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入部届は七日以内に。そう期限が設定されていたが、僕には必要なかった。演劇部。林野一孝――と速攻紙面を埋め、提出する。
僕は入学前から、演劇部への入部を決めていた。とは言え、演技がしたい訳ではない。チームワークを要する活動に、関わることすら嫌だった。だから、個人作業のできる裏方を求めるつもりでいる。
そんな好きでもない部に入るのは、あの少女に――名も知らぬ先輩に会いたいからだ。
先輩の存在は、僕にとって特別だった。志望校を浅水に目掛けたのも、憧れの存在に近付くために過ぎない。
僕は生まれつき聴力が弱かった。声が小さかったり、発音が悪かったりすると特に、聞き間違いや聞き損じが多く発生した。
ただ、唇の動きと合わせれば問題なく理解でき、補聴器を必要とするまでもない。あれば多少快適になるのかもしれないが、抵抗が遠ざけた。
コミュニケーションにおいて必要な力が欠けているからか、僕は人も、人前も苦手だった。自分に自信もなかった。
ただ、それを良しとしていたわけではない。まあ、改善なんて早々取り組めるものでもないが。
そんな僕が先輩に出会ったのは、中学一年の春だ。家族に強制連行され、渋々着いていった公演に彼女は出演していた。
幾ら唇で読めるからと、あっちもこっちも読み続けるのは力を使う。よって全く乗り気ではなかったのに、最初の一声で僕の憂鬱は飛んだ。
先輩の声が、真っ直ぐ脳を揺らしたのだ。幕が上がる前の、読み聞かせるようなプロローグが。
その後も多くの台詞があったが、先輩の声は特別らしく、顔を見ずとも言葉が聞けた。
いや、聞けるどころではない。自然と染み込んできた。先輩の虜になるのに過程はいらなかった。
声が聞きたいがゆえに、開演の情報を得ては見に行った。そして、声を聞くたび心が浮かぶのを味わった。彼女の声を聞いている間だけは、普通の人間になれたような気がした。
その内、先輩と交流できれば、根暗な性格も変化するのでは、そう思うようにもなった。先輩は僕の希望だ。
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