プロローグ

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 まだ少し肌寒い朝、石畳の上をコツコツと靴音を立てながら中世ヨーロッパのような街並みの中を一人の少年が足早に歩いている。  肩まで伸びた白に近い銀髪を一つに縛り、くっきりとした二重(ふたえ)の赤褐色の瞳を持つ彼は、周りを行き交う髪や瞳の色がカラフルな人たちの中にあっても一際人目を引く美少年だ。  彼が注目を集める理由は、その容姿だけではない。身を包んでいる服にもあった。  ジャケットにズボンの上下ともに白基調の地に紺のラインが入った大人っぽいブレザーの制服は、王立学園高等科の学生であることを証明している。    彼が暮らしているルノシリウス国の王都にある『セントラス王立学園』は、貴族の令息・令嬢が通う学校として有名だ。  十歳から通う初等科は全員。十四歳から通う高等科も、学生のおよそ九割以上を貴族階級が占めている。  そんな彼らはどこへ行くにも馬車での移動が当たり前で、もちろん徒歩で通学する者などいない。  それなのに、馬車にも乗らず従者もおらず一人で黙々と歩いている学生がいれば、周囲の人々が「貴族なのに、なぜ?」と疑問に思うのは当然だろう。  しかし、彼らは大きな勘違いをしている。    そもそも、彼は貴族ではない。  もっと言えば、『彼』でもないのだから……  ◆◆◆  すべては、この言葉から始まっていた。 「ルミエラ、来月から三か月間だけでいい。俺の代わりに学園へ行ってくれ!」  半月前、兄のルミエールが突然こんなことを言い出した。 「…ん? 意味がわからないんだけど……」  おやつのクッキーを食べていた私は、行儀が悪いなと思いつつ口をモグモグさせながら首をかしげる。  兄はたまに理不尽な要求をしてくることはあったが、ここまで意味不明なものはなかった。 「だから、俺に成りすまして学園に通ってほしいと言っている。大丈夫、俺たちは双子だから絶対にバレやしない」 「いやいや……絶対バレるでしょう? だって、性別が違うもん」  いくら双子で顔が似ているといっても、兄は男で私は女。体つきは華奢で背も低いし、声も違う。髪だって長い。  しかし、次々と相違点を挙げていく私に兄は首を横にふった。 「ルミエラ、おまえならできる!」 「……無理」 「最初から、そんな弱気でどうするんだ?」 「だから、私には絶対無理~!」  それから毎日、兄とはずっと同じようなやりとりを繰り返している。  毎度きっぱりと断っているのに、兄は絶対にあきらめない。思い返してみれば、彼は昔からあきらめが悪い男だった。 「はあ……」  いつもの言い合いのあと、疲れたようにため息を吐いた兄が急に黙り込む。  あの手この手で私を言い負かそうとしてくる彼が、今日はなんだか様子が違う。  まさかの展開に、「もしや……初めて勝った?」と内心驚く私。  兄は先ほどまでの胡散臭い笑顔を消し去り、冷静な顔で私の顔を見据えた。 「……おまえのせいで、店の従業員とその家族が路頭に迷ってもいいんだな?」 「それは……」 「俺がやらなければ、うちは潰れて……最後は一家離散だ」  額に手を当てた兄が、「父さんがここまで大きくしたのに……」とつぶやきながら窓の外へ視線を向ける。  朝から降り出した土砂降りの雨は止むこともなくずっと降り続いていて、まるで、この家の未来を暗示しているようだった。  我が家は、町でも比較的規模の大きな商会を営んでいる。  祖父が興した小さな食料品店を、何でも扱う総合商会にまで発展させたのは二代目である父。そんなやり手の父が倒れたのは、つい半月前のことだった。  原因は、働き過ぎによる過労。  幸い命に別状はなかったが、しばらくの間静養する父に代わり兄が店の経営を担うことになった。  三代目としてこれまで店の経営にも携わっていたので、これに関しては何も心配はない。ただ一つ問題となったのは、来月に迫っていた兄の高等科への入学をどうするのかということだった。  ◇  この国では、三歳と初等科を卒業する十三歳のときに、魔力持ちかどうかを検査することが全国民に義務付けられている。  とはいえ、魔力があるのはほぼ貴族関係者で、平民が発現するのはごく(まれ)。  しかし、一か月前の検査で私たちは後発魔力があることが判明してしまう。  平民でも、魔力持ちは高等科への入学が特別に認められる……つまり、選ばれし者なのだ。  貴族と平民で学園自体がきっちりと分けられていた初等科と違い、高等科は身分に関係なく一纏めになっており、周りがほぼ貴族の中にポンと平民が(ほう)りこまれる現状。  それは私にとっては未知の世界で恐怖以外の何ものでもなく、断固進学を拒否したが、兄は自分の経歴に箔がつくと進学を希望したのだ。  ところが、着々と入学準備を重ねていたところに発生した父の急病。  これが経営者交代ならば兄も諦めがついただろうが、たった三か月間だけの代理だ。  今を逃せば、二度と高等科への進学は叶わない。そんな兄が目を付けたのが、進学をせずに家業の手伝いをすることを決めた私だった。  双子だから顔はそっくりで、父の方針で同じように教育を受けてきたため、多少兄には劣るが成績もそれなりに優秀。魔力は発現しているし、違いといえば男女の体格差くらい。  つまり、これさえカバーできれば、見た目は完璧な兄ルミエールのできあがりだった。  ◇ 「…………」  急に現実を突きつけられ、何も言葉が出ない。  商会には父の右腕の番頭もいるが最終的な決定はすべて経営者が行うため、父や代理の兄も不在では店は回っていかないのが実情だ。  兄は学園へ通うことを非常に楽しみにしていた。商会をさらに発展させるべく、学園で貴族との繋がりを作るという野望まで持っていたのだ。    「商会を潰すわけにはいかないから、高等科への進学はあきらめるしか……」  柄になく、生気のないうつろな瞳でこんなことを言われれば、私も覚悟を決めるしかない。 「……わ、わかりました。やります! やればいいんでしょ!! 三か月間だけ、ルミエールの代わりを立派に果たしてみ・せ・ま・す!!!」 「よくぞ言った! さすがは我が妹だ。大丈夫、おまえならできる!!」  コロッと表情を満面の笑みに変え、兄は満足そうに頷きながら私の肩を叩く。  ジト目で(にら)みつけたが、言質(げんち)は取ったと見事にスルーされた。  結局、いつものように丸め込まれてしまった。  所詮、兄には太刀打ちできないことはわかっている。わかっているが、おとなしく言うことを聞くのは(しゃく)なので、毎度些細(ささい)な抵抗を試みるのだ。 「おまえの()()()()()で作ったあの靴を履けば、身長問題はすぐに解決だ。よかったな!」 「ハハハ……」  前世の知識が、こんな不本意な形で自分の役に立つ日が来るとは。あまりの皮肉さに、乾いた笑いしか出ない。    私は、前世の記憶を持っている。  思い出したのは五,六歳のころだが、その前世の記憶に上書きされてしまったのか、その頃の現世の記憶だけが今も曖昧なままだ。  私が記憶持ちと知っているのは兄のルミエールのみで、両親は知らない。  ある日を境に、突然人が変わったような私に気付き問い質してきた兄へ、正直に話をした。    前世では、日本という国に住んでいた成人女性だったこと。  こちらの世界は、その日本で読んでいた小説の中に出てくる異世界によく似ていること。    気持ち悪がられるかと思ったが、兄はとても興味を示しいろいろと前世の話を聞いてきた。  経営に携わるようになってからはそれらをもとに商品開発をするなど、家業に多大な貢献している。  彼が言う『あの靴』も、その内の一つである『シークレットシューズ』のこと。  身長に悩む世の老若男女たちの支持を集め、商会のヒット商品となっているものだ。   「これで、俺も心置きなく仕事をすることができる。感謝の気持ちとしておまえにご褒美をやるから、何がいいか考えておいてくれ」 「……わかった」  私が今一番欲しいのは『学園へ通わなくてもいい権利』。だが、そんなことは口にできないので、ここは素直に頷いておく。  来週からのことを思い天気の悪さも相まって気が重い私は、せっかくだから高い物を要求してやろうと策略を巡らせることで気を紛らわせたのだった。  ◇◇◇  私は、黙々と道を歩いていた。    学園近くになると、横を通り過ぎて行く馬車から高等科の制服を着ている私に対し遠慮のない視線を感じる。それは、馬車の窓からだったり御者からだったり。  とにかく、あまり気持ちの良いものではない。  徒歩通学をしていることが、さぞかし物珍しいのだろう。  我が家にも馬車はあるが、一台だけなので通学に使用することはできない。  そもそも、お尻の痛くなる乗り心地のあまり良くない馬車は好きではないし、前世では免許を持っていなかったこともあり、出かける時は基本、徒歩か自転車か公共交通機関だった。だから、現世でも歩くことは決して苦ではない。  ただ、自転車みたいな移動手段があればいいなとは思っているので、今度絵を書いて兄に相談しようと心に留め置く。  こうして徒歩約三十分の道程を歩き終えた私は、学園の門をくぐった。
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