雨をすぎれば

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 青木の気持ちに気づかないほど、瑞樹も鈍感じゃない。先日のやり取り、きょうの一日、どれを振り返っても思い当たる節はたくさんあった。予想もしていた。青木の好意を見越した上で小賢しく尋ねたりもした。返ってきた言葉が嬉しかった。好かれているって魔法だ。心地よくてふわふわして、近くにいると片思いとはちがった高鳴りがある。切実で汲々とした息苦しさじゃなく、もどかしくて切なかった。  望んでいたことなんだから、さっさとうなずけよ。不安も問題も無視してさ。 「先輩聞いてる?」  うなずいた。 「青木は、いつからおれを好きなの」 「先輩は、ずっと前からとくべつだったよ。でもそれが恋愛感情って気づいたのはこの前。あんたがあの男とホテルの前にいたとき」  そうだよな、と思った。模範解答みたいだ。答案用紙に、これを書いておけばまちがいないですよっていう代表例。 「勘違い、じゃねえ?」 「は?」 「だから勘違い。ずっと仲よかったし、そういう場面見たら勘違いする可能性もあるじゃん」  突き放すように言った。ほんとうは嬉しいに決まっている。でも青木は、おれとはちがう。 「そういうこと聞いてんじゃねえよ、ちゃんと答えろよ。イエスかノーか」  まただ。白黒はっきりつけたがるのは青木の長所であり短所だ。答えられなくて、瑞樹は沈黙を続けた。 「自分の気持ちを勘違いかどうか決めるのは俺だろ? あんたじゃない」  わかってくれないところを、青木は堂々と攻め立ててくる。 「じゃあおまえ、おれと寝れるの?」  もういやだ。 「なに、急に」  もういやだ。いやだ。 「気持ちや想像だけで、男とセックスできると思うなよ!」  青木が目をまばたかせる。 「おれのこと想像したって言ってたけど、そんな簡単じゃない。そんな興奮勘違いみたいなもんなんだって思わねえの? 女性みたいに前戯が進むわけじゃないし、手間だってかかる。おれといて楽しいのはただ信頼関係が成り立ってるだけだろ、それが確実に恋愛感情だってどうやって証明できんの、あとになって女の子がよかったって思ったらどうすんの? そんなのいやだ」  爆発しそう、好きなのに、好きだから。もしもいつか、青木がふと思い立ったらどうするのだろう。  まちがった、って。  裏切りにも満たない心変わりを自責し、性的指向の不一致や、理性や思いやりだけじゃどうにもならない本能が瑞樹を拒絶したとする。だとしてもきっと、青木は言い出せないはずだ。瑞樹を大切に思う気持ちが変わらないから。一瞬でも舞い上がって、恋人気分を味わえたからいいなんてとても思えない。  好きなひとに幸あれとも、大事なひとには幸福をともとうてい言えない。綺麗事なんてクソだ、おれがおれを大事にしてなにが悪い、だからずっとこれが続く証明をちょうだいよ。どんなおれも、マッチングアプリをしていたおれも、男でも、どんな先輩も好きだって、おれを嫌わない確証をくれよ。  停車した車のエンジン音も静かで、沈黙が耳にうるさかった。言うだけ言って「帰る」とひとりごとみたいに告げ、シートベルトを外して助手席のドアに手をかけた。すると、青木の手が瑞樹の手の甲を包む。 「まだ話終わってねえよ、帰るな」  青木の手が瑞樹の皮膚に触れていた。そうだった、青木はこの日、ただの一度でも瑞樹に触れなかった。いつも距離感の近い彼が、きっと、意識的にそれを避けた。最初に「失言の回復」と言ったからだ。  直接心臓をぶっ叩かれた気分だった。開いた口は震え、ここから逃げようと思うのに足も膝も動こうとしない。早鐘のように鳴る体が、瑞樹を淵まで追い詰める。 「おれはもう、話すことなんか、ない……」 「俺にはある」
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