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―Ⅴ.週末の相談Ⅲ 次の週末Ⅱ―
翌日の暁(ぎょう)の日。
週の始めの日、ジェッツィは、キサリと共に、学習場へ向かう。
2人の足元には、最小の姿の透虹石の狼、シェヘランバードが、発声するための彩石鷦を頭に乗せ、小走りで付いてくる。
以前には、オルレアノ王国からの留学者2人が、一緒に行こうと誘いに来てくれていたのだが、キサリがイエヤ邸に滞在するようになってから、早めに出る彼女に合わせて、2人で学習場に行くようになったのだ。
朝のうちは、キサリの職場見学計画に乗っかって、レグノリア区の様々な職場見学に付き合うことになっていたが、昼からは、キサリの方がジェッツィに付き合って、奏楽館と言う技術修習施設に通う日々だ。
互いに、互いの興味には、軽い気持ちしかないので、すぐに行動は重ならなくなりそうだったが、行き先で知り合う子たちと仲良くなりつつあるので、付き合いが分かれるだけで、それなりに楽しい経験をさせてくれた同居人とは、適度な距離で仲良くしていけそうだった。
何より、共通の興味が持てる事柄には、共感を持って行動を共にできるので、見ている方向が違うだけで、気の合う相手であることは、日常生活を重ねるには、ちょうどよい具合となっていた。
そんなキサリとの間に入ってくれるのが、最近、知り合ったリーゼリッテ・レエン、通称リズだ。
彼女の兄が緑嵐騎士ジュールズの従者ということで、街中の案内を頼むことになり、親しくなれた、ふたつ上の女の子。
彼女を挟むと、驚くほど、キサリとの会話が淀み無い。
理解に引っ掛かりが無いので、分からなかったこと、噛み合わないと感じたことが、すんなり理解でき、齟齬を無くせるのだ。
現在、技能学校所属のリズは、そちらでの講義があるのだが、キサリの行う様々な職場見学も、これまで関わることのなかった、ジェッツィが立ち入る芸術の世界も、覗くだけなら、学びや、好奇心を満たしてくれるので、楽しく付き合っていた。
大抵は、学習場で待ち合わせて、キサリの職場見学の相談に乗ってくれ、そのあとは、技能学校の講義を受けに行く。
そのほかにも、今日は2人、加わる顔触れがあるので、ジェッツィは、どきどきしながら学習場に向かった。
そちらでは、顔馴染みの少女たちと、新たに約束をした少女2人が、正門近くの敷地内側で、ジェッツィとキサリを待っていた。
「おはよう!」
輝く笑顔のジェッツィに、それを向けられた少女たちは、ウラルを除いて、うっと怯む。
ジェッツィの、きらきらした輝きは、女の子たちにすら、ときめきのようなものを与え、それを感じる自分たちに、恋の、錯覚を起こしていると思わせるのだ。
美しさって、時に罪だとは、唯一、自分の感情の動きを正確に読み解けたリズだ。
ほかの女の子たち、友人のウラルは、ジェッツィとの付き合いが、この中では長めなことと、自分自身が美少女であることから、彼女の笑顔に、特に思うことは無いらしい。
同じ頃に知り合った友人マナカ・ファストは、まだ12歳ということもあるが、ごく最近に、色恋を知る余裕のない国から移住してきたので、恋愛などの知識が、ほぼ無い。
そして、マナカよりもあとに…ほんの1週間前にアルシュファイド王国に来た少女2人、ラテリアとファルレイヤは、今年1月1日に15歳になったことにしているため、リズとは同年だが、こちらも、さほど知識はない。
もう1人、こちらはひとつ上の、オルレアノ王国からの留学者、王姪オリシア・レスラエルス・クォンティット・クリア…通称シィアは、多少の知識はあるが、実体験が伴わないということもあるし、生来、この手の話には、勘が働かない。
恋のように錯覚する、この胸のときめきはなんだろうと、ぽわっとしながら考える4人を急かして、リズは、ここ最近、再び出入りすることになった学習場の屋内に入った。
しかし、幼い頃に通ったとは言っても、立ち入る区画としては、あまり馴染みのない場所だ。
アルシュファイド王国の中でも、ここ、レグノリア区は、交易地区と言われる程度には、港町らしく、異国からの来訪者が多い。
自然、長期滞在者も多く、また、移住者の最初の受け入れ地ということもあって、この学習場にも、通常の年少者向けの区画とは別に、長期逗留者並びに移住者受け入れ区画が特に設置してあり、彼女たちが向かうのも、そちらだ。
リズを除く少女たちは、現在こちらで、進路相談として学習相談や就職相談を行っており、ジェッツィとウラルは学習相談が主、キサリとシィアは就職相談が主、マナカとラテリアとファルレイヤは、まだ、進路相談をしている段階で、特に職業知識を増やしたいと願っているため、キサリとシィアの職場見学に乗っからせてもらえることになったのだ。
今回の職場見学は、王城に勤める官吏と民間雇用者の違いを見せてもらえるということで集まっており、追って、オルレアノ王国からの女子留学者2人と、ケイマストラ王国から公私の留学者に同伴してきた女子調整者2人が合流することになっている。
教師との約束の部屋に向かうと、既に引率予定の女教師ミベリナ・ケシティと同伴の女子相談員2人、マルベリト・リーイティとサーシャ・ステラ、男子相談員のコルトリー・ベアが最終確認中だった。
ウラルの肩に乗る透虹石の鷦メリクリオも合わせて挨拶を交わしていると、すぐに、残りの4人も到着したので、注意事項の再確認…無断で離れた場所に移動しないこと、職務遂行の邪魔をしないこと、などを繰り返されてから、出発した。
ジェッツィは、教師ミベリナに並んでいる、質問攻めのキサリの真後ろを歩き、隣のウラルと、所々、その内容への感想を言い合った。
だいたい、2列で並び、通常の動かない歩道や、アルシュファイド王国では一般的な、動く歩道も使って、王城まで、コルトリーの先導で最短距離を進む。
シィアたちオルレアノ国の留学者には侍女や護衛の1人が付き、ケイマストラ王国の公私の留学調整者2人には、護衛だけが1人ずつ付いている。
ラテリアとファルレイヤには、案内として遠境警衛隊の2人が、ひと組だけ付いており、特別に、街路警邏隊4人に同行してもらっているので、なかなかの人数だ。
リズなどは、大仰だなと思ってしまうが、それが、留学者たちの立場というものなのだろう。
そんな様子で、一行が王城門前に到着すると、既にコルトリーに確認を終えた女騎士が、にこりと笑って、ようこそアルシュファイド王国ヴィ・シエンテ城へと言った。
「ヴィ・シエンテとは、ヴィの一族ということで、初代双王陛下が、マナ-レグナとして定めた初代白剱騎士マデリナ・アルナ・マナ-レグナ・ヴィトゥオレ・クィッテの居城、すなわち、王城というわけですね。現在では、白剱騎士以外の彩石騎士は知らないかもしれません。ちょっと意地悪で、質問してやりましょうか」
「やめてください!」
こそっと囁くのは、彼女、蓬縛(ほうばく)騎士リシェル・デトリーズの従者、ホールト・シグリスだ。
その後ろから覗くのは、色違いの彩石水鳥…彩石レファーレンに乗る、透虹石の海狸ミムシュテルトと、同じく透虹石の鴨嘴キルシテンレルクだ。
「申し遅れました。私は、アルシュファイド王国彩石騎士が一、リシェル・デトリーズ。今回は、お嬢さんが中心ということで、女騎士として案内を買って出ました。どうぞ、よろしく。まあ、こちらの、新たに据えた従者のホールトや、こちらのふたり、ミムシュテルトとキルシテンレルクの案内もあるのですよ。それでは、どうぞよろしく」
早速、キサリが声を上げた。
「ええ、よろしく!私はキサリよ!島で見掛けていたけれど、彩石騎士とは思わなかったわ!そっちの子たちとは、初めて会うみたい。あと、ホールト!と呼んでいいわね、よろしくね!」
「え、ええ…」
「ふふっ、よろしく、キサリ。じゃあ、歩きながらで、まずここは、馬車回しだ。特別なことが無ければ、まあ、異国の国主の来訪とかね、無ければ、ここまでは自由に見て回っていいところだ。門番に、見物させてくれと言うといい」
そう言いながら歩き出し、リシェルは、教師のミベリナと挨拶を交わし、女子たちに呼称だけ名乗ってもらった。
「さあ、正面玄関だ。そちらは、受付。内側から外まであるからね、どちらでもいいけど、大抵は、訪問者は外側で受け付けする。今日は、私の方で済ませておいたよ。ここの扉は、訪問者が多い時間帯などに開けっ放しになる。ちょうど今のようにね」
皆、一度は訪れた王城だが、あまり、じっくりとは見られなかったので、この機会にと、細部にも注目する。
リシェルは、そんな彼女たちを、通行の邪魔にならない、けれども、周囲を見回しやすい、玄関広間の中央付近に誘導した。
「さて、訪問の目的は、女性の官吏と、民間の王城維持従事者の違い、まあ、女性の働き方といったところだったね。それぞれの細かい作業は、また別の機会に組むそうだから、今回は、ざっと」
言いながらリシェルは、受付の方を腕で示し、見返った。
「そちらの受付には、今、女騎士が居るように、武官、現在では、騎士が務めることになっている。王城の安全管理に関わる部署には、すべて、公務に携わる者、つまりは、官吏が受け持っている。だが、例えば、職業として同じ小間使いでも、特定の管理職位の者などは、専門職官吏だが、多くは、部屋の整えを行うなどの民間の者だ。この王城で、官吏と民間が交じっているのは、王城の管理を、双王が私人として行うか、公人として行うかによって分かれるからだ」
言葉を切って、リシェルは続ける。
「この王城は、公務を行う場所、つまり公邸ではあるんだが、王の居城、特に、現在は、政王陛下が居住するようになっている。これは、公務の都合なんだ。だが、本来は、マナ-レグナの居城なので、我が国の象徴である真実の王のためには、ここは私邸でなければならない。そのため、城の維持管理については、民間を、城の安全管理については、官吏を当てることになっている。民間で安全管理ができないということではないよ。安全管理の責を負うべきは、双王陛下である、という定めのためなんだ」
「なぜ…マナ-レグナ陛下が責を負うのではないの?」
シィアの問いに向けて、リシェルは視線を動かした。
「マナ-レグナは、象徴であって、その内実は、心にしかない。存在を敬いはするけれど、その時代に在っても、居られなくとも、関わりの無い存在なんだ。ただ、その存在のために、居城を保つ。これは、国民の願いであり、双王陛下の願いだ。その私的な願いのために、使われる資金は、公的なものではない方がいい。分かってもらえるかな?」
リシェルは、強い言葉は使わなかったけれど、それは、オルレアノ王国の王位継承を担えるシィアに、公的財産と私的財産の明確な区別の必要を根付かせた。
そしてまた、マナ-レグナという存在が、ただ、国主、という存在ではなさそうだとも、思った。
それは、オルレアノ王国には無い、ほかの国にあるか判らないけれど、とにかく、アルシュファイド王国の定めなのだと、知った。
また、受付に女の騎士が多いのは、やはり、受ける印象の柔らかさというものらしい。
軽んじられる、ということを前提に選んでいるので、受付の女騎士たちは特に、怒らせるようなことはしない方がいいとは、冗談めかしていたが、リシェルの本気を窺わせる警告だった。
そこから、侍女の1人、メイベル・リイが合流して、案内の補助をすると断りを入れて、引き継いだ。
やはり、運用を管理する者の案内は、最終責任者の立場に近いリシェルとは違い、官吏の実際の作業手順を中心としたものになり、リシェルの口からも、感心の声や、不明点の確認の言葉が聞かれ、少女たちに、どこが、どのように感心できることなのか、注意すべき点なのかを教えてくれた。
様々な女官吏たち…侍女、管理職高位の小間使い、公職指定区域担当の小間使い、文官、交渉師や看護師や分析師などの専門職官吏、高位管理職官吏の様子、簡単な仕事内容など教えてもらい、昼までだが、充実した職場見学となった。
最後は、政王アークシエラ・ローグ・レグナ、通称アークと会食し、真面目な話は、そこで区切り。
食後の短い休憩で、今週末は何をするのと聞くアークは、変わらぬ年齢の少女に見えた。
「買い物に行きたいの!でも、みんな一緒だと、大変だから、分かれるんだって。どう分かれるか、決めようって話してたの。いつがいいかなあ?」
ジェッツィの言葉に、なんの買い物と返すアークだ。
「私は、ユーカリノ区に行くの!ミナに会いに!あと、ラテリアやファルレイヤも、一緒に行くかなあって思ってるの。ほかの4人もね!キサリは、ほかの区とか、郊外とかの体験学習に行きたいんだって。でも、1回は、一緒にユーカリノ!」
「そう…ミナに会いに…」
自分も会いに行っていいだろうかと考えながら、アークが呟く。
「私もまた、ユーカリノに行きたいわ!今度は、違うものが見られそうに思うもの」
考えながらの発言は、シィアだ。
今日見た、王城の様子、そして聞いた話から、自分が見落としていたものは、きっと多いのだと思えたのだ。
「それは構わないでしょうけれど、いつ行くのかは、考えなければならないのではないでしょうか。シィア。今は、ケイマストラ国の皆さんも、いらっしゃいますもの。今日は、ご一緒できませんでしたけれど」
考えながら言うのは、同じオルレアノ国からの留学で滞在中のアルカンシェナ・ロメンシィ、通称シェナだ。
応じて頷くと、シィアは、思案し始めた。
「それはそうね。いつがいいかしら」
「多いようなら、どこかの採石場を一時的に開いたらどうだい。そういうことは、彩石判定師?」
リシェルの言葉に、顔を向けられた赤璋(せきしょう)騎士アルペジオ・ルーペン、通称アルが応じた。
「うーん。まあ、相談はするけど、ほかの都合もあるし、決めるのは、ルークと相談して、アークと2人でかな。ちょっと、ジュールズに調整させる」
「そういや、あいつは、どこ行った」
「カルメルとどっか行ったって聞いたけど。あの組み合わせはなあ…」
緑嵐騎士ジュールズの従者カルメルは、よく言えば大らかな男騎士で、ジュールズが一緒になって悪巧みに勤しむには、最良の相手ではあった。
「ふっ。あいつら」
にやりと笑うリシェルから、アルは、身近な者を盾にして、さっと身を隠した。
それを見逃すリシェルではない。
「アル?何をしているんだい、しゃきっとおし。じゃあ、私から、ミナに相談してこよう。アルはジュールズに事情を話しておいで」
そんな分かれ方をする必要は、全く無く、なんだったら、どちらも、アルがしても構わないのだが、今のリシェルに対して、否やを唱える勇気はない。
「了解!」
畏まって答えたアルは、休憩が終わると、そそくさと談話室を出ていった。
「それじゃあ、明日にでも、ユーカリノ区の体験学習については、顔触れを相談できるようにしよう。週末の半の日の調整と考えていいかい?」
「うん!リシェル、ありがとう!」
こういうとき、真っ先に感謝の言葉が出るのは、自分の気持ちが素直に出るジェッツィだ。
もう少し、世間というものを知れば、年齢に見合った感謝の言葉を、考えてから、紡ぐようになるのだろうが、まだ、子供らしい元気さがあっても、いいなと思うリシェルだ。
あまり遅れず、ほかの女の子たちも、感謝を口にしたり、よろしく頼むとお願いしたりで、鈴のような声の連なりが心地よい。
教師ミベリナは、ちょうどよいと見定めて、ここで辞することにした。
「本日は、多くの方に心配りをいただき、ありがとう存じます。お時間を割いていただきましたことも、重ねて、お礼申し上げます。後進の育成に役立ちますよう、私も励んでまいります」
アークが頷いて、返事を引き取った。
「何よりの言葉です。こうして、学習面の様子が知れたことは、わたくしにとっても、大きな助けです。学習場の者たちには、無理をさせることもあるでしょうが、どうか、体を損なわないように、互いに気を掛けて、実情を知らせてください。なんでも押し付けようとは、思わないのです」
ミベリナは、礼を重ねるよりも、両手を胸の中央に置いて、視線を伏せた。
「そのように努めます。それでは、ここで失礼いたします」
「ええ。気を付けてお帰りなさい。それではね」
アークの退席を受けて、リシェルも席を立ち、挨拶する。
高位の者たちは、ここで職場に戻るのだ。
「ミベリナ先生」
ケイマストラ王国からの私的留学調整者、テリーゼ・ベレヌゼフが、声を上げ、皆がそちらに注目した。
「先生の最後の言葉、とてもあっさりして聞こえたのですけれど、でも、あの…、この、両手を胸に置いて、礼を取るような仕草は、あれは、アルシュファイド国の儀礼…というもの…でしょうか?」
ミベリナは、温かく微笑んで、いいえと答えた。
「そのような気持ちになったから、そうしたまでのこと。あまり、同じ言葉の繰り返しは、言ってしまえば、耳障りですからね。言葉を重ねて、思いが伝わる場面は、少なくとも、ここではないと思ったのです。もちろん、気持ちが溢れて、同じ言葉しか出て来ないといった場面もありますから、それはそれで、伝わると思いますけれどね。色々と、見て、覚えて帰られるとよいでしょう」
「はい…」
テリーゼは、ミベリナの温かな微笑みが、胸に温かな熱をくれたと感じた。
自分も、こんな風に、笑えているだろうか。
「さ、一旦、学習場に戻りましょうか。見たこと、聞いたことを話し合って、自分の考えを纏めましょう」
「はい」
鈴の声が揃う。
少女たちの学びは、まだまだ、終わらない。
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