想イ人ハ 大根役者

1/7
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 週末の昼過ぎ。スーパーマーケットの野菜売り場で、松原茜(まつばらあかね)は鼻歌混じりに夕食用の食材を選んでいた。この世に誕生してから二十四年間、実家を出たこともなく母親の手料理を食べ続ける茜としては、極めて珍しい行動である。 (忌一(きいち)は辛いの好きだったよね、確か。昔、お祖母ちゃんが作ってくれた麻婆豆腐でご飯おかわりしてたなぁ)  フフッと口元を綻ばしつつ、すぐそばの野菜棚から長ネギを一本取る。そしてそれを、自分の引くショッピングカートへと入れた。 (本当はどこか美味しい店で、夕食を奢りたかったんだけどな……)  そうすれば自分も美味しいものが食べられたのにと、少しだけ肩を落とす。忌一は四歳年上の従兄(いとこ)だが、それが実現したなら、仕事を抜きにした初めてのデートとなるはずだった。 「だからデートじゃないってば!」  思わず口にしてしまい、慌てて周囲を見回す。幸いにも野菜コーナーには自分以外誰もおらず、そばの果物コーナーの客もこちらの様子には気づいていない。  両頬をそっと手の甲で撫でると、じんわりと温かさが伝わる。おそらく自分の顔は今、真っ赤に染まっているだろう。  先日茜は原因不明の体調不良に襲われ、ベッドから一歩も動けずに三日間を寝込んでいた。それを救ってくれたのは、普通の人間には見えないものが視える忌一のおかげだった。その能力で今まで何度も、自分の勤める不動産屋の怪奇案件を解決してくれている。  今までの感謝も込めて、茜は改めて忌一にお礼をしようと決めたのだった。 (あくまでもこれはお礼。それ以上でも以下でも無いんだから……)  その割にはなかなか冷めない顔の熱を収めようと、胸に手を当てて長めの深呼吸を一つする。  最近バイトで疲れているのか、忌一を外食に誘ったら断られてしまった。それじゃあと、サプライズで夕食を作る計画を立てたのだ。忌一は父親と二人暮らしなので、彼の家で叔父の分も作れば、叔父的にも助かるだろうと見込んだ上でだ。  メニューは麻婆春雨。春雨は自分の大好物だし、麻婆春雨は自分で作れる唯一の自信作料理でもあった。  それに……と、茜は思い出す。以前忌一を車で自宅まで送った時、「俺はもう少し、茜と一緒に居たいんだよ」と真顔で見つめられ、携帯電話で通話中にもかかわらず、勝手に唇を奪われたことがあった。  初めて叔父夫婦の養子として紹介された時から、忌一は自分に対して優しかった。一方自分はというと、彼の能力が怖くていつの頃からか忌一が凄く苦手だった。なのにもかかわらず、彼はずっと変わらずに自分のことを大切に想ってくれている――その自信が、今では茜の胸を高鳴らせていた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!