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そう言って、青木は自転車のスピードを上げた。脅されても、青木が振り落とさないことも、猛スピードで危険運転なんてしないことも、なんとなくわかった。
「青木、どっかで止まって」
「あー? なんで」
「ジャンボモナカ溶ける。半分こしよ」
「やった、ごちっす」
ベンチが並ぶ手近なところに自転車を停め、ふたりでベンチに腰を下ろした。案の定アイスは溶けかけていて、モナカはかすかにふやけていた。あんぐり開いた青木の口の中に、ぱくんとモナカが入りこむ。
「先輩、あしたから一緒に帰ろ」
「え、なんで!」
一瞬だけ肩が触れ、見上げた横顔の線にどきりとした。
「ああいうのに遭遇したらびびるじゃん、送る」
「そんなしょっちゅうゴリラ脱走しねえだろ、いらねーし!」
「ゴリラて」
歯を見せて笑う表情がいつもより幼くて驚いた。びびることがあるとしたら、おまえにだ。
すごした時間や、思い出の数の多さじゃなくて、たった一瞬なんだと思った。たとえば腑に落ちる瞬間でもいいし、理不尽なことでもいい。強烈な火傷じゃなくても、汗をかく程度の熱さでもいい。恋なんかじゃないとあらがうことさえ不可能な出来事というのは、我が身にも起きるのだと知った。
どこかで虫が鳴いていた。夜に鳴く虫。「クビキリギスかな」と青木が言う。瑞樹は答えなかった。溶けかけたアイスを食べきって、手持ち無沙汰になったから。
三年最後の地区予選では、惜しくも二回戦敗退。この「惜しくも」というのがすごいところで、三年の間では一回戦勝っただけでもすごくねえ? よくがんばった大金星、の案件だった。けれど、試合が終わって学校に帰り、体育館で片づけをしている最中に、手が止まって立ち尽くしてしまう。きょうで着納めになる部活用のジャージを見下ろしたとき、どこかぽっかり穴が開いた気分になった。喪失なんて大それたものじゃなく、ぽっかり。
弱小だったけどバスケは楽しかったな、とか、このジャージ三年間着たな、とか、青ペースに白のラインの配色が好きだから部屋着にするか、と浮かぶこととか。
背後に気配を感じ、それが青木だとわかって振り向いた。見渡すと、片づけが終わったようだった。口を閉ざした青木が瑞樹を呼びに来たこともわかっていて、彼も揃いの部活ジャージを着ているなんて当たり前のことを思う。今は真新しいそれを、彼も引退するまで着続けるのだろう。
「青木、おれ寂しい」
口にして気づいた。寂しいんだ。「終わったから引退する」という事実が、すごく寂しい。
「うん、俺も寂しい。先輩が引退すんの、寂しい」
青木とはあれから、二週間足らずだったが毎日のように一緒に帰った。もうゴリラの脱走に出くわすこともなかったし、ほかの面倒ごとに巻きこまれることもとうぜんない。それを互いにわかっていながら、瑞樹は青木の自転車の後ろに乗り、彼のシャツを掴んだ。
汗ばんだ肩、こぼれた汗、帰りに寄ったコンビニ、座り心地の悪い硬いベンチ、ジャンボモナカの半分こ。寂しいのは、部活を引退したらこれが終わってしまうということ。
青木が近寄ってくる。いつもは濃いはずの色彩の瞳が急に陰る。とつぜん青木の腕に背中が掬われ、びっくりを通り越し呼吸がひっくり返った。ほかのバスケ部員が、ひゅうー、とからかう。「永野と青木が青春」「青木が永野好きすぎる件」「大型犬が猫に懐く図」「青木泣くなー」次々と揶揄が飛んできた。
わかっているとはいえ、こっちからしたら心臓に悪い。青木から逃れようとするのに、ぎゅうぎゅうに抱きしめられていて抜け出せない。
「おいこら! ひと目!」
「先輩いなくなっちゃうんだろ? やだし」
「おれは幽霊か、成仏でもすんのか、ふつうにいるし」
ガキか、と最後つぶやくと、ガキだよ、と返ってきた。こういうふうに、いきなり幼くなるところずるい。
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