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昼休みに同僚たちと入った定食屋のテレビには、オレンジと紫で埋め尽くされた雑貨屋の店先が映っている。
「ハロウィンねえ。そっかもう来週か。また渋谷とかで大騒ぎになるんですかね」
注文を済ませると、黒川の隣で部下の東山が画面の中の狂乱に向かって白けた声を出した。人ごみは大の苦手という彼女にしてみれば、仮装して路上に集まるなんて狂気の沙汰としか思えないのだろう。
「どうかな。平日だし、そこまででもないんじゃないの。それにしても、ハロウィンももうすっかり風物詩になったなあ。この前うちも子どもがなんか作ってたし。僕みたいなアラフォーおじさんにはついていけませんわ」
黒川より三つ年下の村田は、でっぷりと太った腹を撫でてそう言った。
「俺、この前の週末同期会でやってるハロウィンパーティーに行ってきましたよ」
三年目の藤本がそんな村田を揶揄うかのような口調で話し出した。
「うわ、パリピじゃん」
東山が露骨に顔をしかめる。
「同期会ってことは結構大規模なんじゃないの」
黒川はそう言いながら、恋人の俊樹と藤本が同期入社だったことを頭の隅で思い出していた。
「まあそうですね。とはいえ、勤務地がここらへんの社員だけなんでそこまででもないですけど、それでも3、40人くらいいますかね。幹事やってくれてる奴が学生時代イベント会社でバイトしてて、その時の伝手で毎年結構良い会場を押さえてくれるんですよ」
「へえ、すごいね」
「それはみんな仮装してくるわけ?」
信じられない、とでも言いたげな村田に藤本は頷く。
「それは勿論そうですよ。まあ、大体はバラエティショップで買った服を何となく着てくるだけなんですけど。だから衣装が被ってちょっと気まずい、なんてことがよく発生するんですよね」
「藤本君は何を着たの?」
「俺は恐竜の着ぐるみで行きました」
「あー、そういう系ね。それこそ何人も被ってそう」
東山の呆れ顔に、藤本はばつの悪そうな笑みを返す。どうやら図星だったようだ。ちょうどそこで料理が運ばれてきて、皆手を合わせて食事を始める。しばらく沈黙が続いて、何か別の話をしようかと黒川が思い始めたところで、藤本が口を開いた。
「さっき俺も仮装したって言いましたけど、正直俺らの格好なんて別にどうでも良いんですよ。メインは別にありますから」
「ははあん、女子社員がちょっと際どいコスプレとかしてくれるんだな」
にやけ顔の村田を横目で見て、藤本はすっと真顔になる。
「そんなのに鼻の下伸ばしてたら社会的に死にますよ。そもそも、そんな服着てくれる女性社員なんかいないですしね」
「おお、コンプラの波がこんなところにも」
村田はちょっと仰け反ってみせた。彼を冷ややかな目で一瞥して、東山も話に入る。
「それならメインってのはなんなわけ」
「R&Dの同期で相良さんって人がいるんですけど、その人がすごいんですよ」
思いがけない形で俊樹の名前が出て、黒川は弾かれたように顔を上げた。幸い、そんな黒川の不審な様子には誰も気づいていない。確かに先週の土曜日は用があると言って俊樹は部屋に来なかったから、その会に参加していたのかもしれないと思いはしたが、まさか藤本の口から彼の名前が出るとは予想していなかった。
「同期って言っても修士なんで俺より二つ上なんですけど、その人、女装がめちゃくちゃうまいんです」
「女装?」
黒川の眉根には無意識に縦皺が寄る。聞いてないぞそんな話。
「え、何、本格的なやつ? 男子校のミスコンみたいな? 写真とかないの?」
東山が興味津々という体で身を乗り出す。どうにも面白くないと思いながら、黒川は機械的に生姜焼きに箸を伸ばした。
「残念ながら、写真は撮らせてくれないんですよね」
その言葉に少しだけ安心する。しかし、自分の知らないところで自分が見たことのない(それももしかしたら煽情的かもしれない)格好を衆目に晒していた事には変わりない。
恋人として制限をかける権利があるかと問われれば、即座に是とは言い難いところだと了解しつつも、歓迎する気にはなれなかった。
「えー、残念だな。普段の写真も無いの?」
「いやあ無いですね。そんな親しい仲じゃないんで。相良さんは同期の中でも目立つ人だから俺は知ってますけど、向こうからしてみれば俺なんて大多数のうちの一人ですからね。せいぜい、勤務地が一緒だっていうんで、顔と名前くらいはかろうじて知ってくれてるかもっていう程度ですよ」
「目立つってことはやっぱイケメンなの」
「イケメンっていうか、可愛い系? なんて言えばいいですかね、あのほら、少女漫画とかによく出てくる可愛い男の子キャラっているじゃないですか。ふわふわの髪で目が大きくて、みたいな。あんな感じです」
藤本の形容が的を射ているのが無性に腹立たしい。そんなみっともない感情はおくびにも出さないように、黒川はほとんど味がしない料理を黙々と口に運ぶ。
「会ってみたいなあ。その見た目でエリート理系なんでしょ? ギャップ萌えだわ」
「いやー、まじでそうなんですよね」
募る苛立ちを何とか抑えつけながら、今度会ったら詳しく聞いてみる必要があるな、と考えて黒川は箸を置いた。
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