オブザーブ

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「朝礼!」 「はい‼」  上司の号令で、机に向かっていた仲間たちが朝礼の陣形に集合する。急いで集合していることをアピールするためにも物音はわざとらしく大きく立てる。 「体操!」 「はい‼」 「1、2、3、4!」 「5、6、7、8‼」  屈伸、開脚、前屈。 「腕立て!」 「はい‼」  上司の掛け声に合わせて、その場で十回の腕立て伏せ。動きに乱れがないか、手を抜いている者がいないか、ゆっくりと巡回する上司に気を取られてはいけない。彼に顔を向けると手を抜いているとみなされ、また一からとなってしまう。 「本日の経営理念の唱和は、九涌(くわく)!」 「はい‼」  上司に名前をよばれた九涌星治(せいじ)は、腹の底からの返事とともに走って朝礼を受ける仲間たちの前に立った。 「唱和させていただきます‼」 「はい‼」 「我らGWNグループは! わが社の総合ソリューション事業を通じ! 社会の発展、進歩に貢献いたします!」 「我らGWNグループは! わが社の総合ソリューション事業を通じ! 社会の発展、進歩に貢献いたします!」  九涌の言葉に仲間が続く。 「つづいて基本精神、十カ条を唱和させていただきます‼」 「はい‼」  ──経営理念、基本精神、社歌の唱和。そして最後に朝礼の締めとして、指名された者が本日の決意表明を掲げる。 「三班の寺田です‼ 本日は最後まで諦めることなく電話を掛け続け‼ アポイントメントを五件以上必ず獲ります‼ 以上です‼」  新入社員の寺田くんの表明を受けて、拍手が起こる。 「ちょっと待った」  上司の一言で拍手がピタリと止んだ。 「五件で満足か?」  上司はゆっくりと寺田くんに歩み寄った。上司の問いに彼は否定もできず、顔をこわばらせて声を詰まらせた。彼の緊張が周囲に伝播(でんぱ)する。 「その倍は獲ってみせると言ってみせろよ!」  上司の握りこぶしが寺田くんの胸部をドンと鈍い音を立てて押さえた。寺田くんは手を後ろに組んだまま姿勢を崩さない。 「じゅ、十件はアポイントメントを獲ってみせます‼」  大きく宣言した彼を見て、上司は唇の端を吊り上げた。自分の教育のおかげで部下が高い目標を持ったことに満足したらしい。 「お前らも目標は高く持てよ! (こころざし)の低いやつは低いとこ低いとこで満足するんだ。俺たちGWNグループの一員なら常に高いとこ目指して、根性で勝ち取ってみせろよ!」 「はい‼」  部下たちの一糸乱れぬ返事に、上司はまた唇をにんまりと歪ませた。  テレアポでは名簿業者から手に入れたリストをもとに電話を掛ける。電話向こうの相手からすれば見知らぬ人間から電話が掛かってくるわけで、警戒しないわけがない。名乗った瞬間に切られることは常で、口汚く罵られることだって度々ある。そんななかで警戒心の薄い人間を相手に、言葉を巧みにつないで実際に会う日にちを約束させる。それがテレアポである。  九涌は今日も電話を掛け続けた。朝から晩まで。電話の前では声色を変え、善人を演じる。  九涌は演じるのが得意だった。フレンドリーで誠実な人間になりきり、ときには相手に合わせて自分の性格を変える。そうすることでテレアポの成功率は容易に上がった。新人の成功率が一パーセント未満と言われるそれを九涌は大きく超えており、会社からもホープとして大きな期待が寄せられていた。  会社は『住宅設備を普及させることで幸せを届けている』などと言っているが、そんな使命感を九涌は抱いていない。そもそも、会社そのものがそんなもの抱いていない。  浅薄(せんぱく)な人間に空調設備やらオール電化やらを高値で売りつけ、その数を競っているだけである。売れるのならば、相手の幸せなどどうでもいい。  自分の仕事が社会に必要とされていない現実や、拒絶しなかったわずかな人間を騙すようにして売りつける罪悪感──会社に属する人間はそういったものから逃れるために、会社の掲げる使命感を自分に言い聞かせ、仕事熱心な自分を必死に演じ続けた。演じ続けるうちに本来の思考や良識といったものは麻痺してゆき、そこにまやかしの使命感や会社への忠義が入り込んでくる。  そして演技は演技でなくなる。演じきれなかった人間は会社を離れていった。  八十人以上いた今年の新入社員は、半年もしないうちに四十人程度になった。九涌が入社した去年よりも速いペースで離職がすすんでいる。九涌の同期は自分を含め十四人――全員仲間だ。今年の新入社員も、もう半年後には同じくらいになっているだろう。  午後九時二〇分、仕事を終えた九涌の目に寺田くんの姿が映った。やる気に満ちた虚ろな目で机に向かっている。  ──彼は我々の仲間ではない。  寺田くんはこめかみの辺りを乱暴にかきむしり、また電話を掛けた。 「九涌」  うしろから不意に声を掛けられた。仲間の黒木だった。 「今帰りか? よかったら一緒に飯でもどうだ? つっても牛丼だけど」  黒木は体格のいい男で、短く切り揃えた黒髪が一層、『真面目で根性のある体育会系』を演出している。 「寺田か……まだ一件も獲れてないって言っても、こんな時間に掛けてももう無理だろ」  視線の先の彼に気付いて、黒木は呆れたように言った。 「うん」 「あいつもぶっ壊れながら走り続けるしかできない身体なんだな」  黒木がポツリと言った。 「それよりどうだ、牛丼。たまには食って帰ろうぜ」 「うん、いいよ」  九涌は言った。パーテーションで区切られた机を離れると、電話を掛ける人間の声が耳にまとわりついた。  会社近くにあるチェーンの牛丼屋。昼に世話になることが多いが、こうして仕事終わりにもよく来る。ときどき部署違いの仲間に会うこともあるが、今日はいなかった。  カウンター席にはスーツを着た男性客が二人と作業着姿の男が一人。二席間隔に座っている。九涌と黒木は二人用のテーブル席についた。九涌はねぎ玉牛丼の大盛り、黒木は肉だく牛丼の大盛り。 「なあ九涌、今の仕事どう思う?」  黒木は牛丼を口にする前に訊いた。 「どうって……何も思ってないよ」  九涌はねぎの上の黄身を箸で割った。 「我々はこの惑星(ほし)の社会に馴染むだけだから」  とろりと流れ出た卵黄とねぎを箸で絡める。 「いつまでだ?」 「え?」  ささくれだった声が黒木から返ってきた。思わず視線を上げて彼を見た。 「いつまでこの惑星の人間になっていればいい。いつになったら本当の姿で歩ける」  黒木は九涌を睨んだ。九涌は目をそらし、店内を見た。店員は店の奥にいるのか、姿は見えない。他の客は二人のことなど意に介せず、スマホをいじっている。 「我々は兵器を持たないし、使わない。その惑星の生物に──社会に擬態し、じわじわと支配を広げる。それは分かっているが……いま、おれのしていることはなんなんだ。おれの人生ってなんだ。九涌は考えたことないのか」黒木は続けた。 「そんなこと……」  考えたことなかった。  争いの文化を持たない我々は兵器を持たない。擬態の能力を使ってその惑星の社会に溶け込み、長い年月をかけて数を増やし支配層へと手を伸ばす。  地球の人間は地球外から侵略者がやってきても、圧倒的な武力や古来から育んできた細菌によって追い払えると考えているらしい。  しかし実際には、一〇〇年前にやってきた我々の祖先は、いとも容易くこの惑星の環境に適応し、逆に我々が持ち込んだウィルスによって地球人は大きな混乱に陥った。そして混乱に乗じて我々は地球社会に入り込んだ。  我々が数を増やし、世界中のトップが我々の仲間に成り代わったとき、地球は我々のものになる。  共通の根っこを持つ我々のもとでは世界は統一される。国境はなくなり、核をはじめとするすべての兵器は放棄される。  支配も争いもない世界を我々は描いている。  しかし、その日が来るまではまだまだ長い年月がかかる。一〇〇年かけて我々は社会に広く浸透した──仲間同士は特殊な仕草でお互いに認識できる──が、まだまだ支配層につくまでには至っていない。官僚や企業のトップはまだまだ地球人がその大半を占めている。  九涌たちの仕事は、来たる数百年後のその日のために、少しでも地球社会に手を広げることだった。  人生はすべて地球人として演技する日々だった。そのことに疑問を持ったことはない。 「数百年後の子孫のためにおれの人生はあるのか。そのためにおれはあんなクソみてえな仕事をし続けなきゃならないのか。朝から晩までなんの役にも立たねえ電話掛けをして、客や上司からの罵声、暴力に耐えて。それがなんになる。役に立たないことほど虚しいことはない。お前は考えたことねえのか」  黒木の瞳は赤黒く濁っていた。 「役に……地球人の役に立つことこそ何の意味がある。そんな必要こそないだろう。それにずっと仕事を続けていれば、我々のうちの誰かが上に立つようになる。そうなれば会社は我々のものだ。それから我々の仲間のための企業に作り変えてゆけばいい。そうやって草の根活動を続けることこそ我々の真の仕事だろ? どこかの国では仲間が大統領になったという話もあるらしい。きっと我々の世界はもう目の前さ。お前の言うクソみたいな仕事からも解放されるよ」  九涌は慰めの言葉をいった。が、自分の言葉なのか分からなかった。プログラムされた言葉をただ吐いているような、そんな気がした。 「そんなこと本当に信じているのか? 二十年以上、地球人としてやってきたが、この惑星の秩序は支配だ。そしてこの惑星の支配制度は巧妙だ。例えばガキのころには『あいさつは社会の基本』なんて徹底して教え込まれるが、そこにあるのは支配者への無差別な敬意だ。教師、先輩を見たら絶対に頭を下げなきゃならない。そうやって上に立つ者への挨拶を徹底させることで、この世にある上下関係っていうものを身体に染み込ませる。  おれだって体育会系な地球人となるために、学生のころから柔道をしてきた。はじめは組織のルールだから挨拶をしてた。だけど知らず知らず身体に植え付けられていたのは、上へ服従する心。気付けば上の人間が言うことは絶対になっていた。演技じゃなく、逆らうことを身体が拒否するんだ。  組織が変わっても、社会に出てからも変わらない。上に立つものに逆らえない身体づくりが、ガキの頃から仕込まれているんだ。そして血縁関係で固められた支配者がそれを使役する。それがこの惑星の秩序なんだ。そんな簡単に(くつがえ)せるものじゃない」  黒木は言った。 「だけど、おれはもう『真面目で根性のある黒木』を演じ続けたくないんだ。会社に支配されて虚ろな仕事をやらされるのも、我々のために自分ではない何かでいることも、もう嫌なんだ」  黒木の身体が小さく萎んで見えた。そして一か月後、黒木は職場からいなくなった。  ――あの日のことを、黒木のことを九涌はふと思い出した。地球人にも、我々の仲間にもなれなかった彼が今どこでどうしているか九涌は知らない。  九涌は電話を掛けた。  数年後、わが国で開催されるオリンピック。その莫大な利益を我々で共有するための電話だ。  我々の支配はすでにあまねく社会にわたっていた。それこそ官邸も企業もすでに我々のものだったのだ。  しかし九涌がその事実を知ったのは、つい最近のこと。社長室に呼び出され、部署異動、昇進とともに「これできみも我々の仲間だ」と告げられた。  仲間への電話を終え、ふと過去のテレアポ部屋に顔を覗かせた。  小さな部屋で、耳にまとわりつくような熱が漂っている。パーテーションで区切られた机が所狭しに押し込められ、ギラついた目や虚ろな目をした部下たちが延々と電話を掛け続けている。  ここにいたころの自分を彼らに重ねた。まだ仲間ではない彼ら。思えばこれは『ふるい』なのかもしれない。ここから我々の仲間になるものが選別される。  直属の上司ではないが、支配する側の雰囲気をまとう九涌に、彼らは緊張感を漂わせた。  机に向かって頭を抱えている社員が九涌の目にとまった。 「なに休んでんだ、お前? 今週、何件アポ獲れたんだよ。言ってみろ」 「ま、まだゼロ件です……」  彼はおびえた目で言った。
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