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「ん、どうした」
林がくわえタバコで横を向く。
女性社員は「え、いや、あの」と明らかにごまかしているが、林は女性の胸元に視線を注ぐことにいそがしくて気づかない。
「私はてっきり、健康のためかと思ってました。だって主任、一年ほど前、心筋梗塞になったじゃないですか」
「あんなの軽症だよ。息切れがして、肩こりがひどかっただけだ。死ぬような血管の詰まりはなかった。だいたいな、製薬会社の営業が、体のことなんか気にしてられるか。得意先の接待は大切な仕事だぞ。飲んで食って、健康診断でDが連発して、はじめて一人前なんだよ」
林以外の顔に「また始まったよ」の色が浮く。この先、仕事への古くさい心構えが延々と続くのを、若手三人はなんとか防ぎたかった。
店員が新たなジョッキをテーブルに置いたとき、林のセリフがほんの少し途切れた。そこに山田が声をねじりこむ。
「たしか、奥さんが熱心に勧められたんですよね、病院に行くのを」
「ああ、うるせえったらありゃしなかったよ。あなたが倒れたら、うちは破滅です。私は二人も看病するのはムリですって言うんだぞ。大ゲサだよな。それで心筋梗塞だってわかったら、外で飲むときは一杯だけ、タバコも吸うなって制限しやがった」
「じゃあ、今日はどうして?」
「かみさんからオッケーが出たんだよ。俺の心臓が丈夫だってわかったんだろ。それに、おふくろはもう死んだ。万が一俺が倒れても、病院の見舞いや家での看病も、ヒマな専業主婦だから楽勝だってな」
つかぬことをお伺いしますが、と素っ頓狂な声を出した女性社員が慎重に切り出した。
「お母様と奥様の仲はよかったですか」
「よかったんじゃないか。おふくろは結構あけすけな性格でな。それなりの遺産があるから、葬式の費用は心配ない、みたいなことをかみさんに言って笑ってたくらいだし。うう、ちょっとすまん、しょんべん」
林は椅子から腰を上げ、突き出た腹をテーブルの角にぶつけながらよたよたと進んだ。
残された三人は額をつきあわせた。
「なんだったんだ、さっきの仲がよかったのかって質問」
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