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寝起きのお嬢の肩にショールをかけながら、イスラが言う。
「本日のご予定の確認を。午前中はピアノのレッスン、午後はオリバー王太子殿下がいらっしゃいます」
「ええ……楽しみだわ」
どう見たって楽しみって顔してないよ、お嬢。緊張がまるわかり。
イスラも同じことを思ったのか苦笑いをしている。
「まずは朝食を。こちらにお持ちしますか?」
「そうね」
イスラが小さなベルを鳴らすと、他のメイドたちがお湯とタオルを持ってきた。次いで、運ばれてくる美味しそうな朝ごはん。
顔と口を漱いだお嬢が朝食に取り掛かっている間、イスラは次の仕事に取り掛かるために、お嬢のクローゼットルームへと向かう。お嬢の衣装を用意するのも彼女の役目だ。私はイスラの後を追った。
流れるようにてきぱきと仕事をするイスラ。そのメイドとしての手腕は、すっかりベテランの域に達していた。奥様にも認められていて「私の侍女にならない?」なんてお声もかかっているほどだ。
侍女って言ったらそこそこ高給取り。もうスパイなんてやめていいんじゃないかなって思うのだけど……
「こちらがお嬢様の本日の御召し物よ」
並べられた物を見て私は思わず毛づくろいを始めた。心を落ち着けないとやってられない。
イスラのコーディネートのセンスは壊滅的だ。
どうしてその淡い水色の可愛いドレスに、ビビットなオレンジと黄緑の水玉模様の靴を合わせようと思ったの?
髪飾りは大きな羽飾りがついた紫の小ぶりなハット。お嬢が生まれる前の流行りよ、それ。
ドレスは少女らしいデザイン。なのに靴は派手すぎ。髪飾りは大人びたを通り越して老婦人向け。
どれも単品で見たら良い物なのに、雰囲気がすれ違いすぎて、もはや異世界交流が始まっちゃってるよ。
「午後は王太子殿下とのお茶会です。着付けの際の補助はあなたに任せますから、そのつもりで」
イスラに指名された若いメイドが、目の前に並べられた異世界交流を見て青褪めた。その気持ち、わかる。
私はイスラの足元で必死に訴えた。なんなら棚に上って彼女に目で訴えかけてみたりもした。
「どうしたの、エラ。そんなに甘えて」
にゃーしか言えないって不便!
……かくなるうえは。
私は棚の上からひらりと跳び下り、目に痛い色合いの靴を片方くわえて戸棚の下に隠した。次に髪飾りの羽にじゃれつくふりをして引っこ抜く。
「ああっ!」
さっきのメイドが悲鳴をあげ、慌てて戸棚の裏の靴に手を伸ばすけど、奥の奥に詰め込んだからそうそう届きはしないだろう。
というか、あのコーディネートの酷さをわかっているからか、あんまり真面目に取ろうとしてないみたい。
「……仕方ないわ。髪飾りも修繕は間に合わない、別な物を用意しましょう」
そう。お嬢の危機はまだ去っていない。
クローゼットルームの奥の扉が開くと、私は音もなくするりと中に忍び込む。
そして、ドレスに合わない靴に片っ端から身体をこすりつけた。
あっという間に毛だらけになった靴たちの中、残ったのは白いリボンの飾りがついた靴だ。
よし、これでいい。毛だらけの靴を手入れさせられる下っ端の使用人たちが可哀想だけれど、婚約者の前で失われるお嬢の名誉には代えがたい。
これにしなさいとばかりに、ぺしぺしと白い靴を前足で叩くと、イスラは不満げに靴を持ち上げ、小さな声で呟く。
「残ったのはこれだけか……こんな地味な組みあわせ、祖国では笑い物だ……」
えっ。あのセンス、隣国の流行りなの? 隣国のおしゃれ事情、とても気になってきたんだけど。
一先ずそれは置いておいて、次は髪飾りだ。イスラは赤紫の花のやつをじっと見ている。どうしてそうビビッドに攻めたがるのか。
私はお嬢の髪飾りの棚をざっと眺めた。白いレースのリボンにしよう。お嬢もお気に入りだし。
私は繊細なレースを破かないように気をつけてくわえ、イスラの目を盗んでお嬢の膝へと駆けた。
「選んでくれたの? ありがとう、今日はこれで頑張るわ」
機嫌良く微笑むお嬢にリボンを渡したところで任務成功だ。イスラはお嬢の頼みを断らないから、これをつけるだろう。
あー、疲れた。私はあくびをすると、日当たりの良い窓辺に寝転んだ。
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