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「幽霊って霊感の無い人には見えないとか言いますけど、必ずしもそうじゃないらしいですね」
石原と名乗った一見の客が話題を振ると、常連の緑川が大きく頷きながら同意した。
「そうでしょうね。だって、全く霊感が無いと自他共に認める人でも、たまに幽霊を見ちゃうことがあるわけで、そういう話が怪異譚としてレポートされるケースが多いわけですもんね。そもそも実話怪談って、今まで幽霊なんか見たことも無い、普通に(あくまでも心霊的な意味ですが)生きてきたというような人が、ある日こんな怖い経験をしてしまいました、という話が多いんじゃないでしょうか」
特にそういう宣伝はしていないのだが、何故かこのバーには怪談を好む客が集まってくる。二人以上の客が座ると、何時とはなしに、奇談、怪談じみた話が始まるのが常なのだが、そういう客でも常連になってくれるなら、店としてはむしろ有難い。カウンターの中の鳥飼も、そんなふうに割り切っている様子だ。今日は今のところ、石原と緑川の二人しか客はいない。
「そうですよね。幸か不幸か、この私は幽霊ってのものにはまだお目にかかったことが無いんですが」
石原の言葉に、緑川が疑わしそうな表情を見せた。
「それ、本当にそうでしょうか」
「え?いや、本当にそうですよ。産まれてから一度も幽霊なんてものは見たこと有りません。本人が言うんだから間違いない」
「ご本人はそう思ってらっしゃるかもしれませんが、気づかないうちに、幽霊と遭遇されていたかもしれませんよ」
「ああ、何も見えないから気づかなかったってわけですね。まあ、それを言い出したらそういう可能性は無限にあり得るでしょうけど」
「いえ、そうじゃなくて、私が申し上げてるのは、生きてる人間だと思っている者が、実は幽霊だったという可能性ですよ」
「まさか、そんな、幽霊と生きている人間の区別なんて、明らかじゃないですか。見間違いようが無いでしょう」
今度は、緑川の言葉に石原が疑義を表明した。
「それがそうでもないらしいんですよ。色んな怪談話にもあるでしょう。偶然出会った人間と、話をしたりした後、ふと目を離したすきに、消えてしまっていた、みたいな話は沢山あるじゃないですか。ああいうケースって、本当に生きてる人間と寸分違わず、まったく普通の人みたいに見えるらしいですよ」
「そんなもんですかねえ」
石原は、まだ、怪訝そうな表情を浮かべている
「そういう死者たちって、何がしたいんでしょうね」
カウンターの中から、鳥飼が独り言のように呟いた。
「まず、一つのケースは、彼らが自分自身が死んだという認識が無い場合ですよね。彼らは自分がまだ生きていると思っているから、全く、生前の通りにふるまい、生きてる人間と普通に話したり、関わったりするわけです」
「ある意味、何だか気の毒な気もしますね」
「もう一つのケースは、自分が死者であることは認識しているのに、あえて生者の世界に留まり続けようとしている場合です。現世そのものへの執着があるとか、あるいは現世での具体的な何か、家族なり、恋人なり、仕事なりへの未練、その他色々と事情はあるでしょうが、ともかく何等かの理由で、彼らは自分が死んだことはわかっていながら、この世にとどまり、生者のような顔をしながら、生きてる人間と関わろうとするわけです。積極的な意図をもって、あえて生者のように振る舞う、言ってみれば生きてる人間を演じているわけですが、当然、その演技は巧妙です。なんたって、もともと人間だったわけですからね」
緑川の声が少しずつ高まってくる。石原が何となく薄気味悪そうな表情をしている。
「彼らは、この世の至る所に、どんな場所でも、どんな状況にもすんなりと溶け込んで、当たり前のように話しかけてきます。そう、こんな風に、ごく普通の客のような顔をして、あなたの隣に座っているのかもしれませんよ……」
石原の顔を覗き込む緑川の顔面には、妙なうすら笑いが浮かんでいる。石原がますます気味悪そうな顔をした。
「ちょっと緑川さん」
カウンターの中の鳥飼が、笑いながら窘めた。
「あはは、なんてね。いや、すみません。どうもここに来ると怪奇趣味が高まって、全ての話が妙に怪談じみてしまうんです」
にこやかに笑う緑川に、石原も、ほっとしたような顔を見せる。
「いや、一瞬ですが、本当に怖かったです。話し方がお上手ですね」
話が一段落ついたところで、鳥飼が話題を切り出した。
「さっき緑川さんが、あえて生者のように振る舞う霊というのは、この世への執着がそうさせるって仰ってましたが、その逆のケースもあるように思うんです」
「逆のケース?」
緑川が興味深そうな顔を見せる。
「はい。死者はこの世に未練は無いが、生者に関わろうとする場合。つまり、生者をあの世へ連れて行こうという目的をもって、近づいてくる場合です」
カウンターの中で鳥飼が妙な笑顔を浮かべている。
「なるほど、あの世への勧誘というわけですね。言葉にしてみると余計に怖い感じがしますね」
石原が妙に感心したような顔をする。
「彼らのアプローチは、それこそ巧妙です。文字通り自分の方から近づいてくる場合もあるし、あるいは網を張って、生者がひっかかるのを待っているような場合もありますね」
「網を張る?具体的にはどんな感じでしょう」
緑川の問いに、一層妙な笑顔を浮かべたまま鳥飼が答えた。
「つまり、こんな感じです」
店の灯りがふっと消えた。
[了]
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