scene 18 稽古場前の路上(夜)

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scene 18 稽古場前の路上(夜)

 いつの間にか世の中からセミの声が消えて、ただ日中の暑さだけがジリジリと残って季節感が曖昧になってきた頃、ロケ先から戻ったと真雪から連絡があった。  お土産にお酒を買ってきたので開くんの料理で乾杯しよう、というお誘いだった。  でも、わたしはそれを断った。 「ごめん、ちょっと次の舞台のホンまだ読み込んでなくて」  嘘をついた。  本当は、台本はもう読んでしまった。それも、何度も。自分のセリフどころか他の人のセリフも全て覚えるほど、何度も。  何かしていないと、しょうもないことを考えてしまって止まらなくなる。だから、できるだけ何も考えなくて済むように、ひたすら台本を読んだ。読みまくった。頭の中がその芝居の世界観で満たされるまで、ただひたすらに台本を読み込んだ。 「そっかぁ。じゃあまた今度にしよう。次のオフはいつ?」 「まだ、わかんないかも」  今度は、もう来ないかも知れない。  真雪と会うという状況がうまく想像できない。頭に、真雪たちと楽しく過ごす情景がなにも浮かんでこない。  わたしのせいでかわいそうな思いをする真雪を、想像したくなかった。 「そっか……会いたいなぁ」 「ごめんね」  それから、舞台の稽古が進んだのをいいことにそちらに無理やり集中して、真雪からの誘いをスルーし続けた。  プリンちゃんが誘ってくれていたビアンナイトも断った。  ローラさんのお店の恒例のドラァグイベントも断った。  3度目くらいにイベントを断った時、いよいよ真雪から会えない理由を訊かれた。それでもわたしは本当のことは言えず、ただ、忙しいから、と断った。 「朔。なにかあった?」  心配そうな真雪の声を、あまり意識に入れないようにした。とにかく、スルー。聞き流さないと。 「ん? ないよ、別に」  白々しいな、と思う。わたし、プロの役者じゃなかったっけ。  なんでこんな簡単なセリフに感情を乗せられないんだろう。  それからも真雪からの電話は定期的にあって、その度にわたしはウソくさい言い訳を繰り返して誘いを断った。  真雪が地方ロケから戻って1ヶ月くらい経った頃。  芝居の稽古を終えて稽古場から出たところで、見覚えのある顔を見つけた。  懐かしい、と思った。そんなに会っていなかったっけ。 「久しぶり」 「うん。久しぶり」  源ちゃんは腕を組んでわたしをじっと見ている。 「真雪がさぁ。情緒不安定で使いモンにならないんだけど」  まだ、劇団の関係者がたくさん周囲にいて、こんなところで揉め事みたいに声を荒げて話していたら、きっと目立つ。源ちゃん、背丈も声もデカいし。仕方なく、稽古場の建物の脇にある路地の方へ源ちゃんを引っ張って行った。 「ごめん」  しまった。いきなり謝ってしまった。これじゃあ、わたしが何か悪いことをしたのだと認めることになってしまう。 「あ? なにが?」  怒っている、よな。そうだよな、怒るよな。当然だ。 「ちゃんと説明聞きたいんだけど」 「……ごめん」 「説明しないつもり?」  容赦ない厳しい口調で、イライラがそのままぶつかってくる。 「……あの、真雪に、迷惑かけるかと思って」 「迷惑?」 「うん。真雪が、可哀相だな、って」 「あー……意味がわかんねぇわ」  自分でもわからない。 「…………ごめん」 「謝って欲しいわけじゃなくて」  わたしも謝って済まそうとしているわけではないのだけど。  やっぱり源ちゃんにはごまかしは通用しない。これは許してもらえないだろう。 「うん、ごめん。あの、わたしみたいな、役者、とか、さ……ウソつくのが仕事みたいな人間が真雪の近くにいたら、さ……」  たぶん怒っているだろうその顔を見るのが怖くて、下を向いたまま言葉を連ねた。 「なんか、可哀相じゃん、色々、騙してるみたいで」  誰かを悪く言ったり、責任を押し付けたり、そういうのが目的なわけではない。だからできるだけ誰も傷つかない無難な言い方を選んだつもりだったのだけど。 「……それは、朔ちゃんの本心?」  すごく冷ややかな、今まで聞いたことがないような静かなトーンの話し方。やっぱり、怒っている。しかも、かなり。 「……え?」 「朔ちゃんが自分で考えたことなのか、って聞いてんだよ」 「それは……」  嘘もつきたくないけど、本当のことを言うのも怖い。 「誰かに何か言われたのか」 「……いや、それは、あの……」  上手く言葉が見つからなくて、気まずい沈黙がジリジリと続く。 「もしかして、リナに会った?」  思ったより早くその名前にたどりつかれて、もう観念するしかないかも、と思う。本当のことを話してしまった方がお互い早く楽になれそう。 「…………会って、ない、よ」 「ローラの店に最近よく出入りしてるって聞いてるんだけど」  そこまで知っているなら、もっと細かい状況も伝わっていそうだけど。シーナさんが話したのだろうか。よく出入り、ということは、あの時だけではなくて、もしかしたらローラさんもいろいろ把握してるのかもしれない。それなら源ちゃんに伝わっても不思議ではない。 「会ったんだ?」 「会って、は、ない……けど、遠くから、話してるの……聞いた」 「リナがそう言ったの? 真雪が可哀相だって」  もうごまかせない。逃げられない。 「……うん」 「はあああああー、もう。何やってんだ、ホントに」  自分でもそう思っている。何やってるんだ、と。だから源ちゃんに言われなくてももうとっくに自分に呆れてヘコんでいたので、これは駄目押し的に痛い。 「真雪のどこをどう見たら可哀相に見えんの!? あんた頭だけじゃなく目も悪かったっけ!?」  ダメだ。これ、本気で怒っている、というかキレているな。毒舌、炸裂しているし。 「真雪ね、仕事はなんとかこなしてるけど、見ててハラハラするくらい不安定で、あの真雪がね、過食してんの。あの真雪が、だよ。めちゃくちゃ食べてて、まぁ食べないよりはいいのかも知れないけど、モデル辞めてからも何だかんだ言いながら10年あの体型キープしてきてたのに、あんたと会えなくなってから、もう痛々しいくらい過食してんの」  ああこれは、完全に想定ミスだ。大失敗。  真雪が可哀想にならないように離れたのに、今、真雪はいつも通りに過ごせていない。しかもそれが、わたしが離れたせいだという。こんなの、全然想定外だ。 「今はただ過食してるだけで体重も増えてるみたいだけど、元モデルだし、そのうち食べてから吐くようになるんじゃないかと思って心配で」  怖い。知りたくない。  わたしが考えて決めた行動のせいで誰かが傷つくのは怖い。しかもそれが、今いちばん近くにいると思っていた真雪で。こんなことって、何の罰だろう、と泣きたくなる。自分がやらかしたことの因果なのに。 「最近はできるだけウチに呼んで、もう半同居みたいに無理やりさせて、僕と開で監視して過食もさせないように見張ってるんだけど、仕事で外出てくとやっぱり食べてるみたいで」  聞きたくない。耳を塞いでしまいたい。  でも、本当にしんどいのは真雪の方だ。 「真雪の精神面が心配だから朔ちゃんに戻って欲しい、って言ってるわけじゃないよ。朔ちゃんの気持ちを無視してそういうところを朔ちゃんのせいにしてあいつを押し付けるつもりはない」  真雪の精神状態を想像したくない。そんなの、こんな態度をとっているわたしが心配させてもらえる権利なんてない。自分から離れたのに。心配なんて。  でもすごく、気になる。 「朔ちゃんがもう真雪のこと好きじゃなくなって距離取ってるなら、それはもう他人がとやかく言えることじゃないから仕方ないと思ってたけど、そんな事情があって会えなくなってんなら黙ってはいられないな」  源ちゃんが、言いたいことは全て言った、とでも言いたげに大きなため息をついた。 「だから、確認しに来た」 「うん。ごめん……ありがとう」  いつもなら、こういうとき源ちゃんはなにかしらわたしに触れて、頭なでなで、背中ポン、肩グイ、ハグ、とかそういう(なぐさ)めるみたいなスキンシップをとってくる。でも今日は、それがない。ひとつもない。  当然だよな、と思う。なにを甘えているのだ、わたしは。  怒っているのだから、そんなことをしてくれるはずがない。  わかっている。  真雪を悲しませて、源ちゃんを怒らせて、開くんは、呆れているかな。 「真雪と会って、ちゃんと話しなよ」  会って、ちゃんと話す。  何を話す?  自分の気持ち。思っていること。そんなこと話してどうなるの。わたしの何かを話せば、真雪が可哀想じゃなくなるの? 「真雪、今日と明日は撮影入ってるけど、明日の21時過ぎなら帰れると思う。倉庫、使えるようにしとくから、とりあえず一度話し合って」 「……はい」 「それでちゃんと和解できたら、開と待ってるからふたりでウチおいで。みんなで一緒に真雪が買ってきたお酒でも飲もう」  お土産のお酒、飲まないでとってあるんだ。とっておいてくれたんだ。  真雪。  会いたい。 「待ってるから」 「わかった」  話すことなんて見当もつかないけど、わたしはきっと、真雪に会う。このまま会えないで終わるのは嫌だ。  自分で仕組んだくせに、わたしはこのことを後悔している。猛烈に。  変えなければ。  自分で蒔いた種なのだし、自分から動かなければ変わらない。  明日、真雪に会いに行こう。
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