雨をすぎれば

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 青木は車を降り、もう歩き出していた。階段をとんとん上り、百八十センチを越えた長身が、この日も足を放り出すみたいに歩いていた。ヘンリーネックのカットソーにフリースベスト、デニムにスニーカー。休日の青木は、ふだんと真逆みたいな格好をする。「休みの日まで襟ついた服着たくねえ、息が詰まる」と心底うんざりしたように言っていた。仕事もプライベートも似通った格好をする瑞樹とは真逆だ。いろんなことが、逆だった。  このカフェはオムレツやサンドイッチが有名な店のようで、平日なのにすでに満席に近かった。瑞樹はハムチーズのオムレツサンドとレモンソーダ、青木はハムのオムレツサンドとアイスコーヒーを注文した。  きょうは晴天で、秋の終わりでも気温がわりと高めで清々しく、テラス席が一席空いていたのでそこに座る。二階なので景色がよく、街並みと、遠くには海が見えた。茶色が濃くなってきた木々と葉が残った緑、街の色ってさまざまな色がひしめき合って騒がしいのに、ほうっと息をつける心地よさはどこから来るのだろう。 「きれいだね、来てよかったな」  うん、と答えると目があって慌ててうつむいた。青木の視線が優しくてどぎまぎする。念願叶って、と素直に喜べないのだ、どうしても。ちらりと視線を上げると、青木はサンドイッチにかぶりついていた。サンドイッチ自体がとても大きく、卵もハムも、とろんとこぼれる。黄色が鮮やかで、おいしそうだった。 「青木ってさ、いつも昼休みってなに食ってんの? ひとり?」  瑞樹もハムチーズサンドを頬張る。唇についたので、薬指で掬って舐めた。「やべ、でか」とつぶやいたとき、視線を感じて青木と目が合う。「なに?」と首を傾げると「なんでもない」とだけ彼は答えた。いつもよりぶっきらぼうな声で、不思議に思う。 「あー、うん、えーっと、だいたいコンビニで朝買ってく。ひとりで食うっつーか、昼休みもけっこう仕事してんなー。ながら休憩って感じ」 「おまえ忙しいんだな」 「べつにだれか他人とメシ食いたいわけじゃねえし。ひとりがいい」  がん、と体に衝撃が走った。サンドイッチの卵もチーズもハムも、どろりと皿に落ちて唖然とする。 「いやごめん、ちがくてさ」 「なにがちがうんだよ、ふつうに衝撃的すぎるわ、おれとおまえしょっちゅうメシ食ってるだろ」 「なんつーか、あるじゃん。職場の忘年会とか飲み会とか、昼もまわりとしゃべりながら食うとかさ。ああいうの苦手なんだよな」  瑞樹は首を傾げた。 「メシ食う相手くらい自分で選ぶし、メシ一緒に食ってしゃべんねえと築けない関係性ってやべえでしょ」  青木に隙がないと危ぶむ所以は、こういうところだ。ときどき青木はだれも入りこむ隙間がないちいさな場所から、そこはかとない薄情な言葉を漏らす。どきりとする。けれど悪い気がしないのは、瑞樹が青木に選ばれているからだった。 「じゃあ、おれとはなんで飲んだり食ったりすんの?」  あざといとわかっていながら尋ねた。 「なにそれ試してる? 先輩は最初からほかのひととはちがうだろ、べつ枠」  会話が止まった。瑞樹が言葉を返さなかったからだ。こぼれた卵とチーズを一緒にフォークで掬って口に入れたら、最初より甘い気がした。  うん、おれも選んでるよ。おれが選んだんだよ、自分で、青木のことを。もう、つき合っているような会話を交わして、しかも自分から仕向けた浅ましさが、いやだった。
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