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scene 9 衣装倉庫(夜)
ドラァグクイーンイベント当日、仕事がオフだったわたしは余裕を持って待ち合わせの場所に向かった。
建物が見えてくると、いろいろな記憶がフラッシュバックした。
田久保にしつこく絡まれた場所。初めてドラァグクイーンを間近で見た場所。源太郎さんや真雪さんに出会った場所。
あの日のこの場所から、いろんな事が動き出した気がする。
あの時は真冬で、街全体が凍えたみたいにピリピリと尖っていた。でも今はあと数日で4月という春真っ盛り。朝晩の冷え込みも落ち着いて、夜になっても昼間の暖かさの名残の気配がある。
ドラァグ装のビギナーとしては、極端な気候でなくて助かった。
「はよございまーす」
2階と聞いていたので、言われた通りに建物の脇にある階段を上がった。
あの時、源太郎さんが駆け下りてきた階段だ。これをあのハイヒールで駆け下りたのかと思うと本当にスゴい。筋力もバランス感覚もかなり上級だと思う。わたしには絶対に無理だ。
入り口のドアは軽く開けてあって、隙間から中を覗くと源太郎さんが見えたので、軽くノックをしてから入った。
「いらっしゃい。何そのギョーカイ挨拶。やめてよ今日オフなんだから」
メイクの下地を済ませてウィッグの下に着けるウィッグネットを被っている源太郎さんは、仕事モードとドラァグモードのちょうど中間くらいの雰囲気で、そのどっちつかずの話し方もかなり中途半端で面白い感じだった。
「そっか。じゃあ、こんばんはー!」
源太郎さんと直接会ったのはまだこれで3度目、田久保事件の時を入れても4度目だけど、打ち合わせ的なやりとりをラインでずっとしていたので、もっとよく知っている間柄な気がしてしまう。
「朔ちゃんホントに素直だよねーマジカワイイ」
「いやーそれほどでもー。あれ、真雪さんは?」
「そこにいるけど?」
源太郎さんが指差した方向を見ると、衣装が大量にぶら下がっているハンガーラックの向こう側に隠れるように座っていた。
「え。あ、こんばんは」
「……こんばんは」
自分からは出て来ないのか。やっぱり本当にコミュ障なのかな。まあいいけど。
ドラァグクイーンをやらせてもらえると決まってから、衣装やメイクのことを色々と調べた。世界のドラァグイベントの写真を漁って、好みのタイプを探した。
当然のことながら女性のパフォーマーは希少で、しかも小柄、日本人、というとほぼ存在しないのでは、というくらい情報がなかった。いたとしても、メディアに載るほどの人はいない。見つけられなかった。
実物として最初に源太郎さんと真雪さんを見てしまったので、大きくて派手でゴージャスで、というイメージが刷り込まれていた。メディアに溢れるパフォーマーたちもそういう雰囲気の人が大多数だった。でも、それが自分には似合わないのはもうわかっていた。小さくて貧弱で地味顔で、ゴージャスな雰囲気とは程遠い。
結局、少し和の要素を取り入れたおとなし目のものがやりたいと思って、着物の生地を使ったドレスを用意してもらった。
「どう? 可愛いでしょ」
写真ではパーツごとを見せてもらっていたけど、完全版は初めて見る。
「今回はお試しってことで、全部最初から手作りっていうわけにはいかなかったんだけど、でも結構いい感じに揃えられたでしょ」
赤と黒を基調とした地に、金や銀の華やかな刺繍。右前の着物合わせになっていて、ウェストは一見帯に見えるけど実はベルトで、襟元や裾は大きく広がってドレス調になっている。
「朔ちゃん小っちゃいからねぇ。あんまり布多めにしてピラッピラにしちゃうとドレスに埋もれちゃうから控え目にしたんだけど」
「スゴい……かっこいいです!」
「良かった。じゃあ、準備していこうか」
「はい!」
ドキドキする。
すごい。やっぱり楽しい。
「先にメイクからね。被りの服だけ脱いで前開きだけでやって」
「そう言えば、下着は普通のでいいんですか?」
「本当の和装じゃないから普通ので平気。キャミは着てる? 胸元、どのくらいまで開いてる? あ、こんくらいね。じゃあそれもそのままでいいよ」
何もかもが初めてで、わからないことだらけ。でも、一緒にやってくれる人が衣装とメイクのプロたちだなんて、最高のタッグだと何より心強く思う。
「ウィッグはこれ」
メイクデスクの前の椅子に座らされて、目の前にはバストアップがギリギリ映るくらいのサイズの鏡。寄せ集めっぽいデスクや椅子や鏡が、なんだか大学時代の演劇サークルの部室のようで、楽しい。
真雪さんが指差した方向を見ると、デスクの端っこにあるウィッグスタンドには漆黒のオカッパウィッグが乗っていた。
某国民的アニメに出てくる川の神様が人の姿の時みたいな、日本人形レベルのぱっつんのオカッパ。ここまでの重ためパッツンは、顔の作り的にちょっと難易度高いというか、かなり造形が美しくないと厳しそうな気がするのだけど。
「……盛るやつじゃないんですね」
しまった。せっかく用意してもらったのに、がっかりしたような言い方をしてしまった。
「最初からあんな大きいの乗っけてたら首痛くなるから」
真雪さんの表情は特に変わらなくて、失礼な言い方をしたのにそれを気にする様子はない。いや、ただ無表情なだけで本心は全く見えないだけかもしれないけど。
「え、そんなに重いんですか?」
「重さもそうだけど、バランスがね。最初は大変かも」
背後で衣装の準備をしていた源太郎さんが口を挟んだ。
「……被ってみる?」
「はい」
少しめんどくさそうに立ち上がった真雪さんが、ウィッグが沢山置いてあるラックから大きな赤い盛り髪のウィッグを持ってきてくれた。わたしの上半身くらいの大きさがありそう。
「これ、源太郎のだけど」
そう言って、ゆっくりと頭に載せてくれた。
「え、あ、ああ、重……」
確かに、単に重いというより、大きすぎてバランスを取るために首や肩に力を入れていないと不安になる。
だから言ったでしょ、みたいな顔で真雪さんがわたしを見ている。なんだか恥ずかしい。
「そンなの何時間も乗っけて歩き回れる?」
鏡に映る源太郎さんも、仕方なさそうに手を止めてわたしたちを見ていた。
「……あー、無理かもですね」
納得せざるを得ない、という雰囲気であからさまにがっかりしたわたしに、背後から源太郎さんが声をかけてくた。
「撮影とかなら短時間だからイケるかも知れないけど、イベントは長丁場だし途中で外せないからね。初めてだし、最初は無難に。まぁ、もっと軽めでデカいのもあるっちゃあるから、そのうち色々試してみよう」
「はい……」
今回一度っきりで終わりなわけではないような言い方が嬉しい。どうせこれっきりでしょ、とお情けで付き合ってくれているのではないと、期待をしてしまう。
「ほら、早く塗り始めな。後が支えてるからね」
「はい!」
最初から色々と欲張ったらダメだ。せっかく与えてもらえた良い機会を、大事にしていかなければ。
わたしの顔を直と鏡に映ったのと交互に見ながら、左右の眉毛のバランスを取っている真雪さんを、こっそり盗み見た。
すごく真剣な目つき。ものすごい集中している。
今何か話しかけても気づかなさそう。さっきから気になっていたこと、聞いてみたらどうなるだろう。長い髪を、ものすごくシンプルにぐるんとアップしてあって、髪留めの類が目立たなくて、どこをどうやって留めてあるのかがわからない。それがやたらと可愛かった。
「真雪さんの髪、可愛い。どうやってアップしてるんですか?」
「……んー? 髪? これねぇ……」
え、なに?
何この返答。びっくり。
すごい。めちゃくちゃ素だった。こんな口調、初めて聞いた。
「あ……」
我に返ったように、正気を取り戻したみたいにハッとした真雪さんが、恥ずかしそうに目を逸らした。それから少しの間黙って、観念したように髪に手をやる。
「これは、アイライナーで」
メイクの話ではなかったのだけど。
「あ、違くて、髪型の話」
「ん。だから、アイライナーで」
そう言って、後ろのまとめ髪のところからサッと何かを外す。
その途端、綺麗にまとめられていた長い髪がバラっと解れた。
「これで、簪に」
真雪さんの方からふわりといい匂いがした。
シャンプーかな。スタイリング剤かな。
「え、ペンシルで簪、ってこと?」
「そう」
「1本で?」
「うん」
真雪さんがわたしに背を向けて、実演してくれた。長い髪の束があっという間に巻き上げられて、サクサクっとまとめられていった。そして本当にペン1本でアップが完成した。
「すごい! 可愛い! やってみたい!」
茶色地にピンクの花模様のアイライナーが、一見すると花が咲いた小枝に見えた。
以前、舞台に出てきた挿頭を思い出す。あの時は小道具として出てきたので、元々ヘアピンを隠し道具として使ってしっかりアップした髪に花を挿して、いかにも花だけで簪にしているように見せていた。
でも真雪さんは本当にペンシル1本だけで髪を纏めていて、これはあの舞台の花嫁を超えたな、と思った。
可憐で、可愛くて、とにかく洒落ている。
「……その髪の長さだと足りないかも」
「えー……そっかぁ……」
しまった。また、暴走した。なんだかわたし、ただのワガママだな。ガキくさい。
「鎖骨が隠れるくらいまで伸びたらできると思う」
「じゃあもうちょっと伸ばすから、伸びたらやり方教えてください!」
「……うん」
「おーまーえーらー! くっちゃべってねーで、早くやれぇ!」
源太郎さんが叫んだ。
怖!!
「あ、はい! すみません!」
あれ、わたし、髪を伸ばしたかったのかな。それとも、このアップがやりたくて、そのために髪を伸ばそうと思ったのかな。よくわからない。
「真雪さんは、ずっと髪長いんですか」
「……まぁ、そうだね。うん」
メイクを再開して、真雪さんはまた真剣な目つきになった。
「色変えたりとかは、したことないんですか」
「…………最近は、ない、かな」
下地を塗るスポンジをギュッと持っている指がすごく綺麗で、思わず見惚れてしまう。身長に相応して、いろいろなパーツが長かったり大きかったりして、かっこいいかも。
「短くしたことはありますか」
「……昔は、あるけど」
そこまで話して、わたしは今までずっと感じていた違和感に気づいた。
この人と、目が合わない。これだけ近くで顔を見られる間柄なのに、目線が全然合わない。この人が見ているのはわたしの顔の作りだけで、わたしそのものではない、ということか。
そう思ったとたん、脳みそにそっと冷えた濡れ布巾を被せられたような感じがした。
そうだった。
この人は、コミュ障なんだっけ。源太郎さんの言い分が正しければ。
わたしだって、そこまでこの人に話しかけたいわけではない……はず。
そうだ。ただ、間が持たないから。黙ってメイクされてるだけでは沈黙が気まずいから。だから、何か話した方がいいかと思って。そう。気を遣って。
でも、よく考えたらそんな必要ないな、と思い直す。別に二人きりなわけでもないし。源太郎さんもいるんだし、沈黙とか、そんなのどうでもいいのに。
それからは、黙ってメイクをしてもらった。
これで何も問題ない。
居心地だって、別に悪くない。大丈夫。
黙っていたら、余計真雪さんを見てしまう時間が増えたけど、わたしはそれを鑑賞タイムと銘打って楽しんだ。
綺麗なものを間近で見るのは、楽しい。
単純に、目の保養。
その程度でいい、んだよな。
わたしは結局、すべてのメイクを真雪さんにやってもらって、源太郎さんはベースは自分で、最後の方のポイントだけ真雪さんが手伝ったりして、それから真雪さんは当然全て自分でやって、3人ともメイクが完成した。
それから、まずわたしの衣装を着付けしてもらったところで、3人で鏡の前で、立ち尽くした。大きな二人に挟まれて立っているわたしは、なんだか間抜けな囚われものみたい。
「うーん、なんか朔ちゃんが着るとビッチ感が出ないなぁ……なんでだろ」
たぶん、感じている印象は3人とも同じ。
「もっと花魁系のビッチな感じになるはずだったんだけど。最初だからってちょっと控えめにしすぎたかなぁ。もっと派手にしても良かったのかも」
わたしも、もっと妖艶なクイーンが出来上がると思っていたので、拍子抜けというか。いや、よく考えたらわたしが妖艶になんてなれるわけないんだけど。
「真雪、メイクでもっとアバズレ感出せないかな」
「……無理じゃない? そういう系統の顔じゃないし」
そんなはっきりと、言うんですね。
「あんた朔ちゃんをこないだあんな美人さんの妹に仕上げたじゃないのよ」
「それは系統的には全く違う感じじゃなかったから。コレを花魁系にとか、無理でしょ」
コレ言うな、コレって。
「ンもう。これじゃあ走り回って着付け崩壊した七五三じゃないの」
「……ッ」
「ちょっと! 今、笑った!? 笑いましたよね!?」
豪快に笑う源太郎さんの陰で顔を隠すみたいにして小さく肩を揺らした真雪さんを、わたしは見逃さなかった。
なんだかもう、3人でコントやってるみたいになってきた。
「おっかしいなぁ、似合うと思ったんだけど、コレ系」
「いいよ、花魁じゃなく、今回は日本人形でいけば」
「まぁそうね、それもアリかもね!」
本音を言えば、思ったのと違った。それは衣装やメイクが悪いのではなく、自分が、だ。
もちろん、元々ドラァグクイーン向きな容姿でないことはわかっていた。長身で端正な顔立ちの人が映える。わたしは全部正反対で、それもあって自分にはできるとは思っていなかった。
役者なのだし、という根拠のない中途半端な自信がどこかにあった。でも、それが違ったのだと思い知って、なんというか自信喪失というか、少し悲しい。
「らしいと言えば、らしいんじゃないの」
真雪さんが、鏡に映るわたしから地味に目を逸らしながら言った。
小さな呟きが、凹んだ気持ちにじんわりと沁み込んできた。
今まで言われたことのない言葉。
らしい、って、わたしらしい、ということ?
わたしらしいって何だろう。
どういうのがわたしらしいということ?
初めて言われた。
真雪さんにはわたしらしさが見えているということ?
真雪さんから見たわたしは、どんな感じなのかな。
どんな、どういうわたし、なのかな。
「これからも改善の余地あり、って思えば未来性あって良いってことよね! ヤァダ、なんだかやる気出て来ちゃったかも!」
源太郎さんの大きな声で我に返る。
わたし、何を考えていたのだろう。
「あら、なんか元気なくない?」
「……いえ、なんでも。全然元気です!」
思っていたのと違ったとは言っても、念願のドラァグになれたのは本当に嬉しくて、源太郎さんが言っていた通りでこれからもっと色々と探求して方向性を探っていける楽しみがある。
「今日のはそんなにディープじゃないイベントだから、気楽にね」
源太郎さんが声をかけてくれた。本当に優しくて温かい人。
「はい。でも緊張する」
「大丈夫よ。朔ちゃん小っちゃいからみんなからあんまり見えないと思うし」
「……は?」
こういう毒舌も全然痛くなくて、心地良い。
「あはははー」
「……ッ」
「また……! また笑った!?」
さっきのも今のも、どちらも位置が悪かったのか、笑顔は拝めなかった。残念。
……残念?
どうして?
源太郎さんが、ヨシ!と言って周囲を片付け始めたので、わたしはそれ以上のことを追及するのをやめた。
今は、余計なことは考えるのはやめよう。単純に、楽しみたい。
初めてのドラァグ体験を、心から満喫したいと思った。
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