scene 7 朔弥の独白「セクシュアリティについて」

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scene 7 朔弥の独白「セクシュアリティについて」

 SOGIに関する情報が世にたくさん流れるようになって、それ関連の言葉も簡単に知ることができる今、自分がどういうカテゴリーに分類されるのかを知りたいと思うのは当然で、その可能性にたどり着くことは割と容易い。  マジョリティのように恋愛感情や性的欲求を他者に抱く、ということがなかったり、抱きにくかったりするセクシュアリティがある。  アセクシュアル、アロマンティックをはじめ、ロマンティック・アセクシュアル、アロマアセク、リスロマンティック……とにかく多様で、しかも同じカテゴリーに別の呼び方があったり、国や時代によって呼び方や分け方が違ったり、もっと言ってしまえば研究団体や調査団体、記事を書いたライターによっても判断基準や表現にズレがあったりして、明確な正解を見つけることは難しい。  そもそも、表記以前にカテゴライズ自体が当事者の自認・自称によるし、人によってはカテゴライズできなかったり、できたとしてもカテゴライズそのものを避けたいと思う場合もあって、全てを正確に把握するなんていうことは不可能なんじゃないかといつも思う。  ただ、じゃあそういうカテゴライズの概念がなくてもいいかというとそんなことはない。自分はいったい何者なのだろう、と思い悩むマイノリティはたくさんいて、少しでも自分と似た特性を持つ集団を見つけられればそこに希望を見出すこともできるし、それで救われることも十分あるのだと思う。  事実、わたしも、自分がマジョリティではないのかもしれないと思ったとき、それならどんな特性を持つカテゴリーに属するのかということを知りたいと思って、ピンポイントでは絞れなかったけどもしかしたらこの辺りかも、という漠然とした位置どりはできたような気がして、気持ちが楽になった。  わたしには恋愛経験がない。  幼少期のおままごとみたいなレベルの「好き」も経験したことがない。テレビの中の世界にいる人への憧れ的な恋心も知らない。演出家が言った通り、25にもなれば恋愛経験のひとつやふたつやみっつくらい、みんなあるものなのかもしれない。  でも、わたしにはない。  だから、自分はもしかしたらアロマンティックやそのスペクトラムに属する人なのかもしれないと思う。  性的感情というのが具体的にどういうものを指すのかがいまいちピンとこないのだけど、それが恋愛感情の先にある、相手と触れ合いたい、相手と濃厚に接触したい、という感覚なのだとしたら、恋愛感情を抱いたことがないわたしがその先のそういう気持ちを抱くこともなさそうだし、もしかしたらアセクシュアル界隈の可能性もあるのか。  でも、今の自分にとってその辺りのどれなのかを知ることに大きな意味を感じないし、どれだったとしても、どれでもなかったとしても、自分のポジションやこれからの活動に特に変化はないと思うので、いらぬ追及に無駄に精神や時間を削られることはしたくない。  どちらにしろ、わたしは恋愛的に人を好きになる気持ちは理解できないし、それで役者業に支障が出て活動を続けられなくなるのだとしたら、それはもう運命的なもので抵抗のしようがない。恋愛できないのが役者として致命的だと言われたのなら、もうその道は諦めるしかないのだ。覚悟はできている。  今まで、恋愛絡みの芝居をしなきゃいけない場は何度もあった。  似て非なる感情の代用を芝居の材料にはしないけど、恋愛ネタに限っては実体験を元に芝居を構築できないので、その都度、色々な小説や映画やドラマ、漫画やアニメを片っ端から漁った。そして、与えられた設定に一番近いシチュエーションのストーリーを見つけ出して、その中で恋愛する人物を観察して分析して、表現の引き出しを増やした。  それはとりたてて難しいことではなかった。でも、それでずっとやっていけるとも思っていなかった。  物語の飾り的な、脇役的な存在なら十分通用する役作り。それは、メインキャストになったら必ず破綻するだろうとわかっていた。  だからわたしは、大きな役を与えられるのが怖かった。主役に近い配役を恐れていた。恋愛ドラマの主要クラスは絶対に受けられないと思っていた。  そんなことに怯える日々を送っていたある時、自分にそんな配役が回ってくることなんてない現実に気づいて、ありもしないもしもに怯えていた自分をなんだか哀れに思った。  いつだったか、映画の現場の打ち上げの席で、ベロベロに酔った共演者の男に暴言を吐かれたことがあった。 「お前なんて抜けで映ってりゃ十分なんだよ」  抜け、って、そんな。わたし、背景の一部ってこと?  その時はカチンときたし、なんでそんなことを言われなきゃいけないの、とイラついたけど、今ならわかる。その通りだと。  わたしなんて本当に空っぽで、土台になる自分がないし、薄っぺらい。  本当の自分がなければどんな役にでも染まれる、と言えば聞こえはいいけど、実際にはろくな芝居ができない。芝居に説得力は出ない。  わたしに暴言を吐いた男から後日、あの時は酔っていたのでつい思ってもいないことを言ってしまった、と謝罪された。ついでに、実は好意を持っていて、小学生がつい好きな子をいじめてしまうアレです、と言われたのだけど、そんな言い分を受け止める気はさらさらないので、謝罪以外は受け入れなかった。  結局、現場がクランクアップしてそのままその男との縁も切れて何事もなかった。でも、あの男には本当に心の底から感謝している。  自分の現実を思い知ることができたから。  源太郎さんや真雪さんに興味を持ったのは、源太郎さんがセクシュアルマイノリティで、しかもそれをオープンにしていて、なおかつそのことに全然後ろめたさを持っていなくて、その堂々とした生き方に感銘を受けたから。  いや、ちょっと待って。それは源太郎さんに対してだけ。真雪さんは関係ない。真雪さんのセクシュアリティなんて知らないし、そもそもあんな無愛想な人に興味とか、湧かないし。  わたしの自慢の上っ面だけの高度なコミュニケーションスキルが全然通用しない真雪さんは、ちょっと怖い。取り繕えなくなりそうで、怖い。  怖いから、仲良くなるのは源太郎さんだけでいい。源太郎さんと普通に友達みたいに付き合えれば、それでいい。  わたしにはそれで十分だ。
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