 せめて青木を巻きこむのは避けたい。あいつのあの性格で地区予選前に問題を起こすとは考え難いが、この状況を黙って見過ごすとも思えない。遠ざけておいたほうが無難だ。  しかし瑞樹の願いはむなしく砕け散り、歩道脇に自転車を停めた青木はずかずかと距離を詰めてくる。間近に立つと、愛羅武勇をまとったゴリラより彼は身長が高く、鋭い目から放たれる睨むでもない威圧感には目を見はった。 「うちの先輩がなんかしました?」  え、こわ……。  ゴリラは怯んだのか後ずさり、瑞樹との距離が開く。そのときコンビニに入ろうとする通行人の女性たちが、ゴリラに向けてひそひそさえずった。「うわ引く、高校生いじめんなよ警察呼ぶ?」  さすがにゴリラもぎくりとしたのか、視線が泳ぐ。この隙に逃げられる、と思った矢先、手首がぐいっと引っ張られて足がつんのめった。 「乗れ! 早く!」  手首を掴んでいたのは青木で、すぐにその手を離したのも彼だった。そして、瑞樹に自転車の後ろに乗るように声を荒らげたのも。 「先輩!」  瑞樹は急いでリアキャリアに乗り、青木の肩を掴む。その瞬間、体に風圧と冷たい空気が駆け抜けた。上半身がざわめき、気持ちいい、と空をあおいだ。真っ暗で星が転々と散らばっていて、手首はすこしだけ、じんじんしていた。  力強く引っ張られた感触なんてすぐ消えたのに、熱だけは内側に残っている。 「はは、セーフ!」  青木の笑い声が正面から聞こえる。彼の肩を掴む指先の力が、勝手に強くなる。 「おまえなー。ああいうときは絡むなよ、ほっとけよ、大丈夫だったのに」  強がって先輩然を吹かせてしまう。ほんとうはこわかったくせに、逃げる算段などなかったくせに。 「ごめん、ありがとう」  最後につけ加えるとまた、自然と青木の肩を掴む手に力がこもった。 「先輩ってさ、部活中も、今も? しっかりしてるよな」 「そんなことねえよ」 「あるよ。部員のことまとめてるし、よく見てる」 「それはおれが三年だからじゃん」 「じゃなくて、周りを俯瞰してる感じ。俺がパス出したい場所にすでにいるっつーか」 「たまたまだし」  青木がうまいから必死についていっているだけで、それを察しられたくないだけで、なにより青木ならここにいてほしいって思うだろうから、だからそこにいるだけだ。たった半月一緒にプレイしただけだけど、それくらいはわかる。 「やっぱ先輩かっけーっすね」 「どこがだよ、絡まれて結果おまえに助けられてんのに」  青木の自転車はふだんふたり乗りなどしないからか、ひと足漕ぐたびにチェーンがきいきい鳴った。しゃべる声よりひそやかに。 「ちがうよ。先輩、俺を巻きこませないようにしたろ? かっけーじゃん」  ちがうよ、と言った青木の声音が低かった。触れている肩から、青木の体が熱くなったのを感じて驚いた。とつぜん青木のうなじにひと筋の汗が見えて面食らった。汗の粒が街灯で光った。そして、流れて消えた。  好きだと思った。  体温が上がったのは自転車を漕いでいるからかもしれないし、瑞樹が掴んでいたから温もったのかもしれない。青木は活きがいいというより物怖じしないし、相手が三年でもプレイ中は容赦なくドライブをかます。でもだからってだれのこともばかにしないし見下しもしない。ということは、だれにも期待せず頼りにもせず、だれのことにも無関心なんじゃないか。  そんな自分の想像がこわかった。けれどそうじゃなかったのかもしれない。青木の汗は、おそらくこの状況に焦ったからなんじゃないだろうか。こわかった? なんてわざわざ尋ねないけれど。  好きだ。  ぎゅうっと肩を掴むと、「いてえし」と青木は言う。 「振り落とされても知らねえっすよー」
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