最後にして最大の危機

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最後にして最大の危機

「……実は、折り入って頼みがある」  いつものように研究会へ顔を出した私に、ヒース様はそう切り出した。  何かとても深刻そうで、普段より眉間の皺がさらに深いような気がするけど、一体どうしたのだろうか。 「僕にできることであれば、何なりと仰ってください」  日頃からかなりお世話になっているという自覚があるだけに、こういう時こそ恩返しをしたいと思った。  侍女のテレサさんが淹れてくれた紅茶を一口飲んでから視線で先を促すと、ヒース様はため息を一つ吐いたあと話を始めた。 ◇ 「……というわけだが、どうだろうか?」 「えっと……話を要約しますと、来月開かれる王家主催のダンスパーティーに、ヒース様と一緒に参加するってことですか?」 「そうだ。王妃殿下の誕生パーティーだが、ユーゼフがぜひおまえにも来てほしいと言い出してな……『奉仕活動研究会』の会長に会わせたいそうだ」  言われてみれば、今まで会長さんには一度もお目にかかったことがない。ユーゼフ殿下は名誉会員であって、会長ではないのだ。  ヒース様が副会長で、ランドルフ様と私が平?会員なら、他に誰がいるのだろう。 「会長さんは、どなたなのですか?」 「それは、当日にわかる」  ハア……とまた大きくため息を吐いたヒース様は、おもむろに机の引き出しから封書を取り出すと私の前に置く。  見るからに上質な紙で作られたそれは、幾何学(きかがく)の透かし模様が入っており、王家の家紋が押印された赤い(ろう)でべったりと封印されていた。 「これは、ユーゼフから預かった招待状だ。本人は直接おまえに渡したかったらしいが、周囲の有らぬ誤解を避けるため俺が代わりに受け取った」 「あの、『有らぬ誤解』というのは、もしかして……」 「通常こういった物は、家から家へと送られる。それを個人的に手渡したとなると、かなり親しい間柄と周囲に認識されてしまう。それが、婚約者もいない王子から、最近()()お気に入りの見目麗しい平民の男子学生へともなれば……」 「なるほど……」  もうこれ以上、ユーゼフ殿下にそっち系の噂が立つのは外聞が悪いのだろう。  それに、私自身もいい加減そのお相手と見られるのも嫌だ。  ユーゼフ・ルノシリウス殿下は、第二王子だ。  王位は兄である王太子殿下が継ぐことが決まっていて、もうすでにご結婚もされている。  しかし、ユーゼフ殿下にはまだ婚約者がいないため彼の正妻(妃)の座を巡って水面下では激しい争いが勃発していると、先日の清掃活動のときにシンシア様から聞いた。  ちなみに、シンシア様へ「その女の闘いには参戦されないのですか?」と訊いてみたところ、「わたくしには無理です!」と即答だった。   (たしかに、あのカナリア様が相手だと、命がいくつあっても足りないよね……)  ユーゼフ殿下が早く婚約者を決めてくれれば、女性同士の争いも、不名誉な噂も払拭されると思うのだけれど。 「ヒース様、一応確認なのですが、これをお断りすることは……」 「残念だが、それはできない。まあユーゼフなら気にしないだろうが、側近たちは不敬と捉えるだろうな。そうなれば、さらに面倒なことになる…………だから、俺は反対したんだ」  最後に小さく呟かれた言葉。  思わずこぼれてしまったヒース様の本音だと気づいたが、聞こえなかったフリをした。  有らぬ誤解を避けるのであれば私が参加しないのが一番だと思ったが、やはり参加をしないという選択肢はないようだ。 「わかりました、お受けします」 「悪いな。本当にすまない……」  ヒース様が謝る必要はないと思いながら私がにっこりと微笑むと、ヒース様もぎこちない笑みを浮かべた。 「ただ、ヒース様もご存知のように僕は平民です。社交マナーやダンスの心得は全くありませんし、着ていく衣装や小物に至るまで何一つ持っておりません。これらをどこかで習ったり、借りたりすることは出来ますでしょうか?」  我が家の財力であれば全てを購入することは可能かもしれないが、人生でたった一度しか身に着けないとわかっている物に大金を払うのはもったいない。  前世でも、七五三や成人式の着物はレンタルで十分だったのだから。  もし貸し衣装店みたいなものがあれば、ぜひ紹介をしてもらいたいと希望を述べると、ヒース様は首を横に振った。 「ダンスやマナーを教授してくれる講師はいるが、衣装を貸してくれるような店はない」 「そうですか……」  お金を持っている平民だけでなく、下級・中級クラスの貴族にも潜在的な需要があるのでは?と考えたが、次々と流行が変わっていく貴族社会では、レンタル店を始めてもドレス代を回収する前に流行が終わってしまうようだ。  それでは商売にならないかと納得したところで、とりあえず衣装のことは隅に置く。  家に帰ったら、さっそくダンスとマナー講師の手配をルミエールへお願いしなければ。  付け焼刃だろうと一夜漬けだろうと、私と一緒に登城するヒース様に恥をかかせるわけにはいかないのだ。  私がこれからのことにあれこれ考えを巡らせていると、ヒース様が軽く咳払いをした。 「ルミエール……今回のマナーや衣装に関してのことは、全て俺に一任してくれ」 「と、言いますと?」 「ユーゼフの暴走を止められなかった詫びとして、我が家で全て用意させてもらう……というか、実はもう一つ事情があるのだ。こちらが本題と言ってもよいくらいのな」 「どういうことですか?」 「例年、このパーティーは通常のものとは異なる趣向を凝らしている。それで、今年は『仮装パーティー』なのだが……」  ヒース様が、ここで一旦口を閉ざす。彼が言葉を濁し私から目を逸らすときは、非常に言いづらいことがあるときなのだとわかっている。  知り合って二か月になるが、この困ったような顔を私は何度も見てきた。 「……ユーゼフは、俺に従者の恰好をしろと言った。そして、おまえには……ドレスを着用してほしいそうだ」 「……はい?」 (ちょっと待って、いま『ドレスを着用』って聞こえた気がするけど……)  次から次へと話が進んで、私の脳内処理が全く追い付いていない。  来月、ヒース様と王城のパーティーへ参加することになって、その衣装やなんやかんやをヒース様のご実家であるアストニア家が用意してくださって、でも、それがなぜかドレスで…… 「ドレス姿ということは、もしかして……僕が『女装』をするのですか?」 「そういうことになるな。おまえならさぞかし似合うだろうと、ユーゼフがご満悦だった」  頭を抱えているヒース様を見ればその時のユーゼフ殿下の暴走っぷりが容易に想像がつき、その様子が目に浮かぶ。 「その……ドレスに着替えるのは、一人でもできますか?」  私は女なので、女装することくらいは全然構わない。  ただ当日、一人で着替えができなければ困るのだ。 「いや、一人では無理だ。だから、手伝いの者もこちらで用意をするから安心しろ」 「…………」 (いやいや、それは絶対ダメなやつ! 私が女って即バレだから!!) 「あと、これからパーティーまでの半月の間、おまえが懸念しているマナーとダンスの講師を手配するから、その間は我が家に泊まり込みで練習をしてくれ。時間もないことだしな」 「……え゛?」 「おまえの社交マナーについては、まず問題はないだろう。ただ、ダンスは覚えたほうがいい。当日誘われたときに踊れないと困るからな。まあ、男が女性パートを覚えるというのも、おかしな話だが」 「…………」 「両親が心配するのであれば、俺からきちんと説明をする用意はあるから言ってくれ」 「…………」  至れり尽くせりとは、まさにこのこと。ヒース様は、本当に何から何まで気配りのできる方だ。  父はルミエールと同じく野心家だから、貴族と繋がりができるチャンスとばかりに嬉々とするだけで全く問題はない。  母は……今はそれどころじゃないから、おそらく大丈夫だと思う。  ルミエールはおもしろがって、絶対に反対なんてしない。  マナーもダンスも、講師の方から教えてもらえるのは大変有難いし、女装なのもダンスが女性パートなのも大歓迎。  問題なのは、泊まり込みなことと、一人で着替えができないことの二点だけ。  私の学園生活はあと残り一か月を切ったのに、ここにきて最大の危機に直面している。  先ほどすでに参加を了承してしまったので、今さら「実は激しい運動は、医者に止められていて……」などという言い逃れもできない。  どうすればこの危機を乗り越えられるかと、足りない頭で必死に考える。  難題を抱え、ふと『なぜ、私はこんな状況に追い込まれているんだっけ?』と思考を放棄し現実逃避をしてしまった。  私はあくまでもルミエールの身代わりなのだから、『普通に(・・・)、学園生活を送る』ただそれだけのことなのに、現状どうしてそれが出来ていないのか誰か理由を教えてほしい。 (「私は三か月しか学園にいないんだから、なるべく知り合いは作らずおとなしくしているつもりだよ!」と、自分で啖呵を切ったのはいつのことだったかな……)  一瞬遠い目をしたあと現実世界へ戻ってきた私は、どうすればルミエール()が女とバレずに済むか再び頭を働かせる。 「どうした? 何か、心配なことでもあるのか?」 「ヒース様。実は、僕の家には深~い事情がありまして……」  結局、私にはこの作戦しか思いつかなかった。  これにはヒース様の協力が不可欠だが、一種の賭けでもあり、下手をすれば私の正体がヒース様にもバレてしまうだろう。  それでも……やるしかなかった。
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