3

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

3

 四月とあれば、快適な日も多くなる。今日は朝から、外で昼食を摂ると決めていた。  人目も人気もない、眠気を誘いそうなポジションを見つける。校舎から離れているせいか、声も音もほとんど聞こえなかった。  だが、食事終了間際になり、空間に音が近づいてくる。少し早い足音だ。  導かれるように顔をあげると、現れたのはジャージ姿の先輩だった。かなり驚いた顔をしている。一拍置いて何か言ったようだが、僕には聞き取れなかった。  翻りかけた先輩が、何を思ったのか留まる。それどころか、僕の元へと近付いてきた。 「あのっ! 隣いいかな!」  少しボリュームの上げられた声は、僕の中に響いた。反射的に頷くと、先輩は一人分の間隔を開け腰を落とす。何かを探し回った後のように、汗ばんだ額を袖で拭っていた。  発言に備え口元を注視する。だが、袖に隠されてしまった。何か言っているが、またも上手く聞き取れない。  もどかしさと恥ずかしさに抑制を受けながらも、どうにか唇を紡いだ。 「……先輩、あの」 「はい!」  顔は見られなかった。確実な返事を捉えたいのに、弁当箱と目を合わせてしまう。 「す、すみません、僕。あの、耳が少し聞こえづらくて……」 「あっ、ご、ごめんなさい! き、聞き取りにくいよね……私の声!」  先輩の弱音が脳に響いた。どうやら、声量があれば顔を見ずとも聞こえるらしい。  劇の時と同じ感覚が、憧れの感情を小さく蘇らせた。何の台詞も用意できないまま、否定だけが口をつく。 「えっ、えっと、違っ……」 「びっくりしたでしょ」  澄んだ声が、真っ直ぐに耳を通った。顔をあげると、先輩が僕を見て困笑していた。 「えっと、ほら、よく見に来てくれてたでしょう、劇。こんな人間だって知って、びっくりしたよね」  僕が一方的に逃亡した、あの日と同じ笑顔がある。 「あっ、よく言われるから気を使わなくてもいいよ……って私何言ってるんだろう!」  こちらを見たり、目を逸らしたり。閊えながらも伝えようともがく姿は、どうしてか僕を惹き付けた。  もしかすると、自分と重なるからかもしれない。 「え、えっと、びっくりはしました。けど、あの、実は僕、先輩の演技に憧れてこの高校に入って……えっと、先輩の演技は素敵だし、あと、えっと、声も素敵です。ちゃんと話してくれれば……あ、悪い意味じゃなくて。先輩の声は他の人より聞き取りやすくて……だから、聞いていたくなると言うか……」  だからこそ、伝えなくてはいけないと思った。当然、上手くは纏められなかったが。  あまりにも不甲斐ない発言に、全身が火照る。思わず顔を背けたところで、壇上と同じくらいの声が聞こえた。 「あ、ありがとう!」
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!