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scene 16 ローラの店 (夜) // 衣装倉庫(深夜)
結局、イベントへは1時間以上の大遅刻で参加した。
オープニングのステージが前から楽しみにしていたショーだったので、それを逃したことが悔やまれる。いや、半分はわたしのせいだな。
「もぉ、あんたたちなんで遅れて来たのよぉ! せっかくアタシが……アタシが……あんなにカラダを張って頑張ったのに……!」
「アンタ何にもしてないじゃないのよ!」
「ぎゃははー、そうだったー!」
ここはいつも楽しくて、みんな優しくて、居心地が良い。
どんなセクシュアリティでも受け入れてもらえて、本当に温かい。
今でこそそういう場所になっているけど、ひと昔前はそういうわけでもなかった、と源ちゃんが言っていた。
昔はゲイバーはやっぱりゲイの人しか入れないような場所で、ノンケはもちろんのこと、ビアンやバイもなかなか受け入れてもらえなかったのだと。
前にシーナさんが教えてくれた。
「ローラちゃんってね、パートナーがビアンの子なの。ローラちゃんはオープンにしてるから言っちゃうけど、ローラちゃん自身はトランスでパンセクシュアル。あの性格もあるけど、ある意味、オールマイティーよね、無敵な感じ。だからすごく間口広くて、来るものは全て拒まず。あれは本当に天性の才能だわよね」
そんなママの周りには、やっぱり類友な顔ぶれが集まっていて、店員もお客さんも同じように心の広そうな人ばかりだ。
「もうゲイバーじゃなくミックスバーにしちゃえばいいのに」
常連さんたちはこぞってそう口にする。でも、ローラさんは、セクシュアリティのカテゴライズにあまりこだわらないから逆にゲイバーでいいと思っているらしい。
「これからはさ、そういう垣根みたいなのも取っ払って行こうよね、っていう流れだし、ローラちゃんみたいな子のお店は流行ってほしいなーって思うわ」
これは、みんなの夢。でも、それが言うほど簡単でないこともみんな知っている。
お店の人気が出たり店員にファンが付いたりすれば、同じだけアンチも湧く。ヘイターだってそこらじゅうに転がっていて、なにか噛み付けるネタがないか常にアンテナを張り巡らせている。セクシュアルマイノリティが差別やヘイトのターゲットになるのは本当に簡単であっという間のことなのだ。
「あらぁ、真雪、最近ビアンナイト来ないじゃない。また来週末あるわよ。みんな会いたがってるからたまには顔出しなさいな」
イベントではだいたいいつも一緒になるマーマレードプディングさん、通称プリンちゃんが声をかけてくれた。
「……一緒に行く?」
「うん、行ってみたい」
真雪が誘ってくれたので答えたら、プリンちゃんが大げさに驚いた顔をした。
「えぇー、朔ちゃんも行くのぉ? ダメよぉ、やめときなさいよぉ。あんなとこに朔ちゃんみたいな子が行ったらあっという間に野獣たちに食べられちゃうから。ペロリよ、ペロリ!」
「あー、それは大丈夫」
「何アンタ、何を根拠にそんな」
自信満々に真雪が断言したのをプリンちゃんが突っ込んだら、背後から源ちゃんがスッと近寄った。
「今ねぇ、真雪が狙ってんのよ。オオカミさんになりそうなの、真雪」
「はぁ!? じゃあ、朔ちゃんが真雪に食べられそうになってるってこと!?」
「そぉなの。怖いでしょー!」
そんな、わざわざ火種を撒くようなことをしないでいいのに。
「やっだぁ、マジ!? マジなの!? ぎゃああああ! ヒワイねぇ!」
騒がれて恥ずかしかったけど、話の内容は事実なので否定はしないでおいた。
たぶんこれで、わたしはビアン認定されたのだろうな。
でも嫌な気は全然しない。むしろ、わたしがいてもいい定位置をもらえたみたいな、ホッとした感じがする。
「ちょっとぉ、朔ちゃん。本当にいいの? 真雪よ? この真雪なのよ?」
ローラさんがわたしの肩をそっと抱くようにして内緒話みたいにヒソヒソと話した。
「はい、ちょっと、触んないで」
ローラさんとわたしの身体の間にスッと腕が差し込まれて、そのまま引き離される。振り向いたら真顔の真雪がわたしたちを見下ろしていた。
「はぁ!? 何よ! 何もしてないわよぉ!!」
こういうのはお約束で、たぶん、その場の雰囲気を盛り上げる余興のようなもので。でもそこにはやっぱり優しさが満ち溢れていて、本当に楽しい。
「リズさんに言いつけるよ」
「あ、っと……それは……アハハ、ごめんなさいね」
「リズさんってね、ローラちゃんのパートナー。ビアンナイトで会えると思うから紹介するね」
また新しい名前が出てきて、誰だろう、と思っていたら真雪が教えてくれた。
「うん。楽しみ」
繋がりが増えていく。
嬉しい。
「じゃあ帰ろー。またねー!」
最後までいたかったのだけど、なんだかいろいろバタバタしていたので3人とも疲れてしまって、クローズの時間まではいられなかった。
「はぁ、疲れたぁ……今日は疲れたわぁ……」
「今日のメイク、失敗……急いだから色々崩れた」
「ごめん、わたしのせいだね」
「いや、まぁ、それはね……仕方なかったね」
疲れたけど、ようやく新作の衣装も着せてもらえたし、前回からの源ちゃんの手直しも完璧で評判も良くて、かなり満足した。本当に楽しかった。
それに。
やっぱり、真雪の気持ちを知ってしまったことが大きい。もちろん、自分の気持ちも。なんだか少し浮世離れ感があってフワフワと浮ついている。
「これから倉庫戻ってオフったら、ちょっと飲む?」
「あー、いいね。そうしよう」
「ちょっとゆっくり話したいし。朔ちゃんは? 明日もオフだよね?」
わたしも、なんとなくまだ帰りたくない。ひとりになって仕事や家事のことだけに神経を使うのは、今はまだしたくない。
「うん。大丈夫」
「じゃあ帰ろうか。買い出しして帰ろう」
「え? この格好で買い出しするの?」
「大丈夫よぅ、この辺のお店は慣れてるから」
ドラァグの装いのまま街中を徘徊したことは今まで一度もない。お店や倉庫の周辺を少し歩くのと、タクシーに乗ることくらいしかしていない。この格好でスーパーやコンビニに入るのかと思うと、さすがに不安になる。しかも真雪と源ちゃんはとにかく大きくて目立つし。
まあ、ロケだと思えば大丈夫、かな。
「はぁあああ、疲れタァ!」
「足、痛ぁ……」
ローラさんのお店の近くにある24時間営業のスーパーに寄ってお酒やおつまみを買い出ししたのだけど、源ちゃんが言った通り、本当に店員も客も特にわたしたちを凝視したり遠巻きにヒソヒソしたりということが全然なかった。周辺が飲み屋系やクラブの密集地なので、派手な客は珍しくないのだろう。
「ローラちゃん、元気だよねぇ。あれでもう40近いんだから凄いよねぇ。タフだわぁ」
ものの数分で着替えとメイクオフを済ませてきた源ちゃんが、テーブルに買ってきたものを並べながら言った。
「え、そうなんだ……若い!」
「でしょう。ちなみにパートナーのリズさんはビアンバーのオーナーで、ローラちゃんよりちょっと年上。これ内緒ね」
真雪は自分のことは後回しでわたしの着替えとメイクオフを手伝ってくれていて、なんだか甲斐甲斐しい。
わたしが支度を終えて、真雪に「手伝おうか?」と申し出たのだけど、大丈夫だと断られた。それならテーブルセッティングを手伝おう、と思って源ちゃんの方へ行ったら、もうだいたい準備は済んでいた。もっと役に立ちたいのだけど。難しい。
「なんか本当に、いろんな人がいて、すごく……楽しい」
厚塗りメイク、みっちりウィッグ、それに鎧みたいなコスチュームに固められて疲れた身体が解放されて、全身から力が抜けた。お酒が身体に吸収されていく速度がいつもより早く感じる。
源ちゃんと真雪も完全に部屋着スタイルで、それぞれソファや床で足を投げ出してくつろいでいて楽しそう。もちろん、わたしも楽しい。
「楽しいよね。世間ではさ、マイノリティだなんてカミングアウトできない人もいっぱいいて、っていうかそういう人の方が多いだろうし、そういうこと考えると僕たちはラッキーっていうか、まぁ恵まれてるなぁと思うよね」
カミングアウト。そうか。わたしはまだ、それをしていない。
取り立ててバレたくないとか隠したいとか思っているわけではないけど、積極的にカミングアウトしようと思う気持ちも特にない。何も、考えていなかった。
「源ちゃんは最初からオープンなの?」
「僕は今はこうして楽しくやれてるけど、そんな僕もね、昔は色々あったんだよね。僕は、両親とは結局うまくやれなくて、散々泣かせて、成人すると同時に事実上の縁切りをされた。絶縁してもう10年以上になるから今は特になんとも思ってないけど。でも若かりし頃はそれなりに、人並みに切ない思いをしてきたんだけどね」
源ちゃんの過去や家族の話は初めて聞いた。真雪の壮絶な過去のことばかり気になっていたけど、源ちゃんにもそういういろいろなことがあったのだと、初めて知った。そんなことがあったなんて想像がつかないくらいいつも前向きで明るいので、意外だったし、少しショックだった。やっぱり源ちゃんはすごい。
「欲張り過ぎちゃったんだよね、自分の主張も通したいし家族にも無条件で受け入れて欲しいとか、贅沢なこと言い過ぎた。若かったからねー」
贅沢だなんて、そんなことはない。みんなが当たり前に望んで、多くの人が手に入れられる幸せだ。それが困難なのはマイノリティあるある、なのだろうけど、だからと言って諦めて泣き寝入りしていたら世の中は変わっていかないのに、と思う。
「真雪は例の……あの事件があった時から、家族とは疎遠になっちゃったもんねぇ」
「まぁ別に、今さら寂しくも悲しくもないけど」
真雪の家族話も初耳だ。
「真雪の家は、ちょっとした旧家でさ。親御さんもそれなりに立場のある人だったから。娘がワケありの不祥事起こした、ってことになって、大騒ぎになっちゃって」
「不祥事、って、真雪が何かしたわけじゃないのに」
「巻き込まれたんだとしても、それでもそういう家にとっては不祥事ってことになるんだよ」
なんとなく自分や家族から目を逸らし続けてきたわたしは、こういう話題に乗るのは苦手だ。虚構の世界に逃げてばかりいて、現実を見ないことを自分の中で正当化していた。
真雪たちと過ごすことが増えてオフでの自分の時間が充実してきて、何かが変わってきた気はしている。でもまだそれを傍観している感じはあって、それではダメだな、という気持ちもある。
これから、もっと変わっていけたらいいのだけど。
「朔ちゃん。疲れた? 眠い?」
しまった。いろいろ考えすぎてぼんやりしていた。
「あ、ううん、違くて。なんか、もうずっとみんなと一緒にいるけど、まだ知らないことだらけだな、って思って」
少し言い方が卑屈だったかな、と思ったけど、本音なので仕方ない。
「そうだ、もうさ、いっそのこと、さっきの動画全部朔ちゃんにも見せちゃいなよ」
「え、やだよ。そんな必要ないじゃん」
「いいじゃん、別に。何も見られて困ることないんだし」
源ちゃんの急な提案に、真雪は及び腰だ。
「いや、だって、朔の方が見たくないんじゃないの?」
あ、わたしを気遣って、の態度だったの?
「……どう? 朔ちゃん、見てみる?」
「見ます。見てみたい」
「はーい。決まり。ちゃんと知っててもらった方がいいって」
「……はぁ。もう。いいよ、好きにしなよ」
源ちゃんの勢いに釣られてつい即答してしまったけど、見てみたい気持ちは本当。真雪が嫌でなければ、だけど、それは大丈夫そうだ。
「これ、なんだっけね。何のイベントだったっけ」
真雪のスマホで再生されている動画。大勢の人が入り乱れて、お祭り騒ぎのような、パーティーのような。
「エマがいるってことはたぶん、代々木のフェスでやったコレクションの打ち上げじゃないかな」
「あ、そうだ。アレだぁ」
真雪も源ちゃんも若い。わたしの知らない時代。
「これ、まだエマが元気だった頃だねぇ」
「そうだね」
頭に浮かんだ疑問を、口に出そうかどうしようかと考えた。考えたけど、答えが思い浮かぶ前にもう口に出していた。
「あの……エマ、さんと真雪は、付き合ってたの?」
「……は?」
「え?」
ふたり同時に固まってこちらを見ているから、また何か大変な失言でもしたのかと不安になる。わたしもしかして、少し酔ったかな。
「え、違うの?」
たぶんわたしは聞いたまま覚えていたと思うのだけど。
「……あ、あれ、僕、前になんて説明したんだっけ……えっと、えーっと、あれ……」
「エマさんが真雪に憧れてて、真雪になりたかった、って言ってたって」
「……もしかして、説明不足? なんかダメだった?」
真雪がものすごくがっかりしたそぶりで、大きなため息をついた。これは、わたしが何か勘違いしていたのか、源ちゃんの説明自体が間違っていたのか、どちらだろう。
「今からちゃんと説明してあげて」
「……いや、僕の口から言うのも、ねぇ……」
「だったら最初から言わなきゃいいのに」
「だってぇ……」
ふたりの口が止まって、揃ってわたしの方をじっと見た。
しばらく沈黙が続いて、いよいよ耐えきれなくなったみたいに真雪が口を開いた。
「あのね。エマが好きだったのは、源太郎だよ」
「……えっ!?」
まさかの事実に、言葉が出てこない。
エマは源ちゃんのことが好きだった!?
まさかの事実。まさかの展開。でもそれが、どうして真雪への執着になったのだろう。
「エマは源太郎が好きで、でも源太郎がゲイで自分には振り向いてくれないってわかってて、それならせめて一番近い友達ポジションに居座りたいって思って、でもそこには私がいたから、なんとかして私のポジションを奪いたいって思ってたみたいで、それで、真雪さんになりたかった、って遺したんだと思う。私はエマに対してはそういう気持ちは持ってなかったよ」
「そう、だったんだ」
違った。
恋心なんかじゃなかった。
レズビアンだという着地点には届かなかったものの、昔の動画を観て泣いていた真雪を見てそうだったのかなと思って、実際にレズビアンなのだとカミングアウトされてやっぱりそうだったのだろうと思った。だけど、そうじゃなかった。良かった。
恋心を抱いていたのは、エマの方。しかも、源ちゃんに対して。
真雪はその複雑な想いの絡み合いを憂えていて、仲間たちの行く末を案じていたのだ。
「何か勘違いしてた?」
「うん。てっきり、真雪とエマさんが付き合ってたんだと思って」
正直に答えた。もう、勘違いとかすれ違いとか、したくないから。
「なるほどね。それであの動揺だったんだね」
「エマはストレートだからね。それでゲイの源太郎のこと好きになっちゃって、すごい悩んでて」
いろいろと、話の筋道が繋がっていく。
なるほどそうだったんだ、という気持ちと、でもどうして、という気持ちが同時に浮かぶ。そして気になったことを安易に口にしてしまうことを抑えられなくなるくらいには、やっぱり酔っているのだろう。
「でも、真雪、動画見て泣いてた」
「……それ、は、正直、覚えてないんだけど、でも私が色々思い出して悲しいなって思ったのは、あの頃みたいにうまく笑えなくなったこと。エマとか源太郎とかがどうこう、じゃなくて、私自身があんまり、感情とか出すの怖くなって、笑ったり泣いたりできなくなったこと」
藪蛇だったかな、と思ったのだけど、真雪はちゃんと誠実に話してくれてホッとした。
「私が楽しそうにしてるのを、すごく羨ましそうな顔で見てて。私が源太郎と笑うたびに、エマは少しずつ元気をなくしていったから」
真雪が、お酒の入ったグラスに付いた結露の水滴を指先でなぞる。たくさんのことを思い浮かべて、記憶を辿って、もしかしたら蘇ってきた感情や感覚と戦っているのかもしれない。
「自分が楽しいと思う気持ちが誰かを傷つけることがあるんだって思ったら、安易には笑えなくなって」
「そっか」
苦しい記憶を隠すことなく話してくれた真雪を、やっぱり好きだと思った。ジワジワとひとりで感動していたら、源ちゃんが呆れたみたいに乱暴に笑って、雰囲気ぶち壊し、なのだけど。
「あんたもたいがいだよね、真雪。最近、鏡見た?」
「毎日仕事で見てるけど」
「そんで気づかないの?」
「何に?」
源ちゃんがスマホを真雪に向けて、カメラアプリを起動した。ピコ、という音がして、動画撮影が始まったらしい。しばらく真雪は真顔でレンズを見つめていたけど、すぐに手元にあったキッチンクロスをスマホに向かって投げたので、そこで撮影は終了。源ちゃんは嬉しそうに笑った。
「あんたね、最近随分色々と顔変わるようになってきてるよ」
「……何その、ちょっとモンスターチックな言い方」
「褒めてんだっつーの。良いことだね、って言ってんだよ」
照れ臭いのか、少し不満げに突っ込んでいたけど、真雪も嬉しそうだった。
「……自分ではわかんないな」
「これから変わっていけると思うけどね。いや、違うか。戻っていける、っていう方が正しいか」
10年。想像しただけでも恐ろしくなるほど長い年月。その間、ずっと自分を閉じ込めてきた真雪。それでも今、ようやく、扉を開けて元の世界に戻って来ようとしている。そこには源ちゃんがいて、開くんがいて。その場所にわたしもいてもいいよ、と言ってもらえるのなら、わたしはその場所に立っていたい。
一緒に、真雪を待ちたい。
「はい。あーん、して」
だいぶ酔ったのか、真雪がさっきからずっとわたしの口にお菓子を放り込むのをやめてくれない。
私にしなだれ掛かるようにして、顔を寄せてお菓子を近づけてくる。
「もういいよ、お腹いっぱい」
「いいから。はい。あーん」
仕方なく、口を開けて受け入れる。本当にお腹いっぱいなのに。
「ちょっとぉ、真雪、あんた飲みすぎなんじゃねーの」
「大丈夫ですけど。そんなに飲んでないし」
「何言ってんの」
いや、飲んでるでしょ、と思ったけど、真雪のお菓子攻撃が止まなくて突っ込めない。
「はい。次はこれ。あーん」
「もういいよ、太っちゃうし」
源ちゃんがわたしを気の毒そうにじっと見つめている。そんな同情感満載な目で見なくても。というか、早く止めて。
「じゃあこれが最後ね。はい。あーん」
もう本気でお腹いっぱいだし、次の芝居の衣装用の採寸も終わっているから体型変化はアウト。特に太る方は衣装が入らなくなるし、キャラのイメージも変わる可能性があるから怒られる。明日から少し節制しないと。
「なんか金魚に餌やってる小学生みたいだわ」
源ちゃんがボソッと呟いた。
「……わたし、金魚?」
「そうそう、そんな感じ。あははー、可愛いからいいじゃーん」
完全に面白がっているな、と思う。わたしのいじられキャラポジションは、いつまで続くのだろう。あんまり嬉しくないのだけど。
「源太郎は可愛いって言うな」
「は? なんで?」
「ダメだから」
「いいじゃんよ、朔ちゃん可愛いし」
突然始まった不毛な酔っ払いバトルを、今度はわたしが同情感満載な気持ちで見守る。くだらなさすぎて泣ける。いや、笑える。
「ダメ」
「可愛いものを可愛いって言って何がダメなんだよ」
「ダメなものはダメなんだよ」
「なんだよ、朔ちゃんはあんたひとりのモンでもないじゃん」
「私ひとりのもんなんだよ」
「はぁ? バッカじゃないの。何それ」
ガチゲイの源ちゃんがわたしを本気でどうにかしようなんて思っているわけはなくて、真雪をいいように煽って悪ふざけしてるだけなんだけど、それに気づかず簡単におちょくられてる真雪も、それなりに酔っているのかも知れない。
ふたりでわちゃわちゃ盛り上がって、側から見ていればそれなりに楽しそう。
いいな。昔はこんな感じだったのかな。
昔と言えば。
「あれ、そういえばさっき、昔よく源ちゃんと真雪でキスしてたって」
しまった。また、思い浮かんだことがそのまま口から出た。やっぱり酔っているな。
「あー、したした! よくしてたよねぇ!」
「は!? してないし!!」
「えええー、したじゃーん!」
また始まった。もう、めちゃくちゃ。
「……1回だけじゃん。それも、エマに諦めさせるために、って、わざと、エマの前で1回だけ」
「……そう、だったね。そんなことあったね。あれは僕も、失敗したなーって思った。可哀想なことしたな、って、反省した」
急にトーンダウンして、そこは茶化してはいけない話題になったのだとわたしも受け入れる。
「まぁ、あの時はまだ源太郎がゲイだって伝えてない時だったからね。あれで簡単に諦めてくれるかと思って生贄になってやったんだけど」
そうか。だから、エマさんのことは、真雪と源ちゃんふたりセットでずっと抱えてきたのだ。ふたりがかりで追い詰めてしまったと思っているのかもしれない。エマさんの存在は、真雪や源ちゃんや開くんにとってはやっぱり大きいのだな、と思い知る。
「エマは、弱すぎたんだよ。そんで、私らも、その弱さをちょっと見縊ってた」
真雪が、手元のグラスからテーブルに伝った水滴をクロスで拭いながら言った。
「源太郎を好きになっちゃったことだけじゃなかったんだけどね、追い詰められちゃったの。私とさ、活動領域が結構被ってて、エマはモデルにしては小柄だったし、同じオーディション受けてもどうしても私の方が受かりやすくて、そういうのも色々と積もり積もって、って感じだったんだと思う」
どうしようもなかったこと。誰も悪くなかった。だからみんなが辛い思いをした。
わたしはその時その場にいなかったことを、良かったと思っているだろうか。残念だったと思っているだろうか。
「本当に、エマにとって私の存在がさ、邪魔だったんだろうなーって」
答えなんか見つからない。そんなもの、存在しないかもしれない。
「真雪さえいなければ、って、思われてたんだと思う」
何か言ってあげられることはないかと、必死に酔いを追いやる。動かない脳みそを無理やり動かして、言葉を探す。でもそれより先に、源ちゃんが口を開いた。
「そんなことないと思うけどな。真雪がいなかったところで僕はエマの気持ちには応えられないし。それにエマは、ちゃんと真雪のことも好きだったんだと思うよ。だから苦しんだんだろ」
「そうかなぁ……」
「もしただ憎くて邪魔だとだけ思ってんなら、本当に嫌ったり攻撃したりして気が済んだかも知れない。でもやっぱり好きで、排除できなくて、嫌がらせもできなくて、エマの中できっと葛藤とかが膨れ上がっちゃったんだろうな」
珍しく自信なさげな真雪は、言葉少なでどこか頼りなく、その姿になんとなく懐かしさを覚えたのだけど、わたしの勘違いだろうか。
でも、頑張って思い出そうとしてもそんな姿を今までの真雪に見つけることはできなくて、諦めて勘違いだったと早々に結論付けた。やっぱりだいぶ酔ったのだろうな。
「それでもさ、そんな境遇の人なんて他にも山ほどいて、そういう想いを抱えてたらみんなあんなことしていいのかって言ったらそんなことは絶対なくて、みんなそれぞれ戦って苦しんで悩んでそれでもどこか落とし所を見つけて乗り越えて行くんじゃん。それができなかったってのは、やっぱりエマの責任だよ」
源ちゃんはきっと、覚悟を決めているのだろうな、と思う。真雪をこれからもずっと守り続ける覚悟を。
仲間として、家族として、開くんと一緒に真雪を見守っていこうと思っているのだろう。羨ましいな、と思う。そうしてもらえる真雪も、真雪を守れる源ちゃんも。
「あの時は、仕方なかったんだと思うよ」
わたしはなにも言えない。その時その場にいなかったわたしは、なにも言う資格がない。部外者だったわたしは、ただ黙って彼らの会話を聞いていることしかできない。ただ、受け止めるだけ。
その代わり、これからもっと真雪のことを知って、受け入れて、わたしのことも真雪に伝えて、それから……
ああ、そういえば、わたしのこと、って。
わたしの、何を伝えればいいのだろう。
何を伝えれば、真雪はわたしを頼りにして、慕って、必要としてくれるのだろう。
思いつかない。何も。
そうだった。そういえばわたし、本当の自分がないのだった。
伝えられそうなものが、何もないな。
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