庭園にて

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庭園にて

「疲れた……」  少々痛む足を引きずりながら、私は一人で広間からバルコニーへと出てきた。  ダンスのあとは楽しみにしていた食事をしながらシンシア様と歓談をしていたのだが、彼女へ次から次へとダンスのお誘いが入り、空気を読んだ私は席を外した。  ヒース様やランドルフ様も、ダンスに歓談とかなりお忙しそうだ。  たとえ王妃陛下の誕生パーティーであっても、貴族の方々にとっては大事な社交の場であることがわかる。 ◇  日が暮れ夜の(とばり)に包まれた二階のバルコニーからは、ランタンの灯りに照らされ幻想的な雰囲気の庭園が臨める。  しばらく上から眺めていたが、もう二度と立ち入ることはできないであろう場所を、せっかくだから見学しておこうと思い立った。  痛む足をこっそり治癒魔法で治療すると、広間に戻る。ヒース様に庭園へ行くことを伝えようと思ったが、年配の男性と真剣な表情で話をされており、声を掛けるのが躊躇われた。  結局、何も告げずにそっと会場を抜け出し、人がまばらな庭園へと足を踏み入れる。  美しい物がお好きという王妃陛下のために、王城内の庭園は季節ごとに色とりどりの花が楽しめるよう管理されているのだとか。  私が今いるこの場所はバラ園で、見頃としてはそろそろ終わりだろう。それでも、まだ綺麗な花をつけている枝があった。  一輪のバラをじっくりと観察していたら、後ろで人の気配を感じる。振り返ると、見知らぬ若い男性が二人。  恰好からみて、このダンスパーティーの出席者と思われた。 「美しいご令嬢が従者も付けず、こんな所にお一人で何をされているのですか?」 「()はバラの観察をしておりました。綺麗に咲いておりますので……」  (ルミエール)のことを知らない人物が、声を掛けてきたようだ。  男が仮装していると伝わるよう普段よりさらに声を低くして答えると、二人組は驚いたような顔をした。 「まさか、男性だったとは……失礼しました」  逃げるようにそそくさと去っていく二人組の後ろ姿を眺めながら私がクスクス笑っていると、また誰かがやってきた。  今度はどんな人だろうと身構えると、慌てた様子のヒース様だった。 「君の姿が見えないので、捜したぞ」 「黙って会場を抜け出して、申し訳ありません。庭園が綺麗なので、見学をしておりました」 「そうか……」  ヒース様は私の傍まで小走りでやってくると、弾む息を整えている。  彼が走り回って捜してくれたことがわかり、かなり心配をかけたのだと気づく。 「今そこで男性二人とすれ違ったが、大丈夫だったか?」 「声を掛けられましたが、わたくしが男性だとわかるとすぐに立ち去られました」  私が状況を説明すると、ヒース様は明らかにホッとした表情を見せた。 「先ほどの二人は、その……女性関係であまり良い噂を聞かない人物たちだ。だから、君に何事もなくて本当に良かった」  まさか、そんな危険人物たちだったとは思わなかった。  いざとなれば私には自分の身を守る(すべ)はたくさんあるが、注意するに越したことはないだろう。 「ご心配をおかけしました」 「いや、君が無事だったらそれで良い」  深々と頭を下げた私に、ヒース様はにこやかに微笑んだ。 「では、そろそろ戻るか?」 「あの……もう少しだけ見学をしてもいいでしょうか? このような機会は、二度とないと思いますので」  私の希望をヒース様は快く了承してくれ、彼自ら庭園内を案内してくださると言う。さすが第二王子殿下のご学友ともなれば、王城内の庭園も自宅の庭みたいなものなのだろう。  今が見頃の花や、生け垣で作られたちょっとした迷路のようになったものを見学したあと、ガゼボで休憩をとることになった。  ヒース様と向かい合って座ると、涼しい風がガゼボの中を吹き抜ける。  彼が風魔法を使ってくれたようで、私は「ありがとうございます」と礼を述べると暑さで火照った体を冷やす。 「そういえば……あの方とはお会いできましたか?」  今日のヒース様には、初恋の君と交流を深めるという大事なイベントがあった。しかし、私の見る限りそんな様子はなく密かに心配をしていたのだ。 「彼女とダンスを踊ることができた」 「そうですか、それは良かったです!」  まずは、一歩前進といったところだろうか。  テレサさんが願っているヒース様の初恋成就を私も陰ながら応援しているのだが、残念ながら結末は見届けられそうにない。  学園ではもうすぐ試験が始まり、そのあと長期休暇に入る。そう、身代わり生活の終了だ。  あれほど入学を渋っていた学園生活なのに、いざ終わるのだと思うと急に寂しさがこみ上げてくる。    思い返せば、いろいろな出来事があった。  第二王子様との遭遇で始まった、奉仕活動研究会への入会と活動。それに端を発した一部の貴族からの洗礼と確執。  濃密すぎるこの三か月間を、私は生涯忘れることはないだろう。 「今回、わたくしが無事にルミエールの代理という役目を果たすことができましたのは、ひとえにヒース様のおかげです。本当にありがとうございました」  最後まで私をエスコートしてくれた彼へ、心からの感謝の気持ちを伝える。  もちろん、これは今日だけの意味ではない。この三か月間、本当にお世話になった。  長期休暇前の最後のお別れの日には、ルミエールとして何食わぬ顔で「休暇明けに、またお会いしましょう」と挨拶をすることになる。だから、ルミエラとして、本当の私の姿で感謝を伝えられるのは今しかないのだ。 「……ルミエラ嬢は、学園へ入学することは考えなかったのか? 君にも、その資格はあったはずだが」 「このことは、ヒース様ですからお話しますけど……怖かったのです。学園へ入学をすることが」 「怖い?」 「平民のわたくしが貴族の方々と同じ学園に通ったら、どのような扱いを受けるのか不安でした」 「…………」  実際、私の懸念通りのことは起きた。  しかし、平民の私とも対等に付き合ってくださる素晴らしい方たちとも知り合うことができ、授かった能力でケガ人を治療したり街を綺麗にする手伝いなど、学園へ通ったからこその得難い経験もできた。 「でも、皆さまのおかげで、ルミエールは楽しく学園へ通うことができております。わたくしは今日で最後ですが、どうぞ、これからも兄をよろしくお願いいたします」 「も、もし、君が今からでも望むのであれば、学園へ編入できるよう尽力するが?」 「…………」  以前の私であれば即お断りを入れていたであろう、ヒース様からの提案。しかし、私の心は揺れ動いていた。  もっと魔法について学びたい……そう思っている自分がいる。 「俺は……今日で終わりにしたくはない」 「えっ?」 「君に、俺という人間をもっと知ってもらいたいのだ」 (ルミエールではなく、(ルミエラ)がヒース様を知る?)  どういうことだろうと首をかしげている私を、ヒース様は真正面から見据える。  これまで幾度となくルミエラだけに向けられる真剣なまなざしに、またトクンと心臓が跳ねた。 「俺には、ずっと忘れられない女性(ひと)がいる」  ヒース様は、私にはっきりと告げた。
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