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scene 17 ローラの店の前(夕方)
想いを大っぴらにしてからの真雪は、それはそれは驚くほどのわかりやすさでわたしに好意を向けてきて、そういうことに慣れていないわたしはその重みを受け取るのに必死で、あらゆるアプローチに面食らってばかりいた。
新たな一面、というより、本当に別の人を見ているみたいで、正直、わたしは戸惑うことも多かった。
なにしろこちらは恋愛初体験で、ただでさえ初めて自覚する感情や感覚ばかりなのに、そこに真雪のそれが上乗せされて、混乱、パニック、もう本当に訳がわからない日々になってしまった。
普通なら、まず自分から誰かを好きになってその気持ちに気づいて、それから誰かから好意を向けられてそれにも慣れて、いつかは両思いになれる人が現れて、と段階を踏むものだと思う。でもわたしはそれを全て一気に同時に初体験してしまっているわけで、そりゃ大変なはずだわ、と納得する。
それでも、毎日は明るかったし楽しかった。わからないことだらけ、驚くことだらけだったけど、真雪や源ちゃんやドラァグのお姉様方、それに開くんたちとの関わりは、わたしにとってはもう不可欠なものになっていた。
仕事の方も順調で、爆発的に何か大きなことが起きることもなかったけど、不満もトラブルも特にない平和な毎日だった。
次の舞台が決まって、配役も発表になって、わたしは主役グループの次に出番の多いグループの一員になった。今までの舞台の中で一番セリフが多い。プレッシャーは当然あるけど、日常が充実しているせいか心の中に引っかかるものが何もなくて、そのプレッシャーと正面からガッツリ向き合える自信があった。
公演の日程が発表されて、それに向けてのスケジュールも出た。今回も例によって客演が出るので、そのお披露目も兼ねて顔合わせを、という頃。
劇団の打ち合わせが予定より早く終わって、このまま帰宅するには少しもったいないくらい体力も気力も余っていて。でもそういう時に限って真雪や源ちゃんに連絡はつかなくて、そういえば真雪は1週間ほど地方ロケに行くと言っていたっけ。源ちゃんのスケジュールは聞いていない。
曜日的にローラさんのお店は今夜は特に名のついたイベントはないはずで、ひとりで行ってみてもいいかな、と思ったのだけど、よくよく考えたらあのお店は名目上はゲイバーで、女ひとりで行っても大丈夫なのかわからない。でも、ローラさんはオールマイティーだと源ちゃんが言っていた。顔見知りだし、イベント常連だし、ひとりで行っても受け入れてもらえるかな。
ローラさんのお店に行くと、入り口の前で数人が立ち話をしていた。扉を完全に塞ぐようにして立っていて、そこに堂々と割って入っていく勇気が出ない。少し待ってどいてくれないようなら、今日はやっぱり帰ろうかな、と考えていた。
「えぇー、連絡取れないのぉ?」
「ごめんなさいね、お客様間の橋渡しはやってないのよ」
シーナさんが丁寧にお断りしている。
華道の家元の生まれだというシーナさんはいつも和服で、立ち姿も凛として本当に美しい。気品があって人当たりもとても穏やかで、このお店の人気店員なのも頷ける。
「いいじゃん、知らない人じゃないじゃん」
わがままを言いつづけているのは、若い女の子。バーに来るくらいだから、未成年、ではないと思うのだけど、それにしても若いな。
「真雪が無理なら源太郎さんでもいいからぁ」
「どちらも無理なのよ。申し訳ないけど」
知っている名前が聞こえてびっくりした。真雪と源ちゃんに会いたがっている?
誰だろう。あんな、若い女の子。知り合い、なのかな。
シーナさんが少し困惑気味なのが気になる。
「とにかく、今日は二人とも来てないから、また今度いらしてくださいな」
「ええー、やだ。リナ、今日ここで飲む!」
リナ!?
まさか、エマの妹!?
「えー、ゲイバーで飲むの? ウチら全員女なんだけどー?」
連れの女子たち数名。同業、なのかな。みんなもれなく可愛い服を着ている。
「オカマの友達紹介してくれるってゆーからついてきたのにー。その人いないんなら違うとこ行こうよぉ」
頑張れ、友達。なんとかその子を連れて帰ってくれ。
「えー、いいじゃん。ここで飲もうよ。大丈夫だよね? こないだ、ママが女子だけで来てもいいって言ってたもん」
「まぁ、それは……大丈夫ですけど、お客様さえ良ければ、ねぇ……」
シーナさんの営業スマイルがだんだん引きつってきている気がする。
いわゆる観光バーではないこのお店は、ストレートの女の子たちがキャッキャしていられるお店ではないと思うのだけど。イベントならいざ知らず。
「待ってたら来るかもしれないじゃん。真雪たち」
真雪、なんて、呼び捨てで呼ぶのか。
「なんかさー、最近全然会えないんだもん」
そりゃ、あちらがあなたを避けているから。とは言えないけど。
この女の子の立ち位置と源ちゃんたちから見えているものに何かギャップのようなものがあるのかも知れない。どちらにしろ、穏やかな感じではない。
「ねぇねぇ、劇団系の女優と最近仲良いとか言ってたの、あれ、ホント?」
まさか、と思う。まさか、わたしのことだったりするのかな。
「お客様のプライベートに関することは、お教えできませんので」
「女優なんてさぁ、嘘の塊じゃん。何から何まで演技なんでしょ。虚構の塊。言ってることもやってることも全部嘘じゃん。真雪、騙されてんだよ」
地下アイドルの女の子たち。
わたしからしてみれば、役者が虚構の塊だというのなら、地下アイドルだって立派な虚像、幻想、ファンタジーの住人だろうに。同じ穴のムジナだろう。
「真雪、超かわいそう」
かわいそう?
真雪が?
「自分の価値下がるじゃん、そんな人と一緒にいたら」
このリナという子は、真雪に対して、どういう気持ちを持っているのだろう。
姉がこの世を去ることになった渦中にいた真雪を、どんな感情で見ているのだろう。
源ちゃんはなんと言っていたっけ。確か、真雪を目の敵にしてる、と言っていなかったっけ。
目の敵?
本当に?
今のこの話を聞いた感じでは、真雪に会いたがっていて、真雪がわたしと仲良くしていることを良く思っていないようなふうに受け取れるけど。
真雪のことを目の敵にしていて、役者と付き合うことで価値が下がるなら、嫌いな真雪が落ちていくのは嬉しいはずなのに。
何か、裏があるのかもしれない。そんなふうに公言する理由が、何かあるのかもしれない。でも、今のわたしにはそれを追求する気力がない。
かわいそう。真雪が。
わたしといると、真雪がかわいそう。
かわいそう?
そうなのかな。かわいそうなのかな。
わたしは真雪にとって、どういう存在?
真雪はわたしを好きだと言ってくれたけど、客観的に見てみたら、もしかして本当に一緒にいたらダメなタイプなのかな。
お互い、楽しく今まで過ごせてきたと思う。
でももしそれが間違いだったら?
今は良くても、これから先わたしと一緒にいることで真雪が不幸になっていくのだとしたら?
お店に入りたがる女の子たちを宥めて帰そうとしているシーナさんの姿を、ぼんやりと見つめていた。
文句を言いながらも最終的にはこのお店で飲むことは諦めたようなリナの姿も。
でも、会話の内容は全然頭に入ってこない。
帰らなきゃ。
ここに来たこと、シーナさんに気付かれなくて良かった。
誰にも気付かれなくて良かった。
今日は帰ろう。帰って、台本、読まなきゃ。
そうだ。セリフ、いっぱいあるんだった。覚えなきゃ。
帰らなきゃ。
やること、やらなきゃ。
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