scene 14 衣装倉庫(夜)

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scene 14 衣装倉庫(夜)

 3人の予定がなかなか合わなくて、幾つものイベントを見送って数週間。ようやくスケジュールの都合がついて、久々にみんなで繰り出そうということになった。  あれから、また新しく衣装を1着作ってもらった。それを初めてお披露目することになっていて、わたしはかなり気分が浮かれていた。楽しみで、今日の仕事の打ち合わせも上の空になりそうで必死に堪えた。  最近、真雪に教わったメイク道具を自分でも少しずつ買い揃えていて、使い方も徐々に教わって覚えていっているところで、また色々と教われると思うと楽しみが増した。  あの事件の後、ローラさんから源ちゃんに連絡があって、あの喧嘩をしていた2人にちゃんと細かい血液検査を受けさせて、結局どの感染症もシロだったのだと嬉しい報告をもらった。  喧嘩の原因はただの痴話喧嘩で、後から来た男がオネェと呼ばれるお仕事をしているお姉様と浮気をしたのだと暴言男が勘違いしただけのくだらないものだった。そんなしょうもない喧嘩のせいであの店にいたみんなが嫌な思いをした、というのが本当に切ない。  わたしたちも衣装を3着とウィッグを2つダメにしたし、彼らの血液検査の結果が出るまではずっと不安も消えなかったし、本当に迷惑な話だ。  彼らの検査結果は問題なかったけど、いい機会だからこの際真雪とわたしも感染症の検査をひと通り受けてみたらどうかと源ちゃんに提案されて、確かにそうだなと思ってふたりで受けることにした。  あれから、あの男たちからは、ローラさんの店に騒動を起こした謝罪と、店内の特別清掃代の弁償があったらしい。それと、わたしと真雪に対しての謝罪のメッセージとお詫びの差し入れを受け取った。ちょっとお高めの贈答用のワインだったのだけど、いただいたその日のうちに源ちゃんや開くんを含めた4人であっという間に飲み干してしまって、本当にあの事件が一瞬で過去の出来事になったような気がした。 「こんなのさっさと忘れちゃえばいいんだよ! 証拠隠滅!!」  源ちゃんのポジティブな性格に救われたのは何度目だろう。  本当に頼もしくて、ありがたい。  陽が落ちても気温が下がらない8月下旬。昼間と同じようにセミの声が響きわたる中、汗だくになりながら意気揚々、という心持ちで衣装倉庫に行くと、予想外の光景が目に飛び込んできた。  更衣スペースの床で、真雪が源ちゃんに抱きかかえられている。 「……あの、真雪、どうかしたの?」 「あー、朔ちゃん。ごめんね、今日のイベント、キャンセルしてもらえる?」  キャンセルと聞いて楽しみだった気持ちが一気に(しぼ)んだけど、目の前の光景を見ればそれは避けようがないのだろうなと思う。 「いいけど、何かあったの?」 「……今、主催の友達から連絡あったんだけど、今日ね、そのイベントに、エマの妹が来るんだって」 「エマの……?」  この前の事件の夜に源ちゃんが話してくれた、真雪の過去の話に出てきた名前。 「そう。エマの妹ね、リナっていうんだけど、今、地下アイドルみたいな活動してて、エマが亡くなった時はまだ小学生くらいだったんだけど、今は完全にこっちの……業界の人間になってて」 「そう、なんだ」 「エマが亡くなった時の状況とか原因とかを、家族からかネットからかわかんないけど色々知っちゃってて、その……真雪をね、ちょっと、目の敵にしてるっていうか」  10年前の事件の関係者が真雪と今でも繋がっていることに驚いた。そんなの、もうとっくに方がついたことだと思っていたのに。  妹がいたのか。しかも今、業界に。 「別に直接何か攻撃してきたりとか、そういうんではないんだけどね。まぁ、ちょっと業界に変な噂流されたり、ネットに書き込まれたりとか、ちょっとした嫌がらせが過去にあったの」  世代的に、ありがちな嫌がらせだな、と思う。芸能界あるある過ぎて、取り立てて相手にするほどのものでもないような気もするけど、真雪の場合は親しかった子が亡くなったことと関連しているから、そう単純なものではないのかもしれない。 「だからちょっと、今日は行かない方がいいかな、って思って」 「そっか。わたしはキャンセル全然大丈夫だけど」 「ごめんね、今さっき連絡来たばっかりで、もっと早く連絡できたらここまで来させなくて済んだのにね」 「……うんん、大丈夫。暇だったし」  イベントに行けないのは残念だけど、あまり見たことがない状態の真雪を見れたのはラッキーかもしれない。 「……ほら。真雪。もう行かないことになったんだし、しっかりしなさい」 「…………」  聞いているんだかいないんだか、真雪は返事もしないでダラダラと源ちゃんに寄りかかったままだ。 「あの、わたしが口出しできることじゃないけど、その、妹さんが真雪を目の敵にしててもそれってただの八つ当たりっていうか、お門違いっていうか、とばっちり、だよねぇ?」 「まぁ、そうなんだけどね。僕もよくわかんないけど、家族にしてみれば、いろんな困惑とか憎しみとかそういう負の気持ちを向ける矛先が他に見つからないんだろうね」  もう10年も経つのに、とは思うけど、自死遺族には自死遺族にしかわからない苦しみがあるのだろうし、あまり無下にもできないのか。 「エマが一方的に真雪に執着してただけでこっちは悪いこと何もしてないし、だからもうこっちとしては近づかない、関わらない、それしか策はないんだけどさ」  源ちゃんが話しながら真雪を揺り動かしているけど、反応はない。 「嫌がらせも、訴えるほどの大ごとじゃないからさ。そこがね、またムカツクんだけど。法的にどうにかできるまでいかないギリギリの嫌がらせをさ、うまいことやってて」  反応がないのをいいことに、源ちゃんが真雪のほっぺたを摘んで引っ張ったり、鼻を押し潰したり、イタズラを始めた。 「どうしても、活動場所が一部重なるから、完全な隔離はまぁ難しいんだよね」  さすがに嫌だったのか、真雪は黙ったまま源ちゃんの手を叩き払っていた。 「ほら。真雪。ちょっとこれじゃあ何もできないから。出した服とか片付けたいし、とりあえずしゃんとして。真雪!」  それでもまだダラダラモードは解除されない。源ちゃんもさすがに困惑気味だ。 「朔ちゃん、しばらく暇だよね?」 「……はい」 「じゃあ、これからご飯でも行こうか」 「え、あの」  暇なことは暇なので、食事くらい全然構わないのだけど。 「真雪、ほら。ご飯行こう。っていうか酒の方がいい?」 「……そういうので大丈夫なの?」 「大丈夫。気が紛れればなんでも」  源ちゃんの言い方的に、割とこういうことはよくあることなのかな。 「ほぉら。ちょっと、朔ちゃんも困ってるから」  いや、わたしをだしにしたところで動いてくれるとは思えないし。  案の定、真雪は全然動かなくて、しびれを切らした様子の源ちゃんが大きなため息をついた。 「ちょっと、朔ちゃん、こっち来て」 「へ?」  なんだろう、と思いつつ、呼ばれたままに靴を脱いで更衣スペースに上がる。 「はい、ここ座って。壁に寄りかかって」 「え、うん……」  タイルカーペット敷きのスペースに、指示通りに壁に背中を付けて座る。 「ここ。こっち向きで、そう。ほら、真雪。そっち、朔ちゃんの方、行って」  いきなり、源ちゃんが真雪の身体を起こした。本人に起きる気がないので、グラグラと不安定で危なげだ。 「え、え、何で、え、無理、無理だよ!」 「大丈夫。意識ははっきりしてるんだし、押し倒されたりしないから」 「え、でも」  源ちゃんが強引に、割と雑に真雪の肩を両手で押しやって、隣に座ったわたしの方へポンと放った。 「わ、ちょっ、と、待って」  そのまま手放された真雪がこちらに倒れてきたので、もしかしたらものすごい重さがかかってくるのかと一瞬身構えた。  でも実際には、ちょっともたれ掛かる程度の軽いもので、真雪がちゃんと体勢を自分でコントロールできているのだとわかる。 「甘えてんの。ただ甘えてるだけ。ただのワガママなんだよ」  なるほど。本気で腐っているわけではないのか。 「ちょっと預かってて。僕、ここ片付けちゃうから」 「……はい」 「あ、そうだ! 衣装! 今日着る予定だった衣装、見せてあげる」  そうだった。それを一番楽しみにして来たのだった。 「えっ、嬉しい、見たいです!」 「待ってね」  源ちゃんが衣装ラックのスペースへ消えていった。  それにしても、真雪がこんなふうに甘えられるのは源ちゃんだけだと思っていたのに。わたしでも大丈夫なのか。というか、源ちゃんが託した人なら誰でもいいのかな。  源ちゃんに抱えられていた時は、ちゃんと源ちゃんの肩に頭を乗せて、しっかりハグされている感じになっていた。  でも今は、お互い同じ場所に座っているから、身長差的にわたしの頭より真雪の頭の方が高いところにあって、わたしが真雪をハグしている形にはならない。どう見てもただのしかかられてるだけみたいになっている。  でも、それでもじっと身を預けてくれている真雪を、わたしは可愛いと思ってしまった。  友達と喧嘩して落ち込んでいる子どもみたいな、お母さんに叱られてショックを受けている子どもみたいな、守ってあげたくなるような姿。  思わず真雪の手の甲にポン、と手を当てていて、それに気づいた真雪が一瞬身じろぎしたのを感じ取った。しまった。元気出せよ、というくらいの軽い気持ちだったのだけど、余計なことだったかな。  でも真雪はそのままじっとしていて、そこから逃げないということは嫌な気はしていないのかな、とホッとする。 「ほら、これ!」  源ちゃんが衣装を持って戻ってきた。  あ。手を、重ねたままで。離すタイミング、逃した。まあいいか。 「前にダメにしたの、あれと基本的には作り同じなんだけど、ちょっとね、気になるところ多少変えて、色も前回のよりは朔ちゃんに合ってると思う。あと、ここのボリューム抑えたの、あんたちっちゃいから」  言われた通りに、最初に作ってくれたものとタイプは一緒。でも細かいところがいろいろと変更してあって、色も形もバランスも綺麗。 「すごい、美しい! 源ちゃんすごい、プロみたい!」 「いや、プロなんだがな」 「あーそうだった! 嬉しいです、ありがとう。早く着たいなぁ」  材料費払います、と言いかけたけど、やめた。きっと受け取ってくれないし、それどころか気分悪くする可能性だってある。わたしが源ちゃんに支払うべき対価はきっと、そういう形ではない。 「本当に嬉しい。なんかもうわたし、超恵まれてるよね、めっちゃ嬉しい。ありがとう」 「いいよ、喜んでもらえたら。真雪の世話もさせちゃってるし」 「あはは。バイト料か!」 「そうかもーあははー!」  そう。こういうのがきっと、ちょうどいい。  それから、10分か15分か、源ちゃんが片付けを済ませるまでじっとしていたのだけど。 「よっし、とりあえず終わり。もういいや、今日は。おーい、真雪。まだ復活しないの?」 「真雪、源ちゃん終わったって」  わたしからもそっと声をかけてみて、気づいた。  もしや、寝てる!? 「源ちゃん、あの、重たい……動けないんだけど……」 「え、なんで? ……真雪? まさか、寝てんの?」  じっと待ってみたけど、反応はゼロ。揺らしても動かない。 「そう、みたい」 「マジか!? すっげえな、そんなことってあんの!」 「え、そんなことってないの?」 「ないよ、見たことねーわ」  結局、わたしの肩にもたれて、というかわたしの頭におでこを乗せるみたいにして超絶不安的な体勢で器用に寝入ってしまった真雪の身体をふたり掛かりで横たえさせて、わたしの太腿に頭を乗せてあげる形で落ち着いた。源ちゃんがストールを持ってきて真雪にかけてくれた。 「真雪、夕べの現場、朝方までかかったんだって。だから今日のイベントはやめといた方がいいって言ったのに」  そんなに行きたかったイベントだったのか。 「朔も来るからメイク教えてあげなきゃ、って言ってさ」  わたしのため?  わたしにメイクを教えるために寝不足を押して出てきてくれたというのか。そういうところが、最初の印象と違っていて、なんていうか。 「せっかくいろいろ覚えてきてたところだし、やらないと忘れちゃうからって。朔ちゃん程度のお顔なんてアタシでもチョチョイとやれるっつーのに、ねぇ」 「……はぁ!?」 「そうそう、イイね。反応早くなってきたね!」  最近いつもこのパターンだな、と思う。ようやく『ノリ』がわかってきた。 「……もぅ。なんでよ」 「ま、とにかく、頑張っちゃったんだよ、真雪なりに」 「そうなんだ……」  真雪を起こすことを諦めた源ちゃんが、自分の中途半端なメイクをリセットし始めた。 「真雪はさ、昔、エマに自分の容姿を羨ましがられて妬まれて、でも真雪は本気でエマのことは可愛がってたし、エマにはエマの良さがあるからそれを大事にして欲しい、ってずっと訴えてたんだよ」  真雪のことを知れば知るほど、本当に最初の頃の印象と違っていて、でもそれは真雪が悪いわけではなくて、わたしが勝手に上っ面だけで判断して思い込んでいたのが悪い。 「それでもあんな結果になっちゃって、真雪の中ではさ、容姿やコンプレックスで苦しむモデルや女優たちを救いたい、っていう気持ちがあって今の職業に就いたんだって言ってた」 「救いたい?」 「そうなんだってさ。それが真雪なりの償い方なのかもね」  モデル時代から、10年前の事件、それからメイクのプロになって今に至るまでの真雪をずっと見てきた源ちゃんは、今の真雪をどう思っているのだろう。  幸せに見えるのかな。  楽しくやっているように見えるのかな。  それとも、まだ、どこか本来の姿を隠しているように見える? 「ずいぶん懐いたなぁ。あの時からだよな」  わたしの膝枕でスヤスヤ眠っている真雪をチラリと見て、源ちゃんがしみじみと呟いた。あの時、というのはたぶん、あの血(まみ)れ事件の夜、開くんの家に泊まった夜のことだ。 「……懐いた、って言うのかな、これ」  真雪がわたしに懐いてきているというよりは、どちらかというと、わたしをお気に入りのぬいぐるみみたいに思っているだけなような。 「わたしは、真雪の強さを尊敬する」 「強さ? 朔ちゃんには真雪が強く見えるの?」 「うん。芯がね、すごく強いと思う」 「……へぇ。面白いね」 「だって、それだけのことがあったのに、同じ現場に居続けるための自分らしさを自分の力で手に入れたんだよ。立ち位置は変わったけど、同じ業界に留まって、しかもそういうしんどい思いをしてる人たちを救う方法を考えてるんだよ。強いよ。強すぎるよ」  職業柄、わたしはいつも他人の人生の一部を垣間見たとき、もしも自分だったらどうするか、ということを割と深く考えてしまう。好きとか嫌いとかではなく、もうクセになっている。 「わたしはなんでもすぐに逃げちゃうから。無理だと思ったら、すぐその場から逃げるから、真雪を見習わなきゃ、って思ってる」  源ちゃんから真雪がどう見えているのか、今は確認できなかったけど、それならわたしから見た真雪の印象を伝えたい。 「役者やるには、本当の自分がないことがプラスになるってずっと思い込んできたけど、真雪見てると、もしかしたらそうじゃないのかなーって思ったりして」 「へぇ……」 「でもね、職種問わず、やっぱり芯の部分がガツッとしてる人が強いのかも、って、最近真雪を見てて思うようになった」  メイクを完全にオフしてウィッグネットをパチンと外した源ちゃんが、ふぅ、とスッキリしたみたいに息を吐いた。それからわたしの方を振り向いて、言った。 「もおー、ホントにあんたたちそっくり。おんなじなんだよ」 「え?」  あんたたち、と言うからたぶん、わたしと真雪のことなのだろうけど、それがそっくりとか同じとか、意味がわからない。 「似てるって言ってんの」  そっくり、同じ、の次は、似てる、か。やっぱりわからない。 「似てる? わたしと真雪が?」 「そう。そっくり」  すんなり理解できないわたしに呆れたのか、源ちゃんが仕方なさそうに繰り返した。 「えー、どこが?」 「本当の自分の取扱いに手こずってるところが、だよ!」  わたしは本当の自分がないとずっと思っていて、真雪は本当の自分を出したくないのだと以前源ちゃんが言っていた。  正反対だと思っていた。だから、相性が悪いのだと。  同じ……?  わたしと真雪が? 「そもそものところからして、本当の自分ってなんなのよ、って話だよ。自分らしさ? 自認? それとも他人から見た印象? そんなの、アタシってこうなんですー!って言っちゃった時点でそういう人なんだから、本当かどうかなんて確認のしようがないでしょうが」  相変わらず潔いな、と思う。シンプルで、簡潔で、清々しい。  そんなふうに割り切れて器用にやってこれていたら、わたしももっとマシな大人になっていたのかもしれない。 「みんなそうやって頑張って必死に自分を取り繕って生きてんだよ。そういう作られた自分だって本当の自分だろ」  優しさと強さの共存を体現している人だな、と思う。マイノリティ故に辛い思いをしたことも多かっただろうに、そんなことを微塵も感じさせないポジティブで朗らかな振る舞いに、救われる人はたくさんいるだろうな、と思う。実際、わたしもそのひとりだ。  源ちゃんに言われたら、いろんなことを、そうなのかな、と思えてしまう。本当に不思議だ。 「それをみんなしてゴチャゴチャと、わかんねーだの見せたくねーだのって。ほーんと、なんでわざわざそういうふうにめんどくさい方めんどくさい方に自ら行くかねぇ」  呆れたみたいに芝居じみた言い回しで嘆いて、はーあ、とため息をついた。 「もっと気楽にいけばいいのに」  片付けも終わってやることがなくなってソファにドサッと身体を沈めた源ちゃんが、ゆっくりと腕を上げて伸びをした。それからわたしと真雪を見比べるみたいにしてじっと見てから、独り言のように小さく呟く。 「まぁ、それができりゃ苦労してねーか」  わたしはそれを聞こえなかったふりして、いつの間にか完全に陽が落ちて暗くなった窓の外をじっと見ていた。  規則的に続く真雪の寝息が、耳に心地よかった。
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