16人が本棚に入れています
本棚に追加
その瞬間、茜の脳内で何かがブチンと切れる音がし、気付けば忌一の前に置かれていたお冷を掴んで、彼の顔目掛けてぶちまけていた。
「忌一なんか大っ嫌い!!!」
そう言うと、茜は脇目も振らずにカフェを後にするのだった。
*
「君好みの可愛い娘だね。追いかけなくてもいいの?」
眼前の女は、口元をフフッと緩ませながら言う。それには反応せず、忌一は傍にあったお手拭きや自分の着ているネルシャツの袖で、顔から滴る水をひたすら拭くに徹した。
「まさかその下手な演技で、私を騙せたつもりじゃないでしょうね?」
「……」
「それにしても何で早く喰べないのかしら? 六鬼童子ともあろうお方が」
そう言いのけた彼女の手には、花咲じじいのような恰好をした手の平サイズの老人が握られている。そして彼女はもう片方の手で、その老人をグリグリとこねくり回した。老人はその手から逃れようと必死に抵抗を試みるが、まるで歯が立たずされるがままになっている。
女が忌一の無反応に訝しんでいると、そのうち二人の座るテーブルが俄かにガタガタと揺れ始めた。周囲を見回しても揺れているのはこのテーブルだけで、他のテーブルは一切揺れていない。再び忌一に視線を戻すと、俯き加減の顔から紅く鋭い眼光だけが、彼女をじっと睨み返していた。
「やっぱりそこに居るんじゃない」と彼女がぼやくと、忌一の口からは地を這うような音で「気ガ済ンダノナラ失セロ」と聞こえる。
「え~。ツレナイわねぇ。せっかく五百年ぶりに会えたのに」
すると今度は、忌一の全身から紫色の炎がユラユラと静かにほとばしり始めた。その炎は周囲の客には見えておらず、向かい側の女と手の中の老人にしか見えていない。
「わかったわよ。今回はこれくらいで勘弁してあげる。でも次はゆっくり遊びましょうね」
そう言って彼女はウィンクをすると、弄んでいた小さな老人を忌一目掛けて放り投げる。そしてテーブル上の伝票を手に取り、席を立ってレジへと向かった。
老人をキャッチした忌一は、「大丈夫か? じーさん」と声をかける。その声は、いつもの忌一の声音に戻っていた。
「それはこっちの台詞じゃわい。ところで龍蜷は無事か?」
老人が訊ねると、忌一の袖口からニュルンと鰻のような頭が飛び出し、大丈夫とばかりにペコリとお辞をする。だがその表情は、いつもの元気が失われていた。
「どうなることかと思ったわ……」
そうこぼすと忌一は、ふうっと長めの溜息を吐き出すのだった。
最初のコメントを投稿しよう!