嫌いなアイツ

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「緒方くん、シャンプーして」  千紘は後ろを振り向くと、少し大きな声でアシスタントを呼び寄せた。 「凪に触れさせるのは本意じゃないんだけど、さすがにシャンプーまでしてあげられないから、行ってきてね」  軽く頭を撫でられた凪は、バッと勢いよく振り返った。他の客や美容師に見られたらどうするつもりかと気が気ではない。 「てめっ」 「ごめんね、凪。後でね」  あんなにも執着心の強い千紘がさらりとそう言い残してその場を去った。成田ブースへ向かう彼の横顔は真剣そのもので、「仕事中」と言ってた千紘の言葉がこだまする。  なんなんだよ……。あんな顔もできんのかよ。  心の中でそう呟いた凪だったが、美容院を変えるといいつつ既にシャンプーをする流れになっていることに気付く。 「お願いします。シャンプーさせてもらいますね」  そう言って声を掛けてきた緒方には、凪も何度となく今までにシャンプーをしてもらっていた。 「あ、いや……俺は」  美容院を変える。そう言いかけて米山への敵意を孕んだ千紘の瞳を思い出す。年齢も経験も上の美容師に対しての態度があれなのだ。  アシスタントである緒方が凪を帰らせたとあれば、その後千紘になにをされるかわかったもんじゃない。  ゲイであるはずの千紘。若くて愛嬌のある顔立ちをしている緒方が、自分のように手首を縛られ無理矢理襲われるところを想像した。  ……やりかねない。あの鬼畜野郎ならやりかねないぞ。俺が帰ったらこの人、俺よりも酷い目に遭わされるかもしんねぇ……。  そう考えたらゾッとした。更に後ろめたい気持ちにもなる。他人のことよりも自分の身の方が大事。そうは思うものの、これ以上犠牲者を増やしてはいけない気がした。 「どうしました?」  全く状況を理解していない緒方は、つぶらな瞳で凪を見つめ、小首を傾げた。 「いや……なんでもないです。お願いします」  あー……クソっ! アイツが戻ってきたら帰る。シャンプーだけだ、シャンプーだけ……濡れた髪じゃ帰れねぇじゃん……。  うーわ、タイミング逃した。最悪だ。カットされたらなに要求されるかわかんねぇし。  震えながら延々と考える凪だったが、にこにこと笑顔を浮かべる緒方に案内され、渋々シャンプー台に背中を預けた。
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