scene 4 稽古場(朝) // 朔弥の独白

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scene 4 稽古場(朝) // 朔弥の独白

 田久保は結局、あの芝居の演出を降板しただけでなく、そのまま劇団そのものから出て行った。みんなの前に出てきて直接謝罪することもなく、短い文書だけ1枚ペロッと稽古場に送り付けてきて、それで終わった。  姿を見せられなかったのは田久保本人だけの問題ではなく、その愚行に落ちた人間がまだこの現場にいるわけで、その人たちへの気遣いと言うとだいぶ大目に見過ぎな気がするけどつまりそういうことで、要は気まずくて出て来れないのだろう。  元役者で演出家としてもキャリアは積んでいたので、降板や退団は普通に芸能ニュースとしてテレビやネットで取り上げられたし、週刊誌はもっと突っ込んで『田久保に食われた女優』探しに躍起になっていた。SNSでも身勝手で不確かな憶測が飛び交った。  そんな田久保が在籍していたという我が劇団そのものの評判が落ちたことは否定できないけど、それはワイドショーネタとして騒がれた直後の一瞬のことで、それまでの劇団の実績や所属役者の経歴は揺るぎないものだったので、固定のファンがごっそり離れていくようなことはなかった。  田久保が明らかに手を出していた主役級の女優が2人退団したのと、田久保の暴挙を知っていて黙認していたマネージャーが1人退職した。  その代わりに新しく入ってきたマネージャーの佐久間さんがかなりのやり手で、芸能界での伝手をたくさん持っていた。  舞台の出番がそんなに多くないわたしや菜緒ちゃんは、稽古の合間にできるようなちょっとしたドラマや映画のちょい役を色々と持ってきてもらうようになった。  これはある意味、怪我の功名的なアレだろうか。 「(さく)ちゃんはさ、なんかこう、1枚、うっすーーーいフィルターみたいのを(まと)ってるよね。めちゃくちゃ薄いガラスの壁みたいなのがあって、割とすぐに近くまでは行けるんだけど、最後の最後のところで触らせてもらえない感じ」  芸能プロダクションのマネージャーとして実績を出しまくっているのだから、人を見る目は確かなのだと思う。そんな佐久間さんがそんなふうに言うと、自分でもそうなのかな、という気になってしまう。 「それが悪いってことはないんだけど、なんかやっぱり、何か物足りないというか、生身の人間臭さがないというか、ちょっとお綺麗なところ止まり、って感じなんだよね」  遠慮がない言い方でズバズバぶつけてくるけど、タレントと言っても通用するような可愛らしいルックスと明るくて人懐こい雰囲気のおかげか、そんなに意地悪な印象は受けない。 「プライベートでも泣いたり喚いたりとかしなさそうだもんねー」  なかなか痛いところを突いてくるな、と思う。手ごわい。 「あー、そうかな、そうかもしれないですねぇ」  この人にこういう適当な返答は通用しないかもしれない。でも、今のわたしにはこれ以外に言えることがない。  だって、佐久間さんの言っていることは本当に事実で、まさに図星だったのだから。 「そうそう、それ。そういう言い方も。やっぱりなんか、薄い壁があるよ」  やっぱり言われた。本当に手ごわい。  わたしには、『本当の自分』がない。  本当の自分がないわたしは、とても役者に向いていると思う。  アイデンティティの確立のために重要な幼少期から思春期にかけて、わたしは親の意向で芸能界に身を置き、「自分ではない誰か」として多くの時間を生きてきた。  ひとつのキャラクターとして過ごす時間は、短くても数週間、長ければ数ヶ月に及んだ。リハや本番でそのキャラクターとして生きる時間よりも全然多くの時間をプライベートな自分として生きるでしょ、と言われても、そのキャラを担っている期間は常にそのキャラの感覚や感情が自分の中にあって、完全にオリジナルの自分だけでいられる時間はほとんどなかったように思う。  それに、どのキャラも演じていない自分としての、役者「(つじ)朔弥(さくや)」としての瞬間はイメージ的に作り上げられた役者「辻朔弥」であるべきで、そのレッテルを外していい時なんてやっぱりほとんどなかった。  変幻自在。  そう言えば聞こえば良いけど、結局は、自分がない、ふわふわとした、掴み所のない存在。芯もないし、核もない。何かを(まと)う事だけは上手な、ただの入れ物。ただの箱。  そんなわたしは、他人から「朔弥ってこんなタイプだよね」と性格や気性を指摘されたことがない。  あの人って大人しいよね、とか、あいつ本当にいつもテンション高いよな、とか、なんであの子っていつもあんな態度なんだろうね、とか言われるような特性や特徴を持ってる人を、羨ましいと思う。  そういうの、個性、っていうんだっけ。  でももう慣れた。空っぽの箱に入れるものは、待っていれば誰かが用意してくれる。わたしは黙ってそれを受け取って、自分の中に入れるだけ。それだけで、わたしの中は新しいキャラで満たされる。  だから役者の仕事は楽しい。役として生きるのがすごく楽だから。本当の自分がないことを恥じなくても済むから。  役者の仕事は天職だと思う。天職だと言いたい。  お願いだから誰も否定しないで。  両親にとって、わたしは実験台だった。 「朔弥の時にいろいろやってさんざん失敗したから、隆之介(りゅうのすけ)の時は前の失敗を踏まえてちゃんとやったら、隆之介の方は社会的に成功したわ」  母はいつも、そうやって自分の子育て自慢を武勇伝のようによその人にしていた。  わたしは失敗作だというのだ。  母はわたしに次から次へと珍しい習い事をやらせて、たまたまちょっと上手くいった芸能活動に味を占めて子役のステージママの立場を楽しんだ。  子役から大人の女優への変換期に事務所から「これからはプロデューサーやディレクターからホテルに呼び出されても断れない世界になるが、それでもいいか?」と確認されて、あっという間に引退させられた。わたしへの相談や意思の確認は全くなかった。 「立派な大人になるためにこれからは学業に専念しなさい、学校卒業してそれでもまだ役者をやりたければ、そこから自力でその道へ戻りなさい」  母は(もっと)もらしくわたしにはそう言っていたけど、事務所のマネージャーとのやりとりをこっそり影から見ていたわたしは、そんな母の上っ面を残念な気持ちで眺めるしかなかった。マネージャーから枕営業の可能性を示唆された時の母の青ざめた顔が忘れられない。  一方で、弟の隆之介ははじめから学業をしっかり充実させられて、結局、民放キー局のアナウンサーになった。母はご満悦だった。  父は、子どもたちを誰かに紹介する時、弟のことは「アナウンサーの息子」と呼んで、わたしのことは「残念な娘」と言った。酔うとわたしの昔の活躍を懐かしむように賞賛して、早くに引退したことを嘆いた。  そもそも名前からして、わたしと弟との差は歴然だった。  男の子が欲しいと産まれる前から用意していた男の子の名前を、女の子が産まれたのにそのまま付けて、男の子みたいに一家を支えられるように頑張って欲しい、と願ったのだそう。それで上手くいかなかったので、本当に男の子が産まれたらしっかりとより男らしい名前を付けて、やっぱり性別に合う名前にしなきゃダメだったわ、と思ったのだと笑った。朔弥は失敗したけど、2度目はちゃんとしたから隆之介は素直に上手く育った、と自慢していた。 「お前はてっきり大女優になると思ってたんだけど、ただの残念な一般人になったなぁ」  父はいつもそう言ってワハハと笑った。わたしの存在はいつの間にか笑い話のネタになっていた。  両親に悪気が全くないことがかえって厄介だった。たぶん父も母も、愛情は弟にもわたしにも同じように持っていて、そんなに格差はないのだと思う。だからかえってタチが悪い。意地悪な気なんて全くなくて、本当にただの自分たちの経験談、武勇伝として面白がって話している。そのことで娘が傷つくかも知れないという考えはどこにも存在しないのだろう。  少しでも悪気があるなら、わたしも反抗したり嫌悪したりできたのかも知れない。でもそれがないので、そんな話題になった時はいつも絶望感だけに包まれて、ただ愛想笑いをして雰囲気を壊さないようにすることしかできなかった。  何を始めたのも辞めたのも、自分の意思ではなかった。  本当に、実験台だったのだ。    そんな子ども時代を過ごして、わたしは愛想笑いが得意になって、他人から好印象を持たれることが上手くなった。  親に期待されて、大人たちに持て(はや)されて、大人と同じ振る舞いを要求されて、本当の自分なんて出す必要がない世界で育った。そして、それに応える力は身についていた。  それでも親からしてみれば、わたしは失敗作だった。  自分で失敗した記憶はない。でも、失敗作なのだ。  そんなわたしには、八方美人で愛想笑いな振る舞いがお似合いだ。その場の状況や空気に合った言動をすぐに判断して、相手の期待通りの辻朔弥を演じることができる。  ちゃんと仕事をこなせている。それで十分。何も問題ない。  わたしは、役者に向いている。
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