演じる猫は見ていた

3/7
前へ
/7ページ
次へ
膝の上でにゃあにゃあ鳴いてお嬢を励ましていると、ノックの音が鳴る。 お嬢の「どうぞ」の後にしずしずと入ってきたのは、赤毛を結い上げた一人のメイドだ。彼女が笑みを浮かべると、たれ目が人の良さを醸し出す。 「お嬢様。おはようございます」 「イスラ、おはよう」 お嬢が幼い頃から世話をしていたイスラは、今やお嬢専属。朗らかで優しくて、時に厳しい彼女にお嬢はとても懐いていて、二人はまるで姉妹のようだ。 そんなイスラの本業は隣国のスパイだ。 私がそれを知ったのはお嬢が二歳の時の真夜中。 猫なせいか夜はテンションがあがって仕方がない。幸い、屋敷の中は自由に歩き回らせてもらえるから、私は興奮を散歩で発散していた。 いつものように廊下を歩いていたその時。私は物音に足を止めた。旦那様の書斎からだ。 猫の耳はとても敏感に音を拾うから、幾ら人間が気をつけていても微かな音を聞いてしまう。 でも、旦那様はもう寝てるはず。これは事件の予感。 私は開いていたドアの隙間から部屋の中に身体を滑り込ませた。 その瞬間、私の身体に押された扉が、キィ、と音を立てた。 「誰だ!」 「……にゃー」 「なんだ猫か……」 本当にあるんだ、こういう場面。 バクバクする心臓を落ち着けるために、私はその場で毛づくろいをする。 毛を舐めながらイスラを窺うと、彼女の手には何枚かの書類があった。 内容が気になった私は、机の上にひらりと跳び乗る。猫のすることをイスラは気にもとめなかった。 「私が隣国の者だなんて、思いもしなかっただろう?」 そう言ってイスラは私の頭をなでた。 猫だと思って油断したら駄目じゃない? どこで誰が聞いているのかわかんないのに。 「……初任務で隣国の宰相の屋敷に潜り込むことになるとはな」 なるほど、新人さん。それにしたってめっちゃ喋るじゃん。良かったね、私が猫で。 私は首を伸ばしてイスラが持っている書類を覗く。 それはお嬢の成長記録だった。一応未来の王妃候補の情報だけれど、これでは満足できないのか、尚もイスラは引き出しを探し続ける。 どうせ重要機密が欲しいんでしょ。そんなの家の引き出しには置かないと思うけど? 小さく鳴いて呆れた視線を向けると、ため息をついたイスラは諦めたのか書類を丁寧に元に戻していく。 「大精霊の情報を掴まねばならないんだ」 大精霊。何それ、急に気になってきた。精霊とかそういうのいたんだ、この世界。一回も見たことないけど。 でも、お嬢の話には一度も『大精霊』なんて言葉は出てこなかった。というかそもそもファンタジーの話ではなかった。 つまり、ここはお嬢が読んだ物語の世界とは似て非なる世界ということ? お嬢に伝えてあげたい。あの子絶対好きでしょこの手の話。けれど残念ながら方法がない。だって私、にゃーとしか喋れないもん。 「ここにないとなると王宮の執務室か……抜け目のない宰相だ」 そう呟くと、イスラは私を抱き上げた。 自由に屋敷を歩かせてもらえるとはいえ、さすがに書斎に猫がいるのは不自然だ。猫は重たい扉を開けられない。誰かが忍び込んだのがばれてしまう。 「誰にも言うなよ」 廊下に私を下ろしたイスラはそう言うと、音もなく歩いて行った。 それから十年。大精霊について気になった私は情報が欲しくてイスラについて回った。 しかし彼女がどれだけ探っても、大精霊の情報は見つからなかった。 ……なんか、大精霊とかいない気がする。偉い人ほどオカルトとか迷信とか、眉唾なもの信じるっていうじゃん。 けれど、お国から帰還命令がない以上、彼女はこの屋敷でメイドを演じ続けるほかないのだ。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加