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scene 8 舞台公演千秋楽(夜)
稽古期間中に演出家が女性関係の不祥事で降板、というとんでもなくスキャンダラスな事件を乗り越えて、わたしたちの劇団は無事に公演を終えた。
急遽演出も兼任した主演の高野さんの評判がとにかく良くて、劇団そのものもそうだけど、高野さん個人の舞台人としての評価はかなり上がったと思う。
その高野さんに指導してもらったわたしの芝居も、相変わらず人を好きになる感情はわからないながらもそれなりに形にすることはできたようで、ストーリーの流れにしっかりと存在感のあるコブをいくつも置くことができた。
とりあえずその場しのぎで窮地を強引に乗り切った劇団側も、自分の経験値の低さや未熟さを思い知ったわたしも、今後への課題は山積み。このまま慢心していていい理由なんてひとつもなくて、メンバーたちの頭の中は休む暇もなく一斉に次の公演に向けて動き出していた。
「終わっちゃったねぇ」
公演が終わった芝居関連の稽古道具が片付けられてガランとした稽古場で、奈緒ちゃんが呟いた。
「もぉ、途中どうなることかと思ったけど、本当に最後までできて良かったよねぇ」
本当に今回の舞台はそれに尽きる。
当初はみんないっぱいいっぱいで、とにかく進行を途切れさせてはいけない、ということだけに必死だった。それしか考えられなかった。
でも終わった今になって考えてみれば、あの状況からよくここまで持ってこれたな、と感動すら覚える。感慨深い。あのピンチを乗り切ったのだという事実は、この舞台に関わった全員にとってこれからもこの世界に居続けるための大きな自信になるだろうと思う。
千秋楽には源太郎さんと真雪さんが観に来てくれて、花束までプレゼントしてくれた。
「あんまり出番ないって聞いてたから、大きなのだとかえって恥ずかしいかと思って小さめのにしといたよ」
源太郎さんの気遣いはさすが業界人といった感じで、本当にその通りだった。
今までも小さい役ばかりでお花なんてもらったことは一度もない。役者仲間からはたいてい、ちょっとした食べ物や色気のないお酒をポンと差し入れられることが多かった。
観に来てくれた方からの初めての花束。
「すごく綺麗。嬉しいです、ありがとうございます!」
「それねー、見繕ったのは真雪ね」
源太郎さんの報告に、心臓がトン、と小さく跳ねた。
やっぱり、コミュ障なんかじゃない気がする。こんなに素敵なお花をプレゼントできる人がコミュ障だとは思えないのだけど。
「真雪さん、ありがとうございます」
なんだか、涙が出そう。
「……どういたしまして」
こちらを見ないまま呟いた相変わらずの無愛想っぷりに若干イラッときたけど、たぶん、真雪さんは、源太郎さんが言うところの『コミュ障』に納得はいっていない。なんとなく、不本意なのではないかと思う。根拠はないけど、そんな気がした。
謎すぎて、読めなさすぎて、やっぱり怖いなと思う気持ちはまだある。
でもいつか、真雪さんともちゃんと顔を見て話をしてみたい。源太郎さんと同じように、どうでもいい話を適当にワイワイ楽しく話してみたい。
「あのキモい演出家いなくなって良かったね」
源太郎さんが突然言った。キモい演出家、と言われただけで田久保の顔が浮かんだのだから、なかなか根深い問題だな、と改めて思う。
「……そうなんです。源太郎さんたちに助けてもらった次の日にいきなり降板して」
「えー、対応早かったねぇ。良かったじゃん。ね、真雪」
「…………そうだね」
何か、会話の流れが妙な感じ。
「え? 対応?」
「そう。タレコミがあったって、聞いてない?」
「聞いてます、けど」
「それ、僕たちがチクッたから」
「……え!?」
一瞬、どういうことなのか理解しきれなかった。田久保の存在と源太郎さんや真雪さんが繋がらない。源太郎さんたちはあの夜の男の正体なんて気づいていなかったはずなのに。
「あの朔ちゃんを助けた夜にね、事務所に電話入れたの」
「え、あの…………ほんとに?」
「ほんと。マジ。実は真雪がさ、あの演出家の他のやらかしについても知ってて」
内緒話をするみたいに声量を落とした源太郎さんが、少し近づいて話を続けた。
「あの夜、たまたま真雪が朔ちゃん危ない目に遭ってるの見つけちゃって、これはもう放置できないな、って覚悟決めて電話したんだよ。ま、匿名でだけどね」
そういえば、この人たちは業界人なのだった。業界の裏事情に通じていても不思議ではないのだった。
「そうだったんですか……」
確か、あの夜、源太郎さんが田久保に向かって「芝居のネタにするな」と言っていたっけ。そうだった。あれを聞いて不思議に思ったのを覚えている。田久保の正体を知っていたからだったのか。
田久保に連れて行かれそうになったあの晩の出来事と、稽古場に来てみたら田久保が降板したと大騒ぎになっていたことと、別案件だと思っていたことが実は繋がっていたことに、驚きすぎて感動すら覚える。知らないうちに激動のど真ん中にいたということか。
「芝居作ってる途中だってわかってたからかなり悩んだけどね。公演ぶち壊しちゃったらどうしよう、って思って。でもさ、だからってああいう悪事を働いてるの知ってて黙認するのも気分悪いし、あの後イベント中にずーっとふたりでどうしよーどうしよーって言ってて。半分賭けだったけど、まぁ、結局色々余罪も出てきて成敗できたし、芝居はちゃんと無事大成功したし、本当に良かったよ」
「はぁ……そう、ですね、良かった、です……」
普段の姿の源太郎さんに初めて会った時に言われた言葉を思い出した。世の中、本当に狭い。特に業界は、思わぬところに繋がりがあったりして、そういう業界ならではの縁もそこら中に転がっている。
あの夜偶然出会ったドラァグクイーンのふたり。あの時は彼らが自分の人生とまた交差することは予想できなかったけど、今こうして関わりを持てていることにもしかしたら何か意味があるのかも、と小さな期待をしてしまう。
「そうだ、ドラァグイベント、今月末に良さそうなのひとつあるけど、行ってみる?」
嬉しい提案を受けて、ぼんやりと思い浮かべていた思考が一瞬で霧散した。
「あ、行きたいです!」
「それはドラァグクイーンとして、でいいのね?」
「はい。できれば」
最初からドラァグクイーンをやってみたくてお願いしていたので当たり前のように言ってしまったけど、普段の格好で一般客として行くという選択肢もあったのか、と少し驚いた。そんなことも気づいていなかった。
「……うちらがよく行く店は割とミックスっていうかゲイじゃなくても大丈夫なママの店で、それで真雪も受け入れてもらえてるけど、でもそこに来てる人100%が受け入れてくれる保証はないし、もしかしたら色々言ってくる客もいるかも知れないけど、それでも大丈夫?」
「はい!」
即答したけど、無責任に興味だけで答えたのではない。そんなことはとっくに覚悟できている。自分が認識できている範囲外の不特定多数から評価されたり批判を受けたりすることは日常茶飯事で、そこにセクシュアリティの要素が加わったところで、自分にとってはそれほど大きな変化ではない気がする。
「オッケー。じゃあ早めに集まって準備しよっか。今月最後の土曜だけど、スケジュール大丈夫そう? イベントは深夜だけど、初めてだし準備時間かかるから夕方くらいから始めたいんだけど」
「大丈夫です」
「こないだのさ、朔ちゃんがあのクソ演出家に絡まれてたとこ、あのビルの2階がね、ウチのプロダクションの衣装倉庫なんだよ。あそこにメイクできるスペースも鏡もあるから、あそこで準備しよう」
あんなところにそんな場所があったのか。今の劇団に関わって何年も経って前を通ることも数え切れないほどあったのに、全然知らなかった。
「はい。わたし何か用意したほうがいいものあります?」
「うーん、下着だけ、衣装によっては色とか形の指定したいかも。また後で相談のライン入れるね」
「はい、よろしくお願いします。あ、そうだ、あの、衣装とかメイクに掛かる材料費とかコスメ代、お支払いします」
「そんなのいいって。自分たちがやるついでなんだから気にすんな!」
「でも」
何から何までおんぶに抱っこ、というのではこちらの気も済まない。良いオトナで社会人なのだから、と思って申し出たのだけど、これはどうやら受け入れてもらえない雰囲気だ。
「いいんだって。そういうとこあんまりキチキチやってると、遠慮の壁取っ払えない間柄になっちゃうよ」
「……わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて」
しつこくしてウザがられるのも本意でないので、ここは引き下がることにした。
「うん。いいね、朔ちゃんそういうとこ素直で。ね、真雪」
「……ああ、うん」
いや、いちいち真雪さんに振らなくていいし。どうせろくな返事こないんだから。
「あの、もしネットとかで好みのメイク見つけたら画像保存、しといてもらえる?」
え、すごい。自発的にいっぱい喋った。っていうか普通に喋った。喋れるんだ。
「はい! 探しときます!」
「あはは。朔ちゃん元気いっぱいだな」
「めちゃくちゃ楽しみなんで。よろしくお願いします!」
「あははー、風邪引くなよー」
「気をつけます!」
どうしよう。嬉しい。
わたしもあの装いを体験できる。しかも、プロの手を借りて。
嬉しすぎる!
「じゃあ、僕たち帰るね」
本当は取り乱しそうなほど嬉しくて騒いでしまいそうだったのだけど、ここは周囲の目もあるし、源太郎さんたちを驚かせても嫌なので、必死にクールダウンさせて冷静を装った。
「はい。今日は来てくれてありがとうございました」
よし。成功。さすがわたし。
「こちらこそ、素敵なお芝居ありがとうございました」
「……お疲れ様でした」
あれ、残念。戻っちゃった。ちょっと期待したんだけど。
え?
期待?
誰に、何の期待?
やめよう。関係ないし。
憧れのドラァグクイーンメイクができる。衣装もウィッグも揃えて、イベントに行ける。
単純に、仮装やコスプレを楽しむような変身願望的な面白さを想像している。
でも実は、セクシュアルマイノリティのコミュニティに立ち入ったり、普段しない格好をしてみたりすることによって、もしかしてもしかしたら自分でも知らなかった新しい自分に出会えるんじゃないか、という密かな期待もあるのかも知れない。
本当の自分がないことは分かっているけど、もしかしたら、何か本当の自分と思ってもいいような欠片が見つかるんじゃないか、とほんの少し期待している。
源太郎さん、いい人だし、なかなか面白い遊び相手ができて良かった。
楽しみだな。
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