不安の蛹

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 低く(うごめ)くような声の中で菖蒲は目を覚ました。脳だけが起きていて、体は眠りについているかのように全身が弛緩していて動かない。黴臭く埃っぽい匂いが鼻をつく。湿り気のある粘ついた空気が呼吸をするたびに肺を満たす。早くここから逃げなくてはならない、と状況も把握できないうちに脳が囁いた。 「カケマクモカシコキトコヨノオオカミ——」  樒が大麻(おおぬさ)を狂ったように振り回す。これは何かの儀式なのだ。樒は「償え」と言っていたが、この儀式を受けることが償いなのか。果てはその先に待ち受ける何かが。 「——キコシメセトカシコミカシコミモウス」  背後にいた菊子に抱きかかえられたかと思うと、唇に盃が触れ、中の液体を口内に注ぎ込まれる。つんと鼻を刺すアルコール臭に思わずむせ返りそうになるが、体が痺れているせいで吐き出すこともできず、唇の端から零れ落ちていった。  樒が自身の半身ほどはある木箱に手をかけると、菊子が息を飲む音が聞こえた。表情は見えないが、肩に触れている手は震えており、彼女の動揺が伝わってくる。菖蒲は菊子だけはまだ正気を保っているように思い、彼女に話しかけようとしたが、口から転び出てくる言葉は赤ん坊の喃語のようで意味を成さなかった。  樒が箱を開ける。彼女の体が影になっていて箱の中身は見えなかったが、彼女はそれを恭しく取り出すと一礼して菖蒲の前に差し出した。 「うっ」  眼前に差し出されたそれに菖蒲は思わず声をあげる。赤ん坊大ほどのそれは少女の姿をしていた。少女には四肢がなかった。肩口から、腿の付け根から、小さな手足が生えていた。少女は幾度か瞬きをして、菊子と同じガラス玉のような目で菖蒲を見た。  ——ああ、生きている。
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