火の神さまの掃除人ですが、いつの間にか花嫁として溺愛されています

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 ここはとある屋敷の中。  舶来(はくらい)の調度品に囲まれた室内を、薄むらさき色の着物をまとった少女が歩いている。  彼女の手には、小さな鳥かごがあった。中には何も入っていない。 「小夜、それはこちらに」  手を伸ばして鳥かごを受け取ったのは、茶色の髪を持つ大柄な男だった。眼帯を着け、隻眼(せきがん)で愛おしそうに小夜を見つめている。  男の名は鬼灯(ほおずき)。  彼はこの帝都において、火を司る神であった。  小夜と呼ばれた少女は、華奢な作りの鳥かごを、男神の手にそっと預ける。 「はい、鬼灯様。……あの、空っぽの鳥かごで、何をなさるのでしょうか」 「月を捕まえる」 「月、でございますか」  幼子のように目をまたたかせる小夜を見、鬼灯はふと優しい笑みを浮かべた。 「此度はどのような姿で現れるのか分からんが、卜占(ぼくせん)では鳥かごと出たのだから、鳥の姿なのかもしれないな」 「では、最初からこの鳥かごを使うと決まっていたわけではないのですね」 「そうだ。狐に占ってもらった結果、今回は鳥かごを使えという宣託が出たから、蔵から引っ張り出してきたのだ」  小夜は、鬼灯の手の中にある、丸みを帯びた鳥かごを見つめる。  それは何も語らなかった。物の声を聞くことのできる小夜だが、その鳥かごは小夜には何も言って来ない。  けれど敵意があるわけではなさそうだった。  この鳥かごは、ただ慎ましやかに沈黙を保っているだけのようだった。 「今回はということは、月は鳥以外の姿で現れることもある、ということでしょうか」 「ああ。三日月、半月、満月……月は様々に形を変えるだろう。月百姿(つきひゃくし)ともいうしな。以前は狼の姿で現れたものだから、捕まえるのに難儀した」  小夜はわずかに小首をかしげる。  月を捕まえる。しかもそれは、狼であったり、鳥の姿で現れるという。 「申し訳ございません、月を捕まえるというのが、あまり想像できないのですが……。何か用意するものはありますでしょうか」 「そうだな。熱燗と、それから月見団子だ」 「……まるでお月見ですね?」 「今宵は満月だ。どうせなら楽しまなければ」  かしこまりました、と生真面目に頭を下げる小夜を見、鬼灯がふと目を細める。 「無論、お前も付き合ってもらうぞ。何と言ってもお前は俺の妻なのだからな」  その言葉を聞いた瞬間、小夜の耳がかすかに赤く染まる。 「いえっ、私は……私は、鬼灯様の掃除人ですので、妻というわけでは」 「まだ言うか。華燭の典(かしょくのてん)をあげた仲だというのに」 「あ、あれは、そうしなければ私はこのお屋敷――火蔵御殿(かぐらごてん)に入れないから、そうして下さっただけのことでしょう」 「だが盃を交わしたぞ。ならばお前は俺の花嫁だろう」 「それは、そうですが」 「いい加減腹をくくって俺に愛されろ。楽になるぞ」  美しい唇から紡がれる言葉は甘く、ひたすら小夜のみに注がれている。  金色の隻眼は、普段の鋭さなどなかったかのように、うっとりと細められていた。  夫である男神からの、惜しみない糖蜜のような愛に、小夜はちっとも慣れることができない。  初々しく頬を染める花嫁を見下ろし、鬼灯は満足そうに口の端を吊り上げるのだった。  鬼灯と小夜。  二人が出会ったのは、猩々(しょうじょう)の屋敷の中だった。  神を慰め、対話し、仕えることを目的とした(かんなぎ)の家に生まれた小夜だったが、彼女には異能が無かった。  それゆえに虐げられ、濡れ衣によって生家を追い出されて、猩々と呼ばれるあやかしたちに売り飛ばされたのだ。  そんな彼女を見つけたのが、鬼灯。  彼は火を司る神であり、強大な力を持っていたが、呪いによってその外見は醜く変貌していた。  その醜さゆえに、彼の嫁候補は皆逃げてしまった。  けれど、小夜と出会った。  小夜は鬼灯の外見に臆さなかった。  鬼灯にとっては、それだけで十分だった。  ――だから鬼灯は、小夜を嫁にと望んだのだ。  と言っても、巫としての教育をろくに受けていない小夜は、火の神の花嫁など自分にはとても務まらないと固辞する。  その代わり、彼女には『蝶の耳』――物の声を聞くことのできる力――があった。  だから、火蔵御殿の掃除人としてならば、役に立てるだろうと言う。  だが、鬼灯の屋敷「火蔵御殿」には呪いがかかっており、花嫁以外の人間が立ち入ると、害を及ぼすようになっていた。  ゆえに小夜は、鬼灯との婚姻を受け入れた。  自分は鬼灯の掃除人だと言い張って。  そんな抵抗も、鬼灯からしてみれば妻のかわいらしい恥じらいにしか見えないのだが、小夜は本気で掃除人を自任しているところに、この夫婦のおかしなすれ違いがあると言えよう。 *  夜になると少し冷える。熱燗のぬくみが心地良かった。  小夜は命じられた熱燗と月見団子を盆の上に乗せ、鬼灯の作業部屋に向かった。  扉を叩くが返事はない。小首を傾げる小夜に、廊下の端から声がかかった。 「小夜、こちらだ。ここから屋根に出られる」 「屋根の上で月を捕まえるのですか」 「遮るものがない方が良いからな。おいで」  手招かれるまま、小夜は鬼灯のあとに続いて、屋根の上に出た。  火蔵御殿は、鬼灯が作った洋館だ。人間でいうアール・デコの様式をまねたものになっている。  屋根は瓦ではなく、薄茶色の石でできているようだった。  ほとんど平らなので歩きやすい。  見上げると、白銀色の月が煌々と輝いていた。  鬼灯は小夜の手から盆を受け取ると、屋根の真ん中に敷いた緋色の布の上に小夜を導いた。  布の上には、昼間見た鳥かごも置いてある。  小夜がおずおずと腰を下ろすと、腰の辺りからじんわりと温もりが伝わってきた。 「術をかけて暖めてある。夜は少し寒いから」 「ありがとうございます」  小夜の横にどっかりと腰を下ろした鬼灯は、ぴたりと体を寄せて、手酌で酒を飲み始めた。  火の神の熱い体温にどぎまぎしながら、小夜が酌をしようと手を伸ばすと、その手をぱっと握られた。 「冷たい手だ。俺の手でも握っておけ。火鉢の代わりくらいにはなるだろう」 「か、代わりだなんて、滅相もございません」  確かに鬼灯の手は暖かく、敷物のおかげもあって、寒さを感じなくなった。  その代わりに、心臓がやたらと跳ねる。これほど鬼灯に密着することは今までなかったのだ。  どうしても意識してしまう鬼灯の存在を振り払うように、小夜は夜空を仰ぐ。 「綺麗な満月ですね。落ちてきそう」 「本当だな。よい涙が取れそうだ」 「涙? 捕まえたいのは月ではないのですか?」 「手に入れたいのは月の涙だ。これを使った薬は媚薬となる」 「媚薬でございますか……」  色めいた言葉にどきりとしながらも、小夜は尋ねた。 「それはやはり、他の神様からのご依頼なのでしょうか」 「ああ。神のくせに媚薬を欲しがるとは、困った奴だ。誰かたぶらかしたい人間がいるのだろうよ」  火の神たる鬼灯は、物作りを生業としている。  自分で気の向くまま何かをこしらえることもあるが、基本的には他の神から依頼されたものを作る方が多い。  だから火蔵御殿には、鬼灯が作った、あるいは作りかけの品々が所狭しと詰め込まれてあり、ゆえに小夜のような腕のいい掃除人が必要なのだった。 「媚薬を作る方法はいくつかあるが、月の涙を用いたものが最も効力が高い」 「……でも、月を泣かせないと、涙は取れませんよね」 「そうだな」 「泣かせてしまうのは、少しかわいそうですね」  小夜が呟くように言うと、鬼灯がふっと微笑む気配がした。 「大丈夫だ。連中は勝手に泣く。――ほら、見てみろ」  鬼灯が示したのは、傍らに置いていた鳥かごだ。  一見すると中は相変わらず空っぽのように見えるが――しかし、異変は起きていた。  鳥かごそのものにではなく、鳥かごの影に、一羽の鳥の姿があった。  小夜は声を漏らしかけて、こらえる。  その影をよすがに、銀色の光が鳥かごの中に宿り始めたからだ。  光は細い細い糸となって塊を作り上げる。その塊は徐々に、小さな鳥の形を取り始めた。  やがて、鳥かごの中に、銀色の鳥が現れる。 「わあ……!」  雀ほどの大きさでありながら、月光を受けてしらじらと輝く、重厚な翼を持っている。  目は黄金、くちばしは微かに灰色を帯びて、厳かな雰囲気だ。  小夜は何となく、この鳥はこの世のものではないような気がした。鬼灯のような神々ともまた違う、言葉の通じない何かを感じ取ったのだ。  大きな声を出したら鳥が逃げてしまいそうで、小夜は囁くような声で問う。 「綺麗な鳥ですね。これが、鬼灯様の捕まえたかった月なのですか?」 「ああ。――もう少し大きいかと思っていたが」  鬼灯の言葉に応ずるように、小鳥が翼を広げた。  と、その影がみるみるうちに大きくなってゆく。  小鳥そのものは手のひらに納まるていどだったが、影だけが火蔵御殿の屋根を覆うほどに巨大化したのだ。  影は大鶏のように派手な尾を持ち、小ぶりなくちばしをしていたが、ややあって頭を高く掲げた。 「泣くぞ」  言うなり鬼灯は懐から、美しい小箱を取り出した。翡翠と金細工でできたそれは、金平糖が三つか四つ入るていどの大きさしかない。  美しい南国の貝のようだ、と小夜は思った。  その箱を見るなり、影は激しく身を振るわせた。  鳥かごの中の鳥は微動だにしないというのに、影ばかりが生き生きと身もだえしている。  鬼灯が影に向かって開けた小箱を差し出すと、鳥が小さく鳴いた。  小鳥の愛らしい声とも、鶏の時を作る声とも異なるそれは、洋琴のように余韻を持って小夜の胸に響いた。  やがて影はゆっくりと小夜の方を向いた。  くちばしを静かに下ろし、小夜にそっと近づく。  鬼灯がすかさず割って入るが、何しろ相手は影だ。火の神の手などすりぬけて、影は小夜の影に触れる。  その影から、白いしずくがひとつ、滴った。  小夜がさっと手を伸ばすと、小夜の影もまた同じ動きをする。  小夜の影の手の中には、白い真珠のようなしずくが一つ、転がっていて――。 「あっ……」  小夜の手のひらにもまた、白いしずくが現れたのだった。  まるで満月をぎゅうっと小さくしたようなしずくは、鮮やかに輝いていて、少し転がすと七色の光を放った。  真珠のようでありながら、金剛石のごとく輝いているそれは、涙と呼ぶにはあまりにも豪奢で、美しすぎた。 「これが、月の涙……」 「ああ、今晩の涙はとりわけ綺麗だな」  鬼灯はそう呟くと、小夜の手のひらから涙をつまみあげ、先程の小箱にそっと収めた。  ぱちんと蓋を閉じると、無意識のうちに感じていた気迫のようなものが途切れ、小夜はほっと息を吐く。  彼女は鳥の影をじっと見つめながら、誰に言うともなく呟いた。 「どうしてあなたは、こんなに綺麗に泣くのでしょう」 「……一説には、俺たちを憐れんでいるから泣くのだそうだ」 「憐れむ?」 「定命の人間、人間なくして存在できない神々。俺たちが儚い存在であることを憐れみ、同情して泣くと聞いたことがある」  鬼灯の言葉に、小夜は鳥の影を見つめる。  影から何かの声を拾うことはできなかったが、小夜は感覚を研ぎ澄まし、相手の感情を推しはかろうとする。  神とも人ともつかぬ相手だ、感情など存在しないのかもしれない。  けれど小夜は鳥の影に、何か通ずるものを感じ取った。同じ気持ちを共有できる相手かも知れないと思ったのだ。 「私が聞く限りでは、憐れみのようなものは感じません」 「ほう。物の声を聞く『蝶の耳』は月にも使えるのか」 「分かりません、ですが――多分、私たちとあまり変わらないのではないでしょうか」  小夜は呟くように言う。 「確かに人間は、せいぜい六十年ていどで死ぬ、儚い生き物ではありますが……。でもそれは、月の満ち欠けと同じようなものだと思うのです」 「ほう?」 「月が満ちては欠けるように、私たちは生きて死ぬ。変わらないでそこにあり続けるものなどなく、死んでは生まれ、生まれては死ぬものです」  小夜の脳裏を、母の横顔が過ぎる。  優れた巫であった母は、小夜が幼い頃に亡くなった。  それでも、母から受け継いだ知識は覚えている。母の血を受け継いだ小夜も、ここにいる。 「母を育てた祖母がいて、私を産んでくれた母がいて、私がいて……。そうして脈々と続き、残っているものがあるのなら、死ぬということは必ずしも、悲しくて憐れむべきことではないのかもしれません」 「いずれ死ぬというのは、生命の逃れられない運命だからな。いちいち悲しんでいてはきりがない」  そう言って鬼灯は面白そうに笑った。 「つまりお前が言いたいのは、月などに憐れまれる謂れなどない、ということか?」 「い、いえ、そのようなこと、滅相もございません。長々と語ってしまい、失礼を致しました」  小夜は言葉を探すように、袂を指先でいじる。 「ただ、この月は私たちを憐れんでいるのではなく、共感なさっているのかもしれない、と思ったのです」 「共感か。初めて聞く説だが――面白い。気に入ったぞ」  鬼灯は上機嫌に言って、まじまじと鳥かごの中の鳥を見つめた。  あれほど大きかった影はいつのまにか小さくなって、今や鳥本体と同じ大きさに縮んでいた。  黄金色の目を持つ鳥は、微かに首を傾げ、あの洋琴のような声でまた鳴いた。  と、その鳥がふわりと羽ばたく。  鳥かごをするりと通り抜けた銀色の鳥は、小夜の方に飛んでくると、その指先にちょこんと止まった。  小夜はまつ毛を震わせながら、鳥の姿をしげしげと見つめた。銀色の光は、心なしか先程より柔らかく感じられる。  鳥はまた一声鳴いて、ぽろりと涙をこぼした。  先程と同じ大きさの涙が、小夜の目の前にふわりと浮かび上がる。  もう片方の手で慌ててそれを受け止めると、小鳥は満足そうに胸を張った。 「二つ目の涙など初めて見た。太っ腹だな?」  からかうように鬼灯が言うと、鳥はぷいとそっぽを向いて、小夜の手から飛び立った。  その姿が銀色の細い光にほどけてゆく。  あっという間に鳥の輪郭を失った光は、そのまま空中にぱっと散って、消えていった。  訪れた時と同様に、去り際もまたあっさりとしたものだった。  小夜は宙に残る光の残滓を、名残惜しそうに見送りながら、二つ目の月の涙を鬼灯に差し出す。  だが鬼灯はそれを受け取らなかった。 「それは月がお前に与えたものだ。媚薬を作るなら涙は一つだけでじゅうぶんだし、お前が持っておけ」  と寛容なことを言いつつも、いらだったように腕組みをする。 「しかし、夫の目の前で妻に贈り物など、良い度胸をしていると思わないか」 「はい?」 「小夜を口説く気だったのか? 気に食わんな。小夜に贈り物をするならば、まずは夫たる俺に許可を取るのが普通だろうが」 「……? あの、やはり鬼灯様にお渡しした方がよろしいでしょうか」 「だめだ、それはお前のものだ。全く気に入らんがな」  小夜はどうしたらいいのか分からない。  月の涙を受け取ったことで、鬼灯が気分を害しているのならば、涙など返してしまいたい。  小夜が仕えているのは、鬼灯ただひとり。  そして、幸せであってほしいと願うのも、鬼灯だけなのだから。  うろたえている小夜を尻目に、鬼灯は月の涙が入った小箱に視線を落とす。 「月の涙を手に入れるという目的は達せられた。あとはのんびり月見でもするか。小夜、付き合ってくれるか」 「もちろんでございます」  鬼灯と小夜は、再び寄り添って、白々と輝く満月を見上げる。  小夜は二つ目の月の涙を指でつまみ、空に掲げてみた。月の光を受けて、ますます美しく輝いている。 「きれい」 「気に入ったのか。俺ならもっと綺麗なものをいくらでも贈ってやれるが」  悋気(りんき)を隠そうともしない鬼灯の言葉に、小夜は思わず口元を綻ばせる。  この強大な火の神が、自分に執着心を持っていることが、こそばゆくて申し訳なくて、けれど少し嬉しい。  まっすぐな言葉が徐々に小夜の心に沁み込んで、強張った心をほどいてゆくのが分かるから。 「ありがとうございます。でも、綺麗なものはもう間に合っているのです」 「そ、そうか。でも月の涙以外にも美しいものはたくさんあるからな、一度俺が何か作ってやろうか」  小夜の気を引こうと一所懸命に話す鬼灯の、眼帯に隠されていない方の目を見る。  金色の目は、月の涙に勝るとも劣らぬ輝きを放っている。その眼差しが、小夜の一挙手一投足を見逃すまいと、彼女の体に注がれているのだ。  ――この目を日々見ている小夜にとって、特別な品は必要ない。  ただ、側にいてくれるひとを見上げればいい。 「いいえ、何も作って頂かなくても良いのです。……その代わりに、もう少しお側に居させて下さい」  小夜の言葉に鬼灯は面食らったような顔をしていたが、ややあって嬉しそうに笑った。 「無論だ! 幾久しくと誓った仲だろう、少しと言わず永遠に共にいよう、そうしよう」  火の神は上機嫌で小夜の手を取る。暖かなその手を握り返しながら、小夜は小さく微笑んだ。
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