凄腕拷問官だと思って話してたのに顔が怖いだけのデリバリー配達員だった

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 なんだこのど変態野郎は。    鉄仮面と評される強面の裏で、はなまる食堂の新人配達員ことウルスは竦み上がっていた。出前の配達に来ただけなのに、いきなり目の前で全裸を見せつけられたかと思えば、ピンク色のド派手な髪をした男は射精して白目を剥いてしまったのだ。ドン引きする以外にどうしろというのか。  出前の受け取りのサインをもらえば即帰れた。だというのに目の前の変態野郎は食うだけ食って受領拒否しやがったのだ。とんでもない。    思えば今日は朝からついていなかったな、とウルスは頬に飛んだ生暖かい液体を拭いながら遠い目をした。  ウルスの本業は薬師である。  体格に恵まれたせいか兵士か冒険者の間違いじゃないかと言われることも多いけれど、ごくごく一般的で善良な薬師だ。誰も信じてくれないけれど暴力は嫌いだし、いかついヤンキーも苦手なのだ。好きなものは犬と猫だが触らせてもらえた試しはない。少々照れ屋なきらいがあるのでたしかに表情は固いとは思うが、みんなそこまで怖がらなくてもいいと思う。    普段は祖母から受け継いだ店を細々とやっているけれど、いかんせん村の中心からは離れているせいか客が来ない。『非合法のクスリは買いたくない』とおかしなことを言われることも多いが、客が来ないのは距離のせいだ。断じてウルスのせいではない。 そんなわけで、食っていくだけの金を稼ぐため、ウルスは趣味で磨いた料理の腕を生かし、祖母の知り合いの店で時々働かせてもらっていた。    朝、腰の悪い店主たちに代わって西の砦に配達に向かうまでは良かった。問題は道中だった。  まず街道に出るなり熊と出くわした。田舎なので熊自体はよくその辺にいる。それ自体は驚くようなことではないが、子どものころに頬をひっかかれてからというもの、ウルスは熊が大の苦手だった。幸いにも熊の好物であるルージュの実を持っていたおかげで事なきを得たが、不幸な出会いであったことには違いない。一度ついたらなかなか落ちない果実の汁が顔に飛んできたのも悲しいポイントだ。  さらには砦の手前でピンクスライムに出くわした。気の弱い子どもスライムはウルスの顔を見るなり泣き出して震えてしまい、心が痛んで仕方なかった。百歩譲ってそれはまだいい。ピンクスライムの体液は夜の方面で悩んでいる男性にとっては心強い薬になる。ウルスひとりの心が痛む代わりに、貴重な薬のもとが竹筒一本分も手に入ったと思えば悪くない。    何より傷ついたのは砦の門番たちの対応だった。頼まれた配達に来ただけなのに問答無用で槍を向けられて殺されるかと思った。砦なんて乱暴事に縁のある場所、こちらだってわざわざ来たくない。だというのにあまりにも理不尽ではないか。  熱いうちに食べてほしいと訴えれば謎に奥まで届けろと言われるし、サインをもらえればそれでいいんだけどと言う暇もなく追い立てられた。心が傷ついたのでもう二度と来たくない。  そして待ち構えていたのはラスボスだ。言われた通りにこわごわ牢屋の奥まで来てみれば、そこにはこのいかれたピンク髪の変態男がいた。ウルスが作った料理をおいしそうに食べる顔は悪くなかったけれど、食べ終わるや否や裸になり、吊るせと訴えてきたのはいただけない。あまりの出来事にウルスは失神寸前だった。  重いから入り口まで容器を運んで欲しいと言ってくる客や、帰るついでに郵便物を出していってほしいと頼む客がいるとは聞いていた。ならばこれもサービスの一環かとひたすら帰りたい気分を宥めて助けてやれば、ど変態は股間を元気にさせていた。手に負えない。    なんでもいいから受け取りのサインをくれと泣きそうな気分で紙を差し出せば、傷が痛むと大げさに騒ぐ始末である。仕方ないから手持ちの薬を塗ってやったら悶えて喘いで気絶した。勘弁してくれだのやめろだのと喚いていたが、それを言いたかったのはウルスの方だ。 別に自分の手で塗らなくても薬だけ渡せば良かったことには塗った後に気が付いた。ウルスは悪くない。 「おい。起きろ。おい」    肩を揺さぶってもピンク男は起きる気配すらない。ぴくぴくと痙攣している人を吊るしっぱなしにしておくのはさすがにまずいのではないかと思うが、そこまで世話をする義理もない。できれば起きて自分でなんとかしてほしかった。  途方に暮れて立ち尽くしていたウルスを救ってくれたのは、もう二度と会いたくないと思っていた門番だった。焦った様子で牢までやってきた門番は、何やら難しい顔をした男を連れていた。 「あ、あの……あなた、今日来る予定の拷問官じゃなかったんですか。拷問官がふたりいるみたいで」 「今日来る予定のデリバリー配達員だが」    お互いぽかんと顔を見合わせる。気まずい沈黙の中、ウルスはそっと領収書を差し出した。 「受け取りのサインをもらいたい」 「……はあ……」  お互いに顔を引きつらせる。門まで案内してもらうわずかな時間が死ぬほど居心地悪かった。場を和ませようとしてくれたのか、『才能があるから君も拷問官にならないか』とのたまった拷問官の誘いは必死に辞退した。そんな恐ろしいことしたくない。  不幸な一日の総仕上げとして、せっかく採集したはずのピンクスライムの涙がなくなっていたことに気づいたのは帰宅してからのことだ。いくらあの男が変態とはいえ、通りで異様に大げさな反応をしていたはずだと少し納得した。通常であればあれで十回分になる。つまりは感度十倍というやつだ。ピンク男には悪いことをしてしまったけれど、もう会うこともないだろうし、体に害の残るものではないので広い心で許してほしい。ウルスは天に謝罪した。  なおその後、ウルスによって何かに目覚めてしまったらしいピンク髪の男がどこからともなく訪ねてくるようになり、犬のような人懐こさにほだされて恋人関係を結ぶことになるのだが、それはすべて未来の話である。
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