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週末の昼過ぎ。スーパーマーケットの野菜売り場で、松原茜は鼻歌混じりに夕食用の食材を選んでいた。この世に誕生してから二十四年間、実家を出たこともなく母親の手料理を食べ続ける茜としては、極めて珍しい行動である。
(忌一は辛いの好きだったよね、確か。昔、お祖母ちゃんが作ってくれた麻婆豆腐でご飯おかわりしてたなぁ)
フフッと口元を綻ばしつつ、すぐそばの野菜棚から長ネギを一本取る。そしてそれを、自分の引くショッピングカートへと入れた。
(本当はどこか美味しい店で、夕食を奢りたかったんだけどな……)
そうすれば自分も美味しいものが食べられたのにと、少しだけ肩を落とす。忌一は四歳年上の従兄だが、それが実現したなら、仕事を抜きにした初めてのデートとなるはずだった。
「だからデートじゃないってば!」
思わず口にしてしまい、慌てて周囲を見回す。幸いにも野菜コーナーには自分以外誰もおらず、そばの果物コーナーの客もこちらの様子には気づいていない。
両頬をそっと手の甲で撫でると、じんわりと温かさが伝わる。おそらく自分の顔は今、真っ赤に染まっているだろう。
先日茜は原因不明の体調不良に襲われ、ベッドから一歩も動けずに三日間を寝込んでいた。それを救ってくれたのは、普通の人間には見えないものが視える忌一のおかげだった。その能力で今まで何度も、自分の勤める不動産屋の怪奇案件を解決してくれている。
今までの感謝も込めて、茜は改めて忌一にお礼をしようと決めたのだった。
(あくまでもこれはお礼。それ以上でも以下でも無いんだから……)
その割にはなかなか冷めない顔の熱を収めようと、胸に手を当てて長めの深呼吸を一つする。
最近バイトで疲れているのか、忌一を外食に誘ったら断られてしまった。それじゃあと、サプライズで夕食を作る計画を立てたのだ。忌一は父親と二人暮らしなので、彼の家で叔父の分も作れば、叔父的にも助かるだろうと見込んだ上でだ。
メニューは麻婆春雨。春雨は自分の大好物だし、麻婆春雨は自分で作れる唯一の自信作料理でもあった。
それに……と、茜は思い出す。以前忌一を車で自宅まで送った時、「俺はもう少し、茜と一緒に居たいんだよ」と真顔で見つめられ、携帯電話で通話中にもかかわらず、勝手に唇を奪われたことがあった。
初めて叔父夫婦の養子として紹介された時から、忌一は自分に対して優しかった。一方自分はというと、彼の能力が怖くていつの頃からか忌一が凄く苦手だった。なのにもかかわらず、彼はずっと変わらずに自分のことを大切に想ってくれている――その自信が、今では茜の胸を高鳴らせていた。
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